わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

この国で「クリエイティブな職種」に(笑)が付くのは何故なのか

特に転職を本気で考えてなくても、30前後のリーマンならふと転職サイトを覗く機会もあることだろう。そして「希望職種」の欄を見ると「クリエイティブな職種」というカテゴリを見つけたりもする。クリエイティブ。なんだろう、拗らせた社会人にとってはとても惹かれるけど、その反面とてつもなく地雷臭のする感じは・・・

 

現状、営業職としてせっせと働いている身にとって、なんだか「クリエイティブ」と突然言われると、拗らせた印象をそこに抱いてしまい、むしょうに(笑)をつけたくなる。要は「いやいや、完全に地に足着いた職業じゃないでしょそれw」とか「クリエイティブって言ってるけど、軽作業じゃねえかw」とか「結局やってること営業と一緒じゃんww」とか。なんだか穿った見方をしてしまう。

 

正直、こんな捉え方をするのは僕ひとりじゃないだろう、という勝手な類推の上で「この国で」という無駄に壮大なタイトルにしてみたわけだが、どうも種々クリエイトする事に対して、現在の社会ではいわゆる「ワナビー」的見方をする趣が強いようにも思う。そんな事言ってないで現実見ようよwと。ただ反面、この記事を読んで感じたことも、ここに書き残しておくべきだと思った。

 

blog.livedoor.jp

Appleでエンジニアとして働く藤野さんという方のインタビュー記事の抜粋。本文がリンク外れになってしまってるのが多少引っかかるけれど、その中でも特に印象に残った最後の内容を挙げておく。

逆に、日本の強みとして、真面目さや緻密さといったものはあります。しかしこれだけでは、「ただのいい人」で終わります。エンジニアですから、技術力があってこそのものでしょう。

 

「真面目さや、緻密さを伴ったただのいい人」うーん、エンジニアとしてはアウトかもしれないけど、これって営業としては案外合格点ではないだろうかと。日頃働いている身を振り返り、そう思ったのである。結構、そのように振舞い続けるのも意外と大変だ。当然、営業にも優劣があり人に付入る上手さや、頭の回転といった多くの追加点素養は沢山あるのだけど、その根本にあるべきものはここで言い尽くされてないだろうか。

 

このインタビュー記事の序盤に、日本の現在抱えている問題の原因について言及している。当時好調だったソニーや松下といった大手電器メーカーは、高品質な製品を武器に量産体制を敷いた。当然、コストの兼ね合いから、その生産拠点はアジアに移っていき、技術力や知識もそれに伴い海外へ流出していったと。まさに高度経済成長の功罪としてよく言われる図そのものだ。

 

じゃあ、逆に日本国内ではそうしたメーカーは何をしていたのか。高品質な製品を作る体制は整っている。必要なのは営業、ということになる。日本国内ではそうした高品質なモノを生み出してくれるメーカーに対して、営業職と言われる人たちがめちゃくちゃいるように思える。本社から販売会社から小売から、実際こんなに要るのだろうか営業。この点について、宮田珠己さんという人が「なみのひとなみのいとなみ」(幻冬舎文庫)というエッセイ集の中で言及しており、個人的にかなり好きな一冊なのでそこからまた引用してみたい。

 

「はじめて社会に出たとき、一番驚いたのは世の中が営業に満ち満ちているという事であった。(割愛)考えてみれば、平日の昼間、屋外を歩いているほとんどのサラリーマンは営業なのだ。大きな目的もなく、流されるようにサラリーマンになると、かなりの高確率で営業が当たるのであった。」

 「販売ならわかる。販売は売り手と買い手があって、契約が成立していく。その行為は自然である。だが営業は違う。とりわけ新規開拓営業なんていうのは、買い手がいないのである。買い手がいないところに、いきなり売り手だけがいて、買い手を探し出していく。もしくは無理矢理作り出す。人類の歴史上、営業のはじまりは押し売りであったろう。」

 

日本は、高度経済成長以降、モノが売れなくなるという経験を長らくしてこなかった。売れる商品が国内メーカーによって次々と生み出され、あるいは他国から輸入し、それをまた売っていく。様々なビジネスが生まれる毎に、そこに営業が生まれる。そういう人たちが人間関係を構築しながら、付き合いを深くし、とにかく売れば金は回り、それが新たな商売になる。経済は基本そうした循環作用であることは間違いない。営業の頭数がいるだけ、ノルマは生じ、モノは売れていく。そして彼らに必要な素養の基本は「いい人である」ことと、多少のズル賢さを持つこと。

 

ここでようやく最初の指摘に戻るが、先に挙げたような好調な経済下において職種の選択をするならば営業職が確かに利口なチョイスだろう。だって、基本的に人と人との関係性でモノが売れる、人格でモノが売れる、そして潤沢な経済活動の中、買い手にも消費意欲がある。わざわざ、大手メーカーが良いものを作れている時代に開発や製作といったいわゆるクリエイトする仕事に就くことは、より高いリスクでしかない。

 

ただ、そのリスク回避の選択肢が、営業職への妄信とクリエイティブ職種への軽視に繋がったのだと思わざるを得なかったのである。冒頭に僕の中で感じていた(笑)はまさにこの妄信の産物であり、好況時の安定志向から生じた発想のように思える。労働人口として、まだバブル世代やそれ以前の空気が残っている現代の社会の中で、営業職という職種への安心感は拭えていない。

 

あえて前置きするが、営業職を軽視する為の記事ではない。むしろ我々の日々の経済活動の根幹を為す職種のひとつではあると思う。「総合商社の営業などはもっと野心的だ」という反駁的クソリプも当然に理解する。だが、藤野さんが指摘したとおり国際社会ではあまり役に立たない「ただのいい人」たちが国内市場を食い尽くすのも時間の問題のように思える。そんな警戒心くらいは、働く人間として持っていても罰は当たらないのではないだろうか。まぁ、それ以前に転職サイトの掲げる「クリエイティブな職種」という職種カテゴリはそもそもどうかと思うのだけれども、どのような働き方をする上でも、今後は自らのうちに何かを創造する、という発想はまず必要なんじゃないかなと。