わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

Vtuberと「中の人」の距離感について

先日Vtuberアイドルプロダクションのホロライブにハマった、というエントリを書いた。日々エンタメとして享受するだけでなく、仕事だったり作業をする際のBGMにもなる辺り、単に「沼」という表現より、生活の一部になったと言って過言ではない。

 

かつてキズナアイやらミライアカリなんか一部配信を見ていた気でいたものの、いつの間にか世の中は進んでいたようで。お前が世間から遅れているだけでは、と言われればその通りなのだけれども、諸々配信や切抜き動画を通して、ホロライブに限らず、にじさんじ、そして個人で展開しているVtuberも多い事を改めて実感として知った。

 

僕に限らず、誰もがYoutubeをチラッとでも覗けばわかる通り、それらVtuberに関連した動画は既に巨大コンテンツ群となっていることは間違いない。また配信者はプロに限らず、ちょっとした知識と設備さえあれば、誰もがアバターを持つことが可能だったりして、参入ハードルも高くない。Vtuberという枠組みが活用されながら様々なジャンルの動画が展開しているというのが、昨今の情勢であるようだ。

 

確かに「配信してみたいけれど、顔出しでのYoutuber参戦は流石に」という心理的な抵抗感をなくすのには、アバターを使って、キャラクターとして配信を行うというのは、今の時代において自然な選択のように思える。例えば仕事をしながら片やアイドルとして活動したいという場合、この仕組みは機能的に作用する。個人がメディアを使って個人にアプローチすることが容易になった現代。VRアバターというのは、ちょうどいい空間を作り出す的確な手段となっているのだろう。

 

ただ、日々動画を視聴したりする中で。ふとした疑問というか、違和感のようなものも感じたりする。以上書いてきた通り、VRアバターというものは、自己開示をしたいという欲と、自らの顔を晒したくはないというリスクヘッジの、微妙な隙間を埋められる概念ともいえる。それだけに、プロアマ問わずそこには思った以上に様々な心理的要素が絡むのではないかと考えたりする。

 

詰まるところ、自分であって自分でないものとの距離感の話だ。以下、ペルソナ的な話題になっていくけれども、インターネットやSNSが普及していく中で、これに限らずネットとリアルのバランス感覚は多くの場所で求められるスキルになってきている。例えば、SNSで普段から表明している考えや意見は、学生生活や社会人生活などリアルな場で表出させていい感情ではなかったりする。半面、飲み会などリアルな友人関係だから言えることであっても、ネット上において書き残すと炎上のリスクを孕む言葉も存在する。

 

TPOと言えばそれまでなのだけれども、過去の時代よりも遥かに高度な領域で、自分の存在している場に沿った、自分を適当に作り出すことが求められるわけだ。Twitterが生まれて10数年経ち、iPhoneを片手にネットと繋がる生活はもはや日常化しているものの、このネットとリアルが絡みあう状態というのは、やはり複雑な「自我の調整」を強いられている時代であるとも言える。

 

ではそんな中で。VR、仮想現実におけるアバターとしての自分ってどこにいるんだろう。Vtuberの活躍を日々見続ける中で、ふとそんな疑問が過るようになっていた。いわゆる「中の人」という存在は、人間の精神性になじむものなのか、という違和感である。勿論、この「中の人」という概念は演劇の世界などにおいても、往々にして過去から存在しているものだ。声優や着ぐるみショーといった世界でもよく聞く話で、表出されているものを裏から演じる役割や概念は、何も新しいものではない。

 

しかしながら、昨今のVR文化と異なる点は「中の人」が完全に演じているか否か、という点だろう。Vtuber文化はかなりその本質が「中の人」当人に近い。完璧に演じる事が求められるというよりも、本人のパーソナルな面がキャラクターの後押しとなり、見る人が完成されたアバターとして認知する仕組みになっている。冒頭から書いている通り、僕自身が一瞬でこの沼に落ちたため、未だにこの「キャラを見ているのか、中の人を見ているのか」という文脈に慣れきっておらず、たまに軸がブレたタイヤを見るような感覚に陥る。

 

恐らく、こうした「中の人」+「キャラ」という認知方法も慣れるか否かという話だとは思う。消費者サイドとしては、そうした違和感もコンテンツを接種していくうちになくなっていくことだろう。しかしながら、その認知を受ける側というのは、整合性がつくものなのだろうか。勿論、当人であることを明かして、VRアバターをあくまでも自分の分身と位置付けていれば話は別である。僕がウダウダ気にしているのは、ほぼ自分のパーソナリティを持った外郭=キャラだけが認知され、人気を得ていくという乖離性についてだ。

 

合理的な欲求に対する行動として、称賛や人気を得たければ、それに見合った成果を残す必要がある。その成果の為には、当然のことながら努力や忍耐が要る。自分が誰かからの承認を望み、その過程をしっかりと踏まえ、残した結果。その結果である称賛を得るのが、自分に近いが、明確に自分ではない何かだとしたら。身体性を持ったリアルな自分には一体、何が残るのだろうか。ふと、そんな想像をすると、うすら寒い気持ちにならないでもない。

 

外部から見た存在が、余りに「中の人」のパーソナリティによって出来上がっているとき。自分と外部の認知のズレに、人は耐えられるのだろうか。心理学上でも、余りに完成されたペルソナは潜在意識との折衝において、様々な問題を引き起こすという話を聞く。VRというペルソナと「中の人」の自我の間において。その衝突がより分かりやすい形で、表出されはしないだろうか。こうした自己認知の歪み、僕のぼんやりとした心配はそういう所にある。

 

Facebookが社名を改めメタバースというVR空間を提供する会社へ舵を切った、というのもネットでは最早手垢がついた話題だ。一般的な市民が匿名性あるVRアバターを使い、社会で生活する物語は既に数多く存在している。SF的な想像の世界で言えば、今はありふれた設定の延長として、エンタメが想像力に追いついてきていると言えるだろう。そして、恐らく我々一般市民もこの想像力の延長に立っているのは確かだと思う。

 

今、活躍するVtuberたちは、我々が今後経験するかもしれない「中の人」と「アバター」の歪みを、先んじて体感しているのではないか。リアルな身体に返ってこない反響を、心はどう処理しているのだろう。好奇心と不安半分、そんな事を考えたりしてしまう。

 

日々、配信として当たり前にみている光景も、かつて人類が歩いたことのない場所だったりする。果たして、そこは人にとって安穏な土地なのだろうか、と妄想をこじらせるのは、やはりSF好きの悪癖なんだろうか。純粋にいちファンとして、種々の配信やコンテンツを楽しみながら、ふと思い浮かんでしまった独り言でした。

