わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

いまさらゼロ年代オタクというお話。

冬コミ燃え尽き症候群なんて、お前のやる気がない言い訳だろ。さっさと、クズみたいな事言ってないでやる事やれ!!!

 

とこの二週間くらい延々と自分に檄を飛ばしているんですが、白髪増えるわ、インフルにかかるわ、仕事のやる気は全くでないわで、なんだか、しっちゃかめっちゃか。そんな影響か下ネタも思うように浮かばず、もともとバカなおっさんが、陰気でバカなおっさんに進化。救えなさが更に加速する中、とりあえずブログでも更新しとくかという次第です。

 

タイトルにもありますが、ゼロ年代オタクについて。次回も評論ジャンルで一冊雑誌を作りたいなと思っているのですが、今回のテーマはそこらへんの「ゼロ年代」という時代をもう一回ぶり返そうかなと。

 

大塚さんとか宇野さんとか東さんとかサブカル好きな人は、もう反吐が出るくらいその単語を聴いてきたことかと思います。そして手垢がつきまくってる話題ですが、ゼロ年代にもろオタク的青春が被った人間からすると、ちょっと違和感があったような感じなのです。

 

そりゃ論じられてる対象なので「そんな勝手な尺で計らないで」という中二心がないわけではありません。ただ、いかんせん「2000年くらい」からオタク始めた人って、この10年間の世の中のオタクに対する手のひら返しっぷりを身体で感じてきたので、そういう視点からもう一度、論じてもいいのかなと。

 

 

常日頃もぼやいてるのですが、2000年ってまだエヴァ引きずりまくってるし宮崎勤も払拭できてない。深夜アニメ?wwなにそれwww声優?キモイwwwという世界だったはずなのです。

 

中学でもクラスの暗いやつらが教室の隅に集まって、「昨日のD.C.見た?w」「わるきゅーれがww」とかやってる時代なのです。ツイッターmixiすら普及し始め。誰かとオタク知識を共有するだけでも、隠れキリシタンよろしくな歓びと背徳感が溢れていたような思い出です。

 

当然これは、僕個人の中学時代の思い出話なので、誇張されていますし「それがいい時代だった!!!」などとほざきたいわけでもありません。ただ、年数を追うにつれて徐々に僕らが必死に隠そうとしていたオタク趣味が思わぬ形で巷に漏れ出てきます。

 

声優がオリコンで上位を獲る。ニコ動が暇な学生全般のエンタメになる。深夜アニメを見ることがトレンドになる。ボーカロイドが市民権を得る。自分が好きなコンテンツを主張する事がオタク。気付いたら「オタク」は世界を引っ張るカルチャーの担い手になってたと。ロリコンの犯罪者予備軍たちは、気付けばテレビ・新聞といった既存大手メディアが無視できない層になっていました。

 

この流れを、きっちり社会学として、または経済・商業として論じる。というような堅いことはあまりしたくありません。というより、それこそ多分色んな方が既に研究とかで手をつけていると思いますし、それはそれで、餅は餅屋に任せるのがいいかと思います。

 

 

じゃあ、何すんだつったら、思い出話をしましょうということです。加藤登紀子風に言えば「時には昔の話を」なのです。この2000年からの10年。オタク周辺では気付いたら、いろんなことが変わってたけど、じっくり振り返ってみようよと。そのひとつひとつがどんな変化を、自分に与えたのか。それがどんな宝を産み、功罪を残したのか。

 

更に言えば、そこからこれからのオタクはどうなっていくのか。繰り返しますが、このオタク文化における10年という時間の変化は、まさにサブカルがメインに躍り出るまでの過程そのものでした。それを「外部」から客観的な現象として論じるのでなく中にいてその波に揉まれた人が、語る。

 

そんな企画も面白そうだなとふと思っています。まぁ、形になるかどうかはこれからなので、ちょっとわかりませんが、ひとまずそんな青臭いことを考えております。今完全に、自分自身が腐っているので、そんな考え事もこうして残さないと流れていきそうで。ざっくりとした、次回同人の予定でした。