わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

にわかよ、古参を殴れ。古参よ、にわかを潰せ。–シン・ゴジラからのオタク考−

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田舎のローカル線に乗って、1週間くらい誰ともしゃべることなく田舎の空だけ眺めていたい。

 

しばらく前になるが、僕もようやく「シン・ゴジラ」を見てきた。いやぁ、これは下馬評通りたしかに面白い。そして語るべき点も多い。過去シリーズとの比較、庵野監督の原始的な衝動、エヴァとの関連、俳優陣のキャスティング、日本という国家観への言及、核保有へのアイロニー・・・あぁ、何か僕も言いたい!自分の見識をひけらかしたい!!

 

よしそうだ、ブログにでも撒き散らしてやるか!!と息まいてみたけど、これ見てすぐやめた。

 

www.sankei.com

 

語っちゃったよ。樋口監督、庵野総監督を語っちゃったよ。これやられたら「シン・ゴジラ語りたいオタク」の立つ瀬がないよ。だって、本家が事実として舞台裏を語っちゃったら「きっと庵野総監督はこういう考えで!」「いやそこで樋口監督が!」とか延々妄想で語りあう、オタならみんなやるオナニー行為「裏舞台の身勝手考察大会」の楽しみが失われてしまうのである。(と勝手に思ってる)

 

いや、確かに舞台裏妄想もそうなんだけど、先の記事読んだ後だと、作品について何を言っても「まぁ、いろいろ議論は尽きないけれど、結局この感動は樋口監督の調整力と庵野総監督の推進力の賜物だった」でなんとなく結論が付いてしまう気がする。悔しい。僕もバシっとクリティカルなこと言いたい。

 

ただ、無理に抗って言葉を吐いてみたところで

「ゼネプロ作品語りの何番煎じですか?ww」

「平成28年にそんなレビュー?wwDAICONからやり直せよww」

「八岐之大蛇はちゃんと見たの?ゴジラ語りはそれからっしょ」

みたいな架空「ゼネプロからちゃんと庵野チェックしてたうざい古参勢」の煽りが幻聴として聞こえる。そういう病気なのだ。

 

しかも現在、僕は28歳。庵野秀明関連作品をドヤ顔で語るには非常に微妙な年齢のオタクである。DAICON3なんぞ生まれるはるか前。トップの年に生誕、エヴァ本放送は小学生低学年。ただそうは言ってもオタクの血筋。新劇場版よりは前に何かしらでエヴァに触れてしまい、綾波のエロ本を漁り、セガサターン版各作品にはそこはかとない違和感を感じ、パチスロブームでは「ケッ、TVアニメ版も見てねえくせに」と陰口を言う。拗らせた挙句、上の世代には嫉妬をし、下の世代には悪態をつく、上下年齢層を勝手に敵視しだす最悪なハンカチ王子世代なのである。(個人的な問題の可能性もあります)

 

ただ、必死に自分を擁護するが、この「世代による対立構図」というのはオタクにとっては必然であり、元来オタクは争うことを辞められない戦闘民族であると僕は思っている。

 

自分フォロー必死すぎwwとか笑う人もちょっと考えてみて欲しい。例えば、貴方は自分の琴線に触れるロボアニメ作品に出会ったとする。次々と強大な敵を破り、戦場に散っていく仲間たち。そして残された主人公はひとり敵の本体と対峙する。倒そうとするも、そこで知る人類の本当の立場。果たしてこの戦いの意味は・・・。「なんていう作品だ・・・自分の人生観をも変えかねん・・・」そんな感動に打ちひしがれている中、そこに上の世代のオタクがやってきて一言。

 

「なんだよ冨野御大っぽいなぁ。ザンボット3そのまま焼き直しだよね。」

 

どうだろう、無性に殴りたくなってきただろうか。今度は逆にしてみよう。今、深夜帯では数えきれないほどのアニメが放映されているが、その中のひとつをあなたは視聴したとする。緻密かつ悲劇的な展開、見どころは確かにあるが、どうも見たことあるプロット。それをツイッターで実況しているであろう高校生オタが一言。

 

「こんなアニメ過去に絶対なかったわ。SFジャンルでも最高傑作だろマジで。」

 

どうだろう、クソリプを飛ばしたくなってきただろうか。そう、この時代。老いも若きにおいてもオタクという存在が出現してきた為、SNSという空間はいわばオタクにとって世代間のバルカン半島の様相を呈してきている。

 

そして、2016年。この白熱する火薬庫にブチ込んできた「シン・ゴジラ」という「庵野秀明発」「1stゴジラリメイク」「東宝バックアップ」「アフター3.11/原子力」という"邪悪な"要素を包括するキラーコンテンツ。「咲-saki-」で言うなら、リーチ一発ツモ平和純全三色一盃口ドラ3であり、否応なしに「よろしいならば戦争だ」なのである。