1週間でホロライブという沼にハマるまで

年齢のせいなのか、何かにとことんハマるという体験がとても有難く思う。
 
この頃、趣味全般に対する興味関心は薄くなり、何をしていてもどこか上の空という気持ちが支配的になる中。わずか1週間ながら、動画の視聴を延々繰り返したことにより脳内で「こんぺこ~」という声が延々再生され続けるというのは、何か脳の病気か、純粋に沼ったかのどちらかと言える。
 
ホロライブというVtuberプロダクションの動画にハマった。自分でも驚くほど。いや、どうせすぐ飽きるのではないか、という疑いはあれども、今高まっている熱量は文章にしてしまった方がいい。ということでタイトルの通り、書いていきたい。
 
きっかけは先週。「ホロライブ飲みをやるから来てね」という友人の誘いだった。さも僕が、ホロライブというものを好きかのように話は進められるが、さて、ホロライブとは。ていうか、何を指す単語なのだろう、ラブライブの続編だろうか。いくつか脳内で候補を挙げては首をかしげていると、友人からフォローを入れるように通知が入る。
 
Vtuberにハマっててさ」あぁ、Vtuberのことなんだ。まぁ、よくわからないけれど、酒が飲めるなら行くか。そう考え、適当に「分かりました、調べておきます…」と返す。これが11月2日、つい一週間前の出来事だった。
 
ていうか、何故僕は誘われたのか。そういうのは本来、既にハマっている人間同士が盛り上がりたいという意向でやるもんだろ。と内心文句半分、何も知らないまま盛り上がられても癪なので「ホロライブ」Youtubeの検索バーに記入する。
 
今思えば、おススメ動画も何もなく、とかく「学んで来い」という相手の姿勢がよくなかった。逆に反骨心というか、変に負けず嫌いな性分に火をつけられてしまう。昔から天邪鬼な気質で、丁寧なおススメプレゼンテーションには逆に足元を見てしまったりするが、勝手に学んでね、という姿勢にはむしろホイホイ自分から首を突っ込む習性がある。オタク特有の自滅気質である。
 
いくつか動画を見て、コンテンツを調べていく中で、少しずつ概要をつかんでいく。なるほど、ホロライブってのは事務所の事なのか、ていうかかなりメンバーいるんだな…と軽く放心しつつも、おススメ動画を漁ってみる。数多くの配信切り抜き動画がある事は理解したものの、どれを見ればいいのか分からない。
 
キャラの数も多い上、「分かりやすい」「笑える」と銘打たれたシーンを見てみても、各キャラの前提知識がなければどれもイマイチピンと来なかったりする。詰まるところ、数年経過したコンテンツであり、それぞれのキャラ個性や関係性について、文脈が出来上がってしまっているらしい。それを踏まえなければ心から楽しむことは出来ない、という微妙な敷居の高さが存在するようだ。
 
学ばざるは、楽しむべからず。まぁ、そんな事は言ってないんだろうけれど、さっき事務所の名前を知った様な、ズブの初心者には多少の抵抗感があったのは確かだった。と、ここで心が萎んでいれば、こんなことになっておらず、やはり悪い癖で、どうも悔しくなってしまったのである。絶対に面白いと感じる所まで行ってやる、と意気込んでしまった。やはり完全に自滅である。
 
また、それら切抜き職人によって上げられている動画の数々は、質が悪いことに「これ知ってれば更に面白いのに」みたいな、予備知識の大切さを動画の中でこちらに醸してくるのだ。手っ取り早く現在最も有名であろう兎田ぺこらの実況動画を見ていれば「同期のメンバーや関係性を知っていたら尚の事面白いのに」みたいなことを仄めかしてきたりする。
 
更に、同期がいるという事は、先輩や後輩がいるという事で「さくらみことのコラボではこんな一面があるよ」とか「大空スバルとやるとこんな感じ」とか。油断しているうちに、コラボ相手の事を知りたくなり、そちらのメイン配信を見だす。そちらのメイン配信にやってきたコラボ相手が気になり、また覗いてみる…
 
以後これの繰り返しとなる。ここまで堕ちれば、もう逃げられない蜘蛛の巣が完成しているんだなと、自分で書いていて思った。いくら掘り下げても、動画は尽きることなく湧いてくる。どう足掻いても、絶望なのだ。
 
必死に学んだ末、迎えた飲み会。約30時間で得た知識ながら、現在の推しは淡々とした猫叉おかゆと、その対極にいるやかまし可愛い大空スバル。そのチョイスに多少引かれる始末。過去には催眠音源にハマっていたこともあり、ASMRに全く無抵抗で没入できる自分の素質が功を奏したようである。加えて、日々寝る直前まで動画視聴に勤しんだ結果、この日曜日は深夜までぺこらの声が延々脳内に鳴り響き、ついには不眠に陥り、最悪なテンションで今週の月曜を迎えた。何事も程度というものがあることを久々に学んだ気がする。
 
これ以上今ハマりかけているコンテンツの内容を、あの子がどうだとか、あの動画がどうだとか、にわかが宣うのも気が引けるのでやめておきたい。いや、めっちゃ語りたいのだけれど。それにしても、あまりにも一瞬で沼に落ちたため、正直言えば自分でも何が起こったのか判別がつかず、このような文章を残している次第である。やはりコロナ禍において、不足していたコミュニケーションやら、純粋に楽しそうな会話やら。そういう要素が、Vtuberというフィルターを通して入ってくることが心地よかったのかもしれない。
 
どうしても昔から三次元アイドルには没入しきれずにいた。楽曲は好きでも、とことんアイドルを推す、ということは何か自分の中で阻むものがあった。押すべき対象というか人間が見えすぎると、どうしたってメディア露出は増え、余計なモノまで見えてしまうし、見ようとしてしまう。恐らくながら、Vtuberという届きそうで、絶対に届くことのない距離感。ガチ恋勢には忍びないが、これが僕にとって心地のいいモノだったのだろう。そして、ここまで文化が成熟して人数も増え、ソロ活動というより仲間がいて、その中でわいのわいの盛り上がっている様子を見ることが、今の自分にとっては心の清涼剤になり得たのだと思う。
 
今後、どれだけこの沼に浸かっているかは分からないけれど、少なくとも今頭の中は、配信を見ていたいということで占められている。ころさんの復帰を祈っている。何か中高生の頃に楽器にハマったり、エロゲに没頭したり、というあの片鱗を再度味わえているだけでも、感謝したくなる、というのはやはり歳のせいなのか。しばらくは楽しみたい所存です。

コミティアに参加して同人即売会という場所を思い出す

少しずつ感染状況も落ち着いてきている中、コロナ禍の空白を埋めていく。しばらく、そんな記事が続きそうな気がしている。今回もそんな話。

 

