わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

有言と実行どっちが大事か。

「有言実行」という四字熟語がある。読んで字の如く「言ったことをやる。」という意味だが、どちらかと言えば「自分で立てた目標をクリアする」事に対して、賛辞を送る際に使う機会が多いことと思う。

 

スポーツ選手だと非常に分かりやすい。「優勝します」と公言し優勝したら、それは「有言実行」だ。なので世の風潮としては「実行」に重きが置かれやすい。「実行」というのは結果に他ならないからだ。プロスポーツなど結果主義の世界ではそれが重宝されて当然だろう。

 

しかしながら、とかく最近生活の中で「有言実行」を考えたとき、むしろ「有言」の方がまずは重要だなと切に思う機会があって、ここからつらつらと書いて行こうと思う。

 

 

唐突だけれども、僕として将来的には文章を書く、あるいは作るような表現活動を仕事にまでしたいと思っている。現状でも同人誌で雑誌や漫画を描いたりと、趣味の範囲では取り掛かっているが、いざ仕事となると話が違う。当然の事ながら求められるクオリティも、そして知識も、コネクションも。またそもそも、勢いでやってみたところで生活が成り立つのか、などもうキリがないほどの障壁が容易に予想できる。

 

「考えたって仕方ないじゃん」と言われそうだが「考えないほうがもっと仕方ねえだろ」というのも正論。そんな比較的うじうじ派としては、そういう三十路手前のありがちなワナビー思考に囚われているのである。

 

ただ今回、ツイッターのbioで何の気なしに「お仕事募集中」とか書いてみたらどうかなと思った。文章でも編集でもなんでもいい。過去の同人誌を読んでくれたり、ここの場末みたいな文章を見てくれた方が、何かしらこんなヤツに依頼してみたいとか思ってくれたらいいな、と安易に考えたのである。まぁ、仕事募集と僕が勝手にbioに書くのはタダだ。そこからどんな縁があるかも分かったもんじゃない。こういうのは勢いが大事である。

 

その反面、現実はそんなに甘くないということも分かっている。こんなわけの分からない文面、そしてこんなアカウントで物言ってる人間に仕事を与えるような機会がポンポンと舞い込んで来るはずもないだろう。

 

しかし、ここでふとツイッターのbioにそうした事を書いたことで意識に変化が起きた。「いや、もしこれで本当にそんな話舞い込んだらどうしよう。とりあえずちゃんと本読もう。」

 

そう、謎に焦りだしたのである。焦りというか、もし万が一そうなった時の為に何かしら身につけておこうと。無駄な意識の高さが芽生えてきた感がある。気付けば書店に行き、数冊本を購入していた。人間単純だなと思ったと同時に、言葉に言う事、あるいは書き出すこと、そしてそれを晒すこと。このような本当の欲求を外部に発信する事は重要なことなんじゃないかと思ったのである。

 

「有言」要は「何かをします!」と宣言する事は、多分だけど既に実行の7割はクリアできている気がする。

 

先日ツイッターで言ったけど「天才とはやると決め、実行に移せて、更にそれを傑作に出来る人のことなんだろうな」と思った。まず、やると言っちゃう。そうすると完成するかどうかは別としても、実行しなければならなくなる。ビッグマウスで出来なそうでも良い。先に言っちゃう。意外と人間はそうした言葉に縛られるのである。逃げられなくなるのである。

 

世の中で「有言」することは多分、戦後から見ても相当難しい世の中になっている。ネットが拡充し、発言もログに残る。簡単にサーチできる。言ったことが実際数年後にどうなってるか確認も出来る。「有言」するリスクは時を経る毎、大きくなっている。

 

だからこそ、この時代。「有言実行」を考えたとき。実行の不確定さに揺られ「有言」しないという人が増えているのではないだろうか。まず、有言すること。目標や願望を口に出すこと。これってやはり前向きに生きる上では重要なことなんだろうな、とぼんやり思いつつ、同人誌の作業が間に合うか微妙なのでこの辺にしておきます。