 

勘のいい読者なら「シン・ゴジラ」レビューは手垢が付きすぎてるだろうから話を逸らして、オタク全般の話にしようとしている節が感じられるだろう。うるさい黙れ。僕は、もっと世代間交えてオタトークで殴り合った方が楽しいよと、それが言いたいだけなのだ。

 

 

先日、そんな悶々とした「語りたい欲」を抱えたまま、この「シン・ゴジラ」の感想について敬愛する先達オタ、T氏と一戦交えた。40代の氏は特撮には一物抱えた歴戦であり、ゴジラシリーズは特に強い。逆に特撮に疎い僕が隙をみせたらまず勝ち目(?)はない。更に庵野語りなんか持ち込めば、世代的にボコられるだろう。なるべく本筋は通らず相手の懐に入りながら、自分のテリトリーに持ち込んでいくことにする。

 

僕「昔「大怪獣、東京に現る」って桃井かおりの映画ありましたよね!全く怪獣が出てこないB急映画。コメディなんですけど福井県っていう遠隔地からの視点が面白くて。あとは西島大介の「凹村戦争」って漫画。現場から遠いという舞台の前提は同じ、村から見えない都市が宇宙人に攻められるんです。こっちは主人公が現場を知ろうと閉鎖空間から立ち上がる話なんですが、東京中心の見方と地方からの見方、双方を併せて考えるっていうのも、リアルなSFの楽しみ方としてアリと思うんです!」

 

他ジャンルの作品提示と、穿った観点で主題をずらしながら殴りかかるクソサブカル討論の常套手段。それに対してT氏。

 

 T氏「確かに面白いなぁ、でもね。「ゴジラFINAL WARS」出てくる北村一輝とドンフライがね〜」

僕「(北村一輝とドンフライ?!)」

T氏「あと特撮モノって結構、東京の銭湯が出てくるんだけど。それを廻るの好きなんだよね。たしかゴジラでも〜」

僕「(銭湯?!)」

 T氏「まぁ、何はともあれこうしてみんながゴジラを見てくれるっていうことが幸せだよね」

僕「(菩薩かよ)」

 

北村一輝とドンフライと銭湯。関係ないルートからあっけなく単語3つで潰され、またオタとしての度量の広さに太刀打ち出来ず。まさか「シン・ゴジラ」トークににそんな観点が。やはり年長生粋オタは強い。想像を超えてくる。だからこそ話してて面白い。

 

そんなやりとりを終え、一人飲み屋から帰る。

 

T氏が言った「みんなが見てくれるだけで幸せ」この言葉の意図が引っかかり考えていた。確かに、単純に自分の好きなジャンルが広まったら嬉しい。それはマイナーカプを推す腐女子なら容易に理解できる筈だ。

 

ただ、ここから僕の推測だが、それ以上に「ゴジラという本来、当時しか得られなかった「トラウマ」を、今の人も追体験出来るという事が、彼にとっては嬉しいのかもしれない。

 

生まれた時代というのは、すべての人にとって避けられない問題だ。あの頃生まれてれば、あの感動をリアルタイムで経験できれば。逆に、今のデジタルネイティヴに生まれていれば。生まれた時代からネットがあれば。この手の「たられば」は、オタクであれば、尚更、感じることも多いだろう。

 

ただ以前、こちらも尊敬する別の先達オタの知人K氏がこんなことを言っていた。

 

「俺らは雑誌ならOUTだったり、色んなゲームの黎明期だったり貴重な時代を過ごさせてもらったと思ってる。でも、今の中学生にも嫉妬するよ。「シン・ゴジラ」を中学時代に見れるということに」 

 

オタクというのは、ある種根本的なトラウマを抱えている。主に思春期に「なんだこれは」という衝撃を喰らっている。「イデオン」「ビューティフルドリーマー」「パトレイバー」「ガルパン」・・・そして生まれた時代によってそれは異なる。しかし、今回庵野総監督は、世代を乗り越えて「ゴジラ」を今生きるオタクのトラウマにさせた。T氏の喜びは、こういうところにもあったのかもしれない。

 

今の中学生が、本気の目で「シン・ゴジラ」の魅力を語ってきたら、僕はどこまで語り返せるだろうか。

 

ネットにより情報が溢れてる昨今。にわかはいつだって古参を殺せるし、古参はそれを全力で叩き潰さなければならない。そうすればきっとオタクは、時代を超えて無限に楽しめる。「シン・ゴジラ」から、オタクとして作品を楽しむ可能性を考えさせられた今日この頃でした。