そういえば、少し前の話になるけれど。9月に青海展示場で開催された秋のコミティアに参加した。参加、とはいっても一般参加で覗きに行った程度の話ではある。同人誌即売会へ足をはこんだのがかなり久々で、気づけば2019年の年末のコミックマーケットに自分が同人誌を最後に出して以来だった。2年弱もの間、即売会に行かなかったのは、高校時代からコミケに通い始めて、初の事だったと思う。

 

いわゆる同人活動。自分で書き作る本を、自費出版して売る。僕はこの営みにどうしようもなくハマってしまった。中学の頃から「何か面白いものはないか」と書店に通うのが好きだった自分は、いっそ自分で企画できる、という輝きに魅せられ、案の定その趣味に没頭していく。

 

そして10年。気づけば20代のほとんどをそのような酔狂な活動に費やしてしまった。まぁともかくそれだけ長い間、本を作ることを趣味にしてしまうと、ほぼ本を作ることが日常化してくるもので。お盆と暮れに開催されていた年2回のコミケに毎度のように本を出していたから、1年中、同人誌の企画を考えるか、作業をしていたような気がする。

 

もはや「本を作る」という謎の使命感に突き動かされていたわけだが、実際純粋に楽しいと感じるのはかなり短い時間だったりする。企画を立てている時、脱稿した日、後はイベント当日くらい。僕が発刊していたのは対談雑誌だったので、作業内容として協力者探し、アポイントから文字起こしに校正と、そんな業務然とした作業に追われていた。

 

ふと20代も後半になると「このまま続けていると、この人生同人誌作りだけで終わってしまうのでは」そんなバカみたいな恐怖心もあって、一旦活動を停止してみた訳だが、そうこうしているうちに、同人誌を作ることはおろか、同人誌即売会を行うことすら難しい世の中になっていた。

 

ルーチンで続けていたことは一度手を止めると、再開するのにかなりのエネルギーがいる。それは、自分のやっていたことを変に客観視しすぎるからだと思う。よくそんなことやっていたよな、と今では感じたりもする。再び何か企画を立ち上げようにも「そこまでの苦労をかけてまで、するべきことなのか」と冷静な自分が後ろ髪を引っ張り始める。よくよくその説得に耳を傾けると、至極真っ当だったりするので結局、浮かんだ企画は頭の中のゴミ箱に投げ捨てられる。

 

この2年ほど、色んな思いつきが幾度ともなくゴミ箱へ投擲された。果たして、この現象を老いと呼ぶのか、あるいは青臭い時期を抜けて思考が大人になったと考えるのか。その判断はさておいても「自分で本を作って売る。」2年間も時間を空けると、その過程が大それたものに思えて仕方がなくなっている。

 

そんな中、ふと何の気なしにコミティアに参加した。コロナで縁遠くなっていた光景。久方ぶりにあの無機質に並べられた机の上にある、いわゆる薄い本を見た。そして、その本の奥には本を書いた人間が鎮座している。同人即売会では普通の眺めなのだけれども、改めてその状態を目にしてみると異様に映った。自分が作ったものが目の前にあって、それを本人が売る。

 

本屋、八百屋やら家電量販店やら、どんな小売店を思い浮かべても商品とセットに生産者が揃っているという状態はあまり一般的ではない。しかも、自分の頭の中からアイデアを取り出して作られた同人誌である。その当人の分身とも呼べる創作物を当人が売っている訳だ。いや、自分だって長いこと同じ行為をしていたのだから、何も違和感などあるはずないのだけれど。

 

そして、本を購入する側の僕も臆面もなく、気に入った絵柄や企画を目にすれば「読んでみていいですか」と本人に声をかけて、本を手に取る。気に入れば購入する。そんな即売会では当たり前のやりとり。それでも、この営みは狂っている。やはり何か、日々仕事をして、家に帰るだけの日常にはない感情を思い起こさせてくれる。

 

先も書いた通り、同人誌を作らなくなって現れた「冷静な自分」によれば、自分の考えや創作欲を外部に晒すのってどうなんだ、と言う。どこぞのおっさんでしかないお前が、必死に足掻いてモノを作る姿も滑稽だし、成果物に関しても需要なんてあるものかと。このブログ記事を書いていても、頭の片隅で常に批判を投げつけてくる。

 

ただ、コミティアで自分の本を前に座る創作者の列を見て。やはり、そちら側に座っていた自分の気持ちを思い出し、そうありたいという気持ちに気づく。特にこのコミティアというイベントは創作オンリーだ。二次創作を批判したい訳ではないのだけれど、創作物に作った本人が投影されやすい。言ってしまえば、リスクが高いとも言える。もしそれが批判されれば、まさに自分が批判されるのと同意義だったりする。

 

ある意味で、彼ら、同人作家は勝負している。作画や企画に長い時間をかけ、安くない印刷代を払い、本を作ってイベントに参加している。趣味でそんなリスクをとること自体、ぶっちゃければ滑稽だ。分かっているのに、何かそちら側に惹かれてしまうのは一体なんなのだろう。何か、制作物を作る彼らの姿が誇らしげに見えるのだった。

 

悶々とした気持ちと、リュックサックに溜まった本を抱え、帰路につく。家で買った本を捲りながら、やはり同人誌が好きだと思った。そして、買う側で満足出来るかといえば、そうでもなさそうなのである。もう一度、この紙の束を自分で作ってみたい。誰から笑われようが、指さされようが、手を動かしていたい。一体自分に何の得があるのか、理屈で理性に説明をしたかったが、結果が決まっているのだからそんな面倒なことをする必要もない。

 

リハビリがてら、過去に作った総集編にしてみようかと思っている。多分、来夏あたり。形になればいいのだけれど、と不安半分、楽しみ半分。本来、創作ってもんは独りで、自分の意思で、救われていて…とか言いたいのだけれど「やっぱ、みんな楽しそうだから」という、身も蓋もないきっかけで復帰しそう。

 

まぁ、力みすぎる必要もないわけで。ふと思いついたことは、やはり形にしてみよう。そんな事を思った秋晴れの日でした。

松坂大輔と斎藤佑樹が引退することについて

ここでは、ごくたまに野球のことを書いたりもする。野球ファンというだけでなく、実際に小学校から高校まで、プレイヤーとして案外真面目に野球に取り組んでいた過去がある。「体育会系にまるで見えない」とよく職場でも言われるけれど、中学高校と都大会でそれなりなところまで進んだりもした。

 

その後、特定の球団を応援したりはなかったけれど、テレビで試合が放映されていればチャンネルを合わせるし、野球選手のYoutubeチャンネルなんかもよく見る。特に今年なんかは大谷サンの大活躍を都度動画でチェックしたりとなかなか楽しめた1年だったように思う。

 

