わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

「音楽に政治性を持ち込むな」に対する違和感

正直、同人作業やってるべきところ、なんとなく「これについては、書かなくては」と思ってしまった。

 

matome.naver.jp

まぁ、見出しの「ロックフェスの内容が反体制的だとしてネット原住民たちの間で反発意識が広がっている」っていう導入文章も、なんだかな・・・って感じなのだが、実際にまとめられてるツイートを見てると余計に頭が痛くなってくる。

 

「音楽に政治性を持ち込んだら終わり」

「ミュージシャンってなんで反体制の人が多いんだろう。かっこいいと思ってるのかな、かっこ悪いから」

「一方的な意見を音楽で歌うというのは、その反対している人を切り捨てることになる。押しつけがましいことするな」などなど。

 

詳細な発言内容はまとめ見てもらえればわかってもらえるだろう。まぁ、このまとめサイトとして意向は、そういう発言に対して「でも、そもそもロックって、反体制なものだよね」っていうツッコミを促す感じになっている為、多少の溜飲は下がる。しかしこれら「反体制なロックフェスには引く」的意見の多さには正直唖然とした。昨日ツイートにも書いたけれども、こいつら全員イスに縛り付けてウッドストックを全編見させてやりたいと思った。そもそも、彼らネット民にとっての「政治」「宗教」の次元がめちゃくちゃ浅いのではと非常に感じる。

 

恐らく、ネット民の政治色への反発意識はSEALDSやプロ市民と呼ばれる活動家、そして共産党辺りがいう「戦争反対」「民主主義を取り戻せ」に対するものがベースだろうと思われる。確かにその発想は分かる。「戦争がしたくないから反対って国際社会からしたら無責任じゃねえの」「ただ単に反体制を繰り返してるだけじゃねえか」「そもそも、足を引っ張ってるだけの存在が今の反体制だろう」その指摘は一理あるどころが的を得ている。

 

しかしながら、だからと言って政治色、宗教色すべてを排除すべきというのは乱暴すぎる発想だと感じる。それは恐らく全くもってロック音楽の歴史を無視した発言であるし、また本来守るべきデモクラシーの根幹すら非難するような自己矛盾に気づいていないように思えるのだ。だから、読んでて正直めちゃくちゃイラっとした。

 

例えば、カーチスメイフィールド。彼はアメリカのソウルシンガーとしてロック殿堂入りも果たすいわゆるレジェンドであるが、彼の代表曲「Peple Get Ready」。この曲は1960年代のキング牧師で有名なアメリカ黒人公民権運動を背景に大ヒットに至った。

www.youtube.com

黒人の権利を主張するプロパガンダ曲として、多くの人を勇気づけた。彼自身その時代の構築を担ったシンガーと言って間違いないだろう。そして、この曲で歌われる「我々が権利を得る用意はできている」という内容は紛いもなく政治的メッセージであるし、またそれがロックであると認められてきた。

 

また、違った目線でいえばチャリティ公演・楽曲もその一つであると言える。最近ではBANK BANDもその一つだろうし、マイケルが有志を集めた「We are the World」だってそうだ。その中でもジョージハリスンの「コンサートフォーバングラデシュ」はチャリティロックフェスの成功例としても歴史に残っている。当時1970年代に独立戦争を起こし、難民が多数出たバングラデシュの救済を図ったものであり、そのライブ音源は1972年にはグラミー賞も受賞している。今聞いても色褪せないライブ音源としていまだに評価も高い。

www.youtube.com

 

当然、ジョンレノンだってビリージョエルだって、桑田佳祐だってなんだっていいんだけど。まだまだ例示は尽きないが、結局お前のうんちく垂れ流しで何が言いたいんだ、と言われそうなのでやめとく。

 

要は音楽、とくにロック音楽は「この曲いいな」と思う快楽を与えるだけの存在でなく「音楽を通して自分は何がしたいのか」という発露である事が重要なファクターなのだと言いたい。EDMやインストが悪いとかそういうことじゃない。それはあくまで表現方法の差異であって、僕が危惧するのはただ考えもなく「歌詞なんか意味がなくてもいいじゃん」「ノリと気持ちよさだけがすべてでしょ」的リスナーの風潮に対しては、正直クソくらえだと僕は思っている。

 

主張したいことがあるから、音楽をやる。この世界を変えたいから音楽をやる。そう思って楽器一つ担いでる人がこれまでにどれほどいたことか。では、政治性とは何か。それは「何かを変えたい」という感情であり、その発露が音楽であったとしても何も不自然なことはないと僕は思う。また、人間の本来の在り方を示そうとして、音楽をやる人が、表現として宗教的になることも同様だ。本来のノンポリ、無宗教とは、本来あるべき人間の姿を考えた末にそこに辿り着いた主義を言うのであって、初めから何も考えないことはノンポリでも無宗教でもない。単なる人との摩擦を恐れただけのサボタージュだ。

 

今回の「ロックフェスが反体制的で引く」っていう論調には、あまりにも「政治」「宗教」を狭義かつ卑屈にとらえており、この国では徐々に芸術全般の享受すらできなくなるのではないかと恐ろしくなったのだ。きっとこの調子でいけば、アニメ作品もそう、漫画もそう。「民主主義?戦争反対?バカらしい。もっと現実を見ろ」いや、それこそ思考停止そのものだろ、と。だからジョンはイマジンを歌ったんだろ、想像しろと。

 

民主主義、デモクラシーとは本来、国民が何かを変える気概を持つ前提に成り立つ政治体制だ。ことなかれ主義、ないがしろ主義のこの国では、何かを主張することすら角が立つ。ロックのファンすらそんなことを言い始めたら、もうおしまいだと思う。ロックが押しつけで何が悪い。だったら、お前は何を主張する。カウンターカルチャーに対してカウンター出来ない時点で、ロックを聴く資格すらないだろうと、そんな青臭いことを考え、一気に文章にしてしまった次第。でも、本当に何も主張しない、快楽だけの音楽。そこに果たして、感動はあるのだろうかと。

 

てことで、つらつらとこんな夜中まで起きて、バカみたいだ。たぶん翌朝みたら後悔する気がするけど、オナニーだと思って流してほしい限りです。