そろそろ本題。今年をもってプロ野球界を2人の投手が去ることになった。1998年の甲子園で大活躍し、鳴り物入りで西武に入団。その後23年間のNPB、MLBでの生活を経てから、とうとう今年引退を選んだ松坂大輔。一方で同様に2006年、夏の甲子園早稲田実業を優勝に導き、高校生ながら完成された投球でその後を期待され、大学卒業後プロに入ったものの、なかなか結果に恵まれなかった斎藤佑樹

 

当たり前だが、この二人の成績やら投球どうこうを比べようという話ではない。ちょうど僕が野球を始めた時と、野球を辞めた時、甲子園で脚光を浴びていたこの二人には、なんとなく思い入れが生じてしまった、という僕の個人的かつ主観による、ちょっとした思い出話である。

 

先にも書いた通り、自分もかつては野球少年で、僕でなくともそうだろうが、この2人の投手の甲子園での活躍はとても印象的だった。というのも、平成の怪物こと松坂大輔が甲子園で大フィーバーを果たした1998年。それは僕がちょうど野球を始めた頃であった。僕の親父は、団体行動が苦手で野球は嫌いだった為、野球を僕に勧めることはなかったが、子供は勝手に育っていく。ルールは勝手にパワプロで覚え、大まかなスポーツとしての魅力はドカベンで知った。

 

こんなにわか少年にも、当時の松坂の活躍は鮮烈だった。画面でわかるほどの圧倒的なストレート、ストライクからボールゾーンにまで曲がる高速スライダー、更に打者を翻弄するチェンジアップ。投手ってのはこういうものだ、と試合を見るたび投球で示されたような心地がした。プロ入り後も鮮烈なデビューを果たし、イチローとの初対戦などは未だに脳内でプレイバック出来る。同年巨人に入団した上原浩治とともに、新人王を獲得。思い返せば一番、僕がプロ野球に没頭したシーズンだったと思う。2人の投手の活躍を見て、しばらく後には僕も投手を志望することになる。

 

そんな原体験から野球を始め、結局僕は、高校卒業まで野球を続けることになった。やはり、野球が楽しいだけの小学生時代から、中高では基本週6での練習が続く。もちろん練習するほどレベルは上がっていったけれど、オフもほとんどない生活。流石に自分で選んだ部活でも引退が待ち遠しくなるもので。

 

そして2006年、高3の夏。僕らは大会に敗れ、ある意味待ち望んだ引退を迎える。安堵と感傷、そんな微妙な気持ちのまま、すぐに夏の甲子園が始まった。そこで同い歳の高校3年生として躍動していたのが、上で挙げた斎藤佑樹と現楽天田中将大だった。

 

あの夏の印象だけで言えば、ボールに勢いがあったものの多少粗削りな印象を覚えた田中に対して、斎藤の仕上がりはほぼ完成されていたと思う。コースをつく140キロ後半のストレート、少ない四死球、緩急を使って打たせて取るピッチング。早実駒大苫小牧の決勝、そして決勝再試合などは未だに甲子園の歴史において語り草になるほどだ。万が一、僕らも勝てばそこに進めたかもしれない場所で、その2人の投手はとかく輝いていて、最後の栄冠は斎藤佑樹が手にした。

 

思えば「ハンカチ王子」という名も今となっては死語なのだけれど、当時は「王子」という呼称に相応しいオーラが彼にはあった。何なら、夏の甲子園を一度でも志した高校球児として、欲するものが全てそこにあったのだと思う。僕はその夏、そんな高校野球の完成体を眺めながら、わずかな羨望と共に、8年間に及んだ野球人生に一旦の幕を閉じた。

 

そして、現在。その夏から15年が経ったことになる。僕が野球を辞めて、普通の会社員として働いてい今に至る間、松坂と斎藤はそれぞれ全く異なる道を歩んだ。一方は栄光と挫折を繰り返し、引退の際には「最高な場所とどん底を味わった」とコメントする。一方は鎌ヶ谷での2軍生活を続けながら、活躍の日を滾々と待ち続けていた。

 

それぞれが高校時代そのままに、栄冠だけを得られるような15年ではなかったように見える。苦労しながら、彼らも野球人生をここで一旦終わらせる。とうとう、僕にとってはプレイヤーとして最初に憧れた投手と、最後に羨んだ投手が球界からいなくなってしまう。それぞれ、いちファンとして傍から眺めていた身としては感慨深い。

 

小学校時代に特に何も考えず、将来の夢には「プロ野球選手」と書いた身として、その安易さが今になって多少恥ずかしくなる。やはり、スポーツってのは勝負の世界であり、結果がすべてと言うけれども。思い入れのある選手に関しては、色んな葛藤を想像しては、全ての過程に心からお疲れ様と言いたい。

 

どんな選手が、どんな成績で終えようと、プロという厳しい世界において挑戦し続けた事実に対して、そこには確かに憧れや羨望が存在したことは忘れてほしくないものだなと独りよがりに思ってしまった。

 

大人になってミニ四駆を組み立てて思うこと

ここしばらく。前も書いたかもしれないが、コロナ禍状況でこう日々に抑揚がなくなると、取立ててブログやらネットに書くこともなくなる。休日もぼんやりと家で嫁はソシャゲ、僕は格ゲー。進みもせず、後退もしない。「平日は仕事だけ適当に済ませ、他に何もしていない日々」がずっと積み重なっているだけのように感じられてしんどい。無力感にとかく潰されそうだった。


ただでさえ根暗なのに、社会情勢によって更に根暗に磨きがかかっては溜まらない。ちょうど一気に寒くなったところで、久々にブログでも書いてみようと思った。とはいえネタがなくては、何も書けない。「最近何もしていないしな…」と思いつつ、自粛中に手を付けてみた事をツラツラ箇条書きにしてみたのだが、思いのほかポロポロと挙がってくれる。


なんだよ、本当に周りが見えなくなってたぽい。書き出された項目を眺め、多少は人間らしい生活をしていたのだと、自分のことながらホッとしてしまう。たまに改めて何かを書き出すって大事だなと思った中で。今回は「ミニ四駆」を20数年ぶりに作ってみたという話をしてみたい。

 


80年代以降生まれの男子には説明不要だろうが、ミニ四駆というおもちゃ、言うなればホビーがある。タミヤが製造販売している単三電池とモーターで走る、手乗りサイズのプラモカーだ。小学生のバイブル『コロコロコミック』誌上で10年に一度くらい漫画になり、その都度ブームが起きているようなイメージ。今年で30+アルファくらいの年齢の僕も『爆走兄弟レッツ&ゴー!』という作品で漏れることなく90年代ブームに引っかかった世代である。


数年前からリバイバルブームの兆しがあるのは知っていたし、何度かヨドバシカメラミニ四駆売り場にも足を運んだこともあった。それでも、作ったところで走らせる場所もなく、引いては「買っただけで満足して飽きるっしょ」ということすら簡単に想像がつく。何に背中を押されたわけでもなく、別に手を出すまでもない。と、そんな感じで二の足を踏み続けていたものの、昨今の暴力的な空白時間には負けてしまい。「まぁ、作るだけ作ってみるか」という気持ちにさせられ、とうとう僕はミニ四駆に手を出すに至った次第だった。


今思えばミニ四駆の購入なんて、ヨドバシをふらつく中で抱いた一種の気の迷いだったと言える。但し、きっかけは迷いであったとしても、選んだ道が一本ならば進むしかなかったりする。半ば諦めと共に買うと決めて、マシンとパーツを選ぶ間、既に頭の中には、どのようなマシンに仕上げようか、このパーツ組み合わせると重すぎるか?いや、外観は悪くない・・・という子供の頃抱いていた葛藤と妄想が広がっていた。「ミニ四駆を買う」と決めたわずか10秒後である。即堕ち2コマも笑えない。その瞬間にして、小学3年生以来の気持ちの高まりと向き合う羽目になった。


結局僕が選んだのは「ソニックセイバー」という、主人公兄弟の弟の初代機体だった。王道なチョイス。オーソドックスながら90年代スポーツカーを思わせるフォルムに、あの頃と何ら変わらない高揚感を抱いていることに気づく。元々、小さな頃は車が好きで父親にせがんで毎年モーターショーにも連れて行ってもらっていたくらいだ。GT-RにRX、ユーノスロードスタースープラNSXからフェアレディZまで、国産でも探せば探すだけカッコいい車があった時代。三つ子の魂百迄など言うまでもなく、ミニ四駆の箱を久々手にした時、そんな国産車に憧れていた当時のように、純粋にカッコいいものに触れたという心地を思い出してしまった。


そして昂った気持ちのまま会計に行くと、マシン+パーツ込みで3,000円強だという。あの頃は親に必死にせがんだアルミ大ローラー(600円)すら買ってもらえなかったのに。最早自分が三十路過ぎのおっさんである悲しみを知ると共に、大人の財力の無尽蔵さに感動した。レジ前で謎の無敵感すら抱く始末。これはもうタガを外してしまって構わないのではないかと考えた刹那、その後はもう小学生みたいなテンションで行動した。(結局、工具等揃えるのに1万弱使ったのだけれど)


翌日、新橋にミニ四駆のコースを備えたタミヤの専門店があると知った僕は、早速ランチに出かけようという口実を使って、嫁を連れて新橋に向かう。コースはコロナ禍で予約制となっており、直接見ることは出来なかったが、ヨドバシで不足していたパーツと缶スプレーを購入。また、ミニ四駆用のメッシュ(ネット地の布でボディに穴を空けて、そこに貼る外装用のドレスアップパーツ)が現在生産されていないと知ると、布地のお店で代用のハードチュールを購入。着々と脳内妄想を現実の形にすべく、次々と(嫁の迷惑を顧みず)手を打った。


買う前はアレだけ躊躇していたのも馬鹿らしくなるほど、その後数日間、ソニックセイバーを完成させる事しか頭になくなっていた。「臭い」と苦情を貰いながら、ベランダでこれもまた20数年ぶりに缶スプレーをボディに吹きつつ、自分はなんでこんなに夢中になっているのだろうとふと冷静になる。シンナー臭に頭がぼんやりしながらも、数秒思いを巡らせれば、そんなの既に分かりきった事であった。男なんて、幾つになろうが小学生の頃から本質の部分は何一つ変わっていない。ただそれだけのことだった。


物心ついたかどうかという時から、無性にカッコいいと思えた名車の数々。直接手は届かなかったけれど、その夢がミニ四駆という形になって、自分の手の中に収まった時の感動は、やはり20数年経っても未だに脳内のどこかに根付いている。今、小学生にはちょっと厳しかった改造も容易にこなせるようになり、価格が当時には高すぎたパーツの数々も簡単に手に入る。弱体化したのは部品を落とすと、目がチラチラしてあの頃より拾いづらいくらい。自分の手で、ミニ四駆を完成させるという体験は全く色褪せることなく、あの頃のワクワクがそのまま再現されるからこそ、今大人になろうと手を動かすのがこんなにも楽しいのだ。


と、熱量高く一気に完成まで漕ぎ着けたソニックセイバー。しばらくは眺めながら、写真にとってSNSに上げてはウットリとする日々だったのだけれど、どこか切なさも同時に感じるようになってきた。あれか、作るばかりで、走らせる場所がないからか。新橋はもちろん、ネットを探せば色々な場所にコースはあるようだし、コロナ状況さえ改善して仲間内でも声をかければ、共に走ってくれる知人はいそうである。でも単に走らせるとかそういう部分でもない、何だかセンチメンタルな気持ちに気づき始める。ああ、あの頃と同じ気持ちで作ってしまったからこそ、今俺は大人なんだな、ということに改めて思い至ってしまった、という具合だ。


あの頃は、団地にあったおもちゃ屋の軒で、店主が作ったであろうコースに自分の大事なマシンを持っていけば誰かしら友達がいて。適当に駄菓子食いながら、ミニ四駆走らせて、コースアウトしたなら必死で追っかけて、夕方になったらまた明日、みたいな。そんないい思い出ばかりじゃない。隣の小学校の不良にマシンを盗まれ、自転車で轢いて車体ごと壊されたり、狼やら神風やら違法モーターから煙出して店主にすげえ怒られたりとか。当然、ミニ四駆を通して、大人になった今の楽しさがあるように、やはり当時は当時の楽しさがあったということも、何となく思い出してしまった訳である。


今回ミニ四駆を作ってみて、自分の本質はその頃となんら変わっていないことに気づけたのと同時に、やはり自分は大人になったのだなと改めて当たり前のことを実感させられてしまった次第。


だからこそ、今作ってみたミニ四駆を走らせながら、早く今だからこそ得られる楽しみを味わいたいと思っている。書いてなかったが、その間に気づけば2台目も組み上がっていて、現在3台目を買うか悩んでいたりする。出来上がった機体を飾るばかりでは勿体無いという話もあるので、そろそろ外出できるようになったら、走らせる場所でも探してみようと思う。

 

コロナ禍で得た趣味のひとつの話でした。

 

45歳定年制から考える「会社」って場所

たまには短く時事ネタでも。つい先日、サントリーの社長新浪氏が発言して、ネットでも話題になっていた「45歳定年制」。半ば炎上を伴いつつ、いろんな人が発言していたので、僕も気になってしまった。

 

news.yahoo.co.jp

 

発言の背景は、それだけ定年を早めれば、人は自分の人生についてちゃんと考えるようになるだろうって要旨とのこと。なるほど、新卒で企業に就職して約40年間。その長いスパンをひとつの組織で終えてしまう人は、終えてしまうわけで。そうなると、思考停止やら成長の欠如やら。あるいは雇用コストの増大、向上心の低下と個人にとっても企業にとっても、デメリットが存在するというのは簡単に想像がつく。

 

そうであるならば、一気に定年を早めることで「組織に属さない自分」の在り方を模索してもらおうという意図なのだろう。言ってしまえば副業やら現在一般的となっているテレワーク議論とだいたい同じ議論だ。つまるところは、働き方改革の本質的な部分。企業と個人の程よい距離感を探して、個人にとっては組織に縛られない自由な生き方、企業からすれば新規性や生産性向上を保てるように、お互いにメリットあるシステムを作りましょうって話。

 

新型コロナが流行ってからというもの、ほぼ毎日といっていいほどこの手の話題が目につく。どちらかと言えば革新的な事が好きな身としては、頷きながら読んでいるわけだけれども。どうも、今自分の働いている職場と照らし合わせると違和感しかない。この意識高めな「働き方改革」ってものが、何か今この国の「会社」って場所に対して性善説を抱きすぎているような。そんな、歯に何か詰まったような感じがしていた。

 

そもそも、会社って。一様に、バリバリと自分のスキルや、成果を振り回して「成長を!!」と叫ぶような場所かと言われると、即座に肯定する人もいれば、いや、全然。と横に首振る人もいらっしゃる。僕個人は、どちらかと言えば後者寄りな会社に勤めていて、上の世代を見れば、隙あらば楽な仕事に安住するスキルに長けた先輩なんかもよく見る。あるいは、仕事の合間に長話に興じている女性陣なんかも。

 

先に言っておくと、こんなブログで普段の職場の愚痴を言いたいわけでも、それらを非難したいわけでもない。それは彼、彼女にとって、会社がそういう場所であるのだから仕方のない話だったりする。会社からすれば多少頭の痛い話かもしれない。そうした無駄によって生産性が上がらない、効率の悪い勤務形態が残っている。それは企業からしたら是正すべきものだ。

 

但し同時に、仕事が好きかどうかは別にしても「会社がその人にとって居心地のいい場所」であることは、社員から求められ、会社が提供すべきことだったりする。そして、昨今の世の中。地元地域とのつながりが希薄になる中で、この中高年なる方々の横のつながりを具体的に支えているものこそ「会社」だったりしないだろうか。

 

当然設立間もないベンチャーや、平均年齢が30そこそこのIT企業でこの論法は通じない。どちらかといえば、昭和に設立され未だにその風土を脱しきれず、バブル期の雇用の空気が色濃く残り、昔ながらの商売で何とか糊口を凌いでいる会社を指している。実際、上場企業の従業員の平均年齢は40歳を超える。

2020年3月期決算 上場企業1,792社 「従業員平均年齢」調査 : 東京商工リサーチ

結構、この手の雰囲気の企業ってのは、未だに日本において多いのではないだろうか。

 

今「会社」は一種の社会福祉を担う施設のように思える。賃金が発生しながら、職業訓練の場となり、人的コミュニティを担保する。これが、令和3年における「会社」の実態的な姿なのではと個人的に思ってしまう。テレワークの普及が、逆説的にこれを鮮明化させたとも言える。そしてもちろんだけれど、今30そこそこの自分からしても、単なる「上の世代批判」の話ではない。

 

これから我々が突入する時代も「VUCA」とか言われる通り、まるで価値観の推移が読めなかったりする。仕事に対する捉え方もまるで異なってくるだろう。

 

その中で、そんな社会保障的な役割の企業像って、そう簡単に捨てられるんだろうか。いやむしろ、稼ぎ方も変わり、常に新しい働き方をアップデートしなければならない中、そして住む土地土地での繋がりが希薄になればなるだけ、また自治体のサポートが小さくなればなるだけ、そうした「担保してくれる」関係性に対する希望者が減るとは思えない。企業の福祉化、その風潮はより進んでいくのでは…とちょっと思ってしまった。

 

もちろん、これは業界によって、会社によってさまざまな風土があり文化がある。新浪社長が言ったように、成熟した個人として会社と雇用契約を結び、良き関係性の中で共に成長するというのは理想論だろう。ただ、大きな政府論ではないけれど、今この国の「会社」の実態の6割くらい(適当な推論)は先に挙げたように「賃金の支給」だけでなく「職業訓練」「コミュニティの担保」が従業員への供物となっている気もする。

 

結果、この国の企業は競争力が足りないと言う。新たな新規性のあるプロダクトが開発されないと嘆く記事をよく見る。僕が冒頭に抱いていた違和感というのは「はて、多くの会社、そこに属す従業員がそれを望んでいるのだろうか…」と、とどこか当事者不在でありながら、嘆きのみが拡散される今の状況に対して抱いていたものなのかもしれない。当然、その当事者不在も思考停止の賜物だったりするのだろうけれど。

 

45歳定年というのも、ある種で面白い試みだと思う。実施してみないと分からないこともあるし、今からでも想像つく結末も存在する。確かに持続可能な成長を、とのんべんだらりとしたこの閉塞感を打ち破る意味では必要な施策かもしれない。ただ、今「会社」が担っている本質くらいは、もう少し見据えたほうがいいのではないかなと、そんな独り言でした。

 

『月姫 - A piece of blue glass moon-』をプレイして(ネタバレ)

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家にポスター貼ってるのもどうかと思う。とにもかくにも『月姫』である。そう、日付を超えて本日9/9(水)はネタバレ解禁なのだ。

 

何度でも言うが、リメイク制作発表から12年強待った。それだけの時間をかけると、先月8/26に迎えた本作の発売はもはや奇跡の類に感じる。限定版が宅急便で家に届けられ、現物を手に取った時でさえ、何かの間違いではないかと数度疑ったほど。何はともあれ、4度の五輪を経て、ようやく『月姫』は我々のもとに届いたのだ。

 

延々待ちわびた僕も30を超えたいい歳のおっさんになっていた。もう大人なのだから、ゆとりを持ち、悠然と時間をかけてプレイするつもりだったが、実態は誕生日にでも大好物を眼前に置かれた小学生男子のソレだった。休日とテレワーク、間隙すべてを使いのめり込んでしまった挙句、約4日間で全シナリオを走り切ってしまった。正直既にロスって仕方がない。

 

そして、本日。発売2週間が経ち。ようやくネタバレ解禁ということで自由に文字を書いてしまいたい衝動に任せて今文字を書いている。ネタバレ禁止とはいえ、こんなご時世でなければ、アキバにでも飲みに行って、プレイ済みの御仁と感想合戦を投げ合っていたところだけれども。それも出来ない中、リメイクに対する感謝と鬱屈とした思いだけが募っている。寂しいけれど、今できる最大の憂さ晴らしをしていきたい。出来ることなら、みな早くプレイしてくれ。そして酒でも煽りながら一緒に語りたいのだ。

 

まぁ、前置きはそんなところで。以下ネタバレしかしてないので、未プレイであればスルー推奨です。

 

 

 

なんにせよ、やっぱし全員かわいくなってるよね。冒頭からネタバレでも何でもない、佐々木少年先生のレポ漫画そのままな意見でしかないのだけれど、本当にキャラデザの「残しつつ、今に改める」バランスが最高だと思う。どう足掻いてもかわいい。ショートで身軽になったアルクも、雰囲気が柔和になったシエル先輩も、もう何をしてもブレない琥珀さんも、まだ表ルートだからギクシャクが残りつつも純真な翡翠も、そして悪辣な言葉で兄を叩きのめす妹も。ずっと画面見ていたい。

 

しかも我々プレイヤーに対するサービスもいちいち素敵じゃないですか。そう、衣装のバリエーションですよ。アルクエイドルートでは、戦闘用ドレスやらデート用私服とか、もう童貞を殺す気満々なデザインにしてやられるし、シエルルートは、硬派な埋葬機関の秘密兵器っぷりが増しているしで大満足。

 

正直言ってしまうと、原作プレイ当時シエルにあまり萌えを感じなかった僕が、今回は完全に落とされかけたよね。CVの本渡楓さんの演技も相まって、なんか学生の頃にエロゲやってて感じた、淡い恋心みたいなものの片鱗を、この歳になって食らうとは思ってないじゃん。深夜ディスプレイに向かって「あ、これって恋かも」とか抱きだすアレ。もう絶対思い出したくないと思っていた真っ黒な感情、案の定このリメイクは呼び戻してくれた次第。

 

個人的にはエクストラEDよりも、ノーマルエンドのほうが『月姫』って感じがして好き。あの「もう元には戻らない、けれど進まなければいけない」という姿勢は、原作の鬱蒼とした中二感をくすぐるし、シエルの再生を志し、バチカンで学ぶ遠野志貴とか何それクソほど熱いじゃねえか…と泣きながらプレイ。そもそもこの作品、メインヒロインが「別れ」で終わるあたり本当に面倒な感情をプレイヤーに植え付けるし、あの悲壮さ溢れるシミジミとした空気感、ああ、これこれ型月じゃん!!と夜中1時半くらいに叫びたくなった。

 

そして、新キャラの多さよね。リメイクと言いながら、原作を粛々と焼き直すのかなと思っていたら、またアクの強いが出てくること。しかも、今回はあくまでも「月の表側」と言わんとばかりに、そのバックボーンについて語られたのは一部のみ。遠野家に出入りしている人間はあくまでも「次回」に取っておくこの用意周到さよ。

 

まず協会側の上司に、なんでマーリオゥとかいう、そういうショタを使うんだ武内社長。口の悪いショタ佐倉綾音とか最高じゃねえかと叫びつつ、セリフもいちいち気障ったらしいのが似非イタリア風情を醸してて悪くない。しかもなんだかんだでいいヤツ。当然、思惑に様々なバックボーンを抱えながらもジャパニーズ反社勢力みたいな恩義の感じ方なのは、嫌いになれるはずがないのよ。罵られた過ぎる。

 

そして、あの怪しい医者、阿良久先生なんだけれど。何が驚愕って、CV能登麻美子って。なんであんなハイテンションキャラを能登麻美子御大に任せるかな、と思いつつ、しっかりと物語のエグイところに絡んでくる両面性に納得。締めるところは締める、そのギャップの魅力ね。怪しい注射に、完全に「そっち」を理解した言い回し、そしてチラチラと匂わせてくる蜘蛛のモチーフも解明しないまま、今作は終えたけれど、色々今から解釈を巡らせるのも楽しい時間ってことで。

 

更に、遠野家に顔を出してくる斉木業人。何あの怪人。どうせ見た目だけのモブ枠かなとか思ってたら、分岐ミスると、サクッと後ろから殺しに来る辺り完全に黒。秋葉ちゃん普段からこんな奴と商談してんの?!と驚きを隠せなくなるくらいには、志貴に敵意丸出し。そして、街でたまに顔を合わせる「みおちゃん」だよね。丁寧に分岐を漁っていると、彼女の苗字が明らかになり…え?この子、全身黒ずくめのおっさんの娘なん?!んで、この詳しい話は次回?!モヤモヤしすぎる。もう早く、年末くらいには新作出してくれ。

 

と、叫んできたけれども、今回の弓塚さつきですよ。CVがレジェンド南央美から田中美海に変更され、あの女性声優界でもきっての型月ファンガールがさっちん役で抜擢。この人選にまずは五体投地で感謝。本編では相変わらず、さっちんルートっぽい分岐はあるんだけれど、選ぶと無難なルートとしてあしらわれる。まあ、最初から分かっていたことだけれど、案の定切ない。今回はホテルに滞在していたとか、ピンチの時には助けにきてね的原作にもあったような描写もカット。ただ、途中で長く学校を休んでしまう描写だけが語られ、これは…伏線ってことでいいんですよね。と静かにプレッシャーを抱く。

 

とりあえず、ここまで書きながら、これ終わらない。『月姫』語りは延々、続けられるなと感じてきたので、もう後はどこかの誰かとの飲み会の席に回すとして、今回一番僕が嗚咽したお話だけしておく。その時は最後の最後に訪れた。すべてのシナリオ、シーンを確認して、型月作品ではおなじみ「デッドエンド全回収」を果たしてみたわけだ。教えてシエル先生を全てコンプリートし、何も用意してないわけないよね?いや、期待しすぎか、と期待半分、諦めも半分でギャラリーを覗くとそこには最後の「教えてシエル先生」のアイコンが。

 

さすがはわれらが型月、こういう心配りが憎いねえと早速拝見してみると。そこで展開されたのはなんと「次回予告」。月の表側で起こる今回のアルクエイドルートとシエルルートが終わり、物語はいよいよ後半の遠野家の中へ。琥珀翡翠、秋葉ルートがあることが示される。その次回予告がすでに存在していたことに、そしてこのオールクリアを果たした後に開示してくれたという心配りに発狂。深夜じゃなければ叫んでたね。スマブラの新キャラ登場に沸く海外勢ってこういう気持ちなんだ、と一瞬で理解。そして、恍惚としたまま予告が終わりそうな雰囲気。あれ?さっちんは?

 

そんなファンの不安をあざ笑うかのように、最後のシーンに夕日に浮かぶ弓塚さつき。叫んだね。叫びながら泣いたよね。ようやく我々の悲願が叶う。何度諦めようとしていたことか、そのルートの存在は最初からなかったものと思い詰めていたところに、何年越しかはもう数えたくないけれど、あの「スタッフの総意」が現実になる日が来るのである。

 

それにしてもプレイしながら「これ高校時代とか10代にプレイしなくてよかったートラウマになってたわwww」とか朗らかに笑ってたけれど、一瞬で手遅れだったことに気づいた。これリメイクだったわ。まだまだ語り尽きない本作の魅力と次回への展望。とりあえずネタバレ解禁記念ってことで、書き連ねてはみたけれども。またしばらく時間が空いたら、ロスを埋めるべくもう1周くらいはしそうな勢いである。

 

この状態でまた数年待ちたくはないので、是非。次回作をすでに喉から手が出るくらい待ちつつ、来年中くらいの発売をひそかに期待するのでした。

 

キャンセルカルチャーとコミケに関する独り言

夏本番。賛否が盛大に渦巻きながら五輪は開催されており、コロナ感染者数は過去最大の推移だという。そんな中で日常だけが、淡々と変わりなく過ぎていく。スポーツ観戦は好きなので、毎日暇はせず済んでいるが、不思議な感じだ。未曾有の事態が何個も重なって、新聞の一面からでは何が大事なのかもわからなくなってきている。

 

そういえば、少し前から、五輪の開会式関係でキャンセルカルチャーなる言葉をよく聞くようになった。僕は言葉の意味すら知らなかったけれど、調べてみると「団体や個人の一面だけを取り上げ、非難をすることで今のキャリアや社会的地位を貶めようとする風潮」だという。

 

なんかこの説明だけ見ると、今回の小山田氏やら小林氏やらの件が被害者っぽく感じられる。まぁ、正直な話。小学校の頃から地元の古本屋のサブカルコーナーで一日座り込んでGONやらQJやら裏モノジャパンなんかをせっせと読んでいた僕個人の立場から言えば、90年代のサブカルアングラカルチャーには、何か子供心ながら「大人にならないと分からない独特な匂い」を感じていたし、つまるところそれは大人への憧憬だった。

 

世の中から外れている事をあえてやることに、ある種の尖りがあって、それがロックだと持て囃された時代だったのは間違いない。現在の倫理観に照らし合わせれば、ほとんどアウトな思想で埋め尽くされていたと言っていいと思う。そうこうしているうちに、ログがいつまでも残る時代になってしまったし、このキャンセルカルチャーが働きやすい状況になった今、それら危ういカルチャーに関する書物や情報はすべてリスクでしかなくなってしまった。

 

僕はギリギリ、そんな90年代に弾けていた世代の文化を頭上に見上げていただけのマセガキだったので、今回の件を受けて特段寂しいもんだなとか、そういう文化が叩かれるだけのサンドバッグと化すことに、ハッキリ言って大した感慨はない。ゆとり世代だから仕方のない話だ。

 

でも、キャンセルカルチャーという考え方が自分と関係ないかと言えば、決してそんなことはなかったりする。

 

思い返せば、既に20代の間。僕個人、コミックマーケットという場を介して同人誌を何冊出したのかわからない。評論雑誌だけならなんとかなりそうだけれど、その中には、創作エロ漫画だってある。しかも既存ジャンルのモノじゃ抜けないからとわざわざ、エキセントリックなシチュエーションを必死に作り上げた特級レベルの黒歴史と言っていい。黒歴史と言っておきながら、尚もそのDL販売で小銭を稼いでいるあたり、取り立てて反省はしていないのだけれど。

 

恐らく、将来僕がお仕事を頑張って、ひょんなことからそれなりの地位を得ることになるような時に、ネットで炎上される種を自ら蒔いているのは間違いない。あの人実は、すくみづなんて名前で、訳のわからない性癖を自ら漫画にして、シリーズ2作作って、英語翻訳までして、世界にその恥を晒しているみたいよ。とか。文字にしてみたら、思った以上にクビの可能性が上がった。夏目さんどころの騒ぎじゃない。

 

じゃあ、それらの書籍やデータを今から探しに探して消して回るのが正解なのだろうか。残念ながら、このネット社会で痕跡を完全に消すことは不可能だろう。タマホームだって、タマちゃんTVがしっかりと放出されている通り、親しい知人でも、先輩でも、取引先の誰かかもしれない。社会性を保っている限り、誰が文春と繋がっているか分からないのである。

 

そんなエロ漫画を引き合いに出すまでもなく、Twitterで12年つぶやき続けている発言自体も危ういものだ。多少自意識過剰に考えれば、いくらでも「こいつにキャンセルカルチャー仕掛けたろ」と思えば、僕ですらいくらでも燃やし続けることは可能だ。この感じが今なのだと、改めて思う。

 

こうした「叩かれる」可能性やリスクが蔓延する中で、自衛を行うことや、普段の発言を気に掛けることは勿論、正論中の正論だし、模範的なネットユーザーのふるまい方である。それと同時に、どうしたってネット空間というのは全力でふざけていたい場所でもある。現実でふざけちゃいけないんだったら、ネットくらいいいじゃん。そう思うのだけれど、ネットもほぼ現実と化した時代において、僕らはどこでふざければいいのだろう。と、思ってビッグサイトが浮かんだ。

 

やっぱし、そんな世の中だからこそ、コミケが開催されない時代ということをとても悲しく思う。やはり現実でも、現実化するネットでもない場所。我々にはそんな塩梅の場所が必要なのだ。

 

先日、用事があって池袋に足を延ばした。すると、街中にコスプレイヤーさんがチラホラ。ああ、これが世にいうアコスタってやつか、と時間もあったのでイベント会場であるサンシャインを覗いてみた。普段からコスイべに行くような人間ではないけれども、そこで久々に現実に非日常を謳歌している人らを見ることが出来た。

 

毎年二度にわたって、超大規模な非日常があったことをいまさら思い出す。誰に叩かれるでもなく、誰もが表現を許し、共存できる場所。日々ネットだけを眺めていて、いよいよ厭世的な感情に支配されることが多くなる中で、あのイベントに、次に参加できる日が来るまでは、最低限我々の心の中で生かし続けないといけないのかもなと思ったりする。

 

と、自分の人生や出世の不安以上に、ふざけられる場所の方が大切なんだなと思ってしまった次第だ。社会人10年もやってんのに、この発想である。どうしたものか。大人として大丈夫なのだろうか。蒸し暑くて眠れなさそうな夜に、久々の独り言でした。ああ、野外で騒いでビールが飲みたいものです。