わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

自身のツイッター離れから考えるインターネットとSNSという場所について

もうあからさまに、そういう人たちを釣るぜ!!みたいなタイトルだけれども、今回は自分の考えをまとめるという意味で淡々と書いていく。もし読んでいただけるのなら、なるべく優しく見守って欲しい。この情緒が荒れがちな春先の時期。女の子から物理的に叩かれるなら是が非でも歓迎だが、誰とも分からないネット民から精神的に叩かれると会社にいけなくなってしまう。

 

与太話もそこそこに早速本題なのだけれど、最近、何度目か分からないが「ツイッター飽きたな」と思ってきた。正直僕もツイッター始めて丸6年くらいになるので、過去に何回もこういう感情を抱くことはあった。

 

ただ、その都度もう一人の冷静な自分が「いやいや、飽きてきたっていうのは自分が面白いこと言えないから反応薄くなってるだけで、ツイッター自体「社会」みたいなもんなんで変化はしてないっす。あくまで自分のしょうもない自意識とメンタルの問題っすよ。」と正論で殴り返すと、静かに僕は頷いて、またぼちぼちとツイートをしだすのであった。

 

ただ、ここ1年ほど。多分本当に飽きてきているぽい。と言うのは自意識とかでなくツイート数が減っているのである。自分のツイログをふと見返して気付いた事である。

http://【チャート - 月ごとのツイート数】 http://twilog.org/suku_mizumi/stats/2

この2ヶ月ほど、集計開始から始めて600ツイート/月を割っている。逆にこれまでが呟きすぎだ、とか言われそうだけど減ってることは確かなので、何かしら僕自身に心境の変化があったことは間違いないだろう。ただ、特段「ツイートを減らそう」とかそういうことは思ってないので、自然減になっている。

 

自分がそうであれば、他の人はどうだろうか。日本においてはツイッターのアクティブユーザーは増えているという。だが、ツイート数はどうなのだろうか。類推だが、周りを見回してみると、自分が何かを言うというよりも情報を傍受する為のツールとして多くの人が使っている印象を受ける。自身が飽きている理由も含めて、ちょっと話を飛躍させて「インターネット」に我々が何を求めているのかということについて考えを巡らせたい。

 

そこで見てみたいのは、もう手垢がついた話ではあるのだが、何故ツイッターがここまで広まったのかという点だ。それは恐らく我々一般ユーザーがインターネットに求める基本的な3つの要素が、非常に簡易な形式でツイッターに含まれているからだといえる。

  • 情報発信
  • コミュニティの形成
  • 情報受信

以上が、一般的なユーザーがネット上で行う行為を分類したものだ。あくまでネット自体が本来有している性質に基づいて列挙した為、オンラインゲームや金銭が生じるEC等をここでは省くこととする。ゲームや金銭取引は上記3つの要素を使って成り立つ副次的な作用であると考えるからだ。

 

簡単に上記3つの要素の成り立ちを、20年前ほどの時代から振り返ってみたい。インターネット草創の時代には自身のHPを持つことが大きなステータスであった。それは情報発信としての自らの「場」を持つことである。次第にそこでBBSのようなネット掲示板といった存在が生まれコミュニティの形成に繋がり、そして最終的にそうしたHPをそれぞれインターネットブラウザ上で傍受する人々が増え、そのリアクションに伴い情報発信量が増加したり、コミュニティも拡大するという上向きの螺旋構造へ繋がる。

 

10~15年前程を思い出すと、サイト管理人という存在はやはり力があったように感じる。HPを立ち上げるにはそれなりな専門知識が必要であり、一般人には容易に介入が出来ない壁があった。またそれに対して情報を受信する側としてはブラウザでブックマークしたりして、日々お気に入りのHPを巡回するという流れが一般的であった。そして、それぞれのHP上でのBBSにおいて交流が行われる。その頃であればまだアナログな世界とも親和性が高かったように思える。要は好きな雑誌を買って、はがき投稿者コミュで交流するみたいなイメージに近い。

 

その流れを壊したのがブログでありSNSという発明である。専門的な知識がなくともアカウントという概念によって自分の「場」をつくり出せ、一般的なネットユーザーにとっての垣根はほぼ取り払われた。そして、情報受信にもストリームという変革が起こる。これまでは自らが主体的に行わなければならなかった情報受信を、流れてくるものを取得するだけで可能にするという仕組みだ。

 

つまり、ツイッターはそのインターネットの基本的な3つの要素を「フォロー」「ストリーム」そして「140字以内」という仕組みにより、とっても簡単に提供した。更にそれで不足であればフェイスブックに行けばいいと。それに対して衰退した、mixiはやはり煩雑だった。ゲームなどを使ってコミュニティを維持しようとしたが、本来ネットユーザーがSNSへ求めているものは上の3要素のみである。やはり餅は餅屋に任せるべきなのだろう。

 

恐らくだが、たまに見かける「Facebookツイッターの次のSNSはなんだ!」みたいな命題に対して、僕が最近思うのは、多分そこまで目新しいものは生まれないだろう。という結論だ。なぜなら、先に挙げた3要素は非常に簡易な形で既に満たされているからだ。

 

もちろん、様々な外装を変えた形での流行はあるだろう。例えばpixivだったりsoundcloudだったり、ストリームに流れてくるコンテンツに専門性を付与させることで、SNS自体の付加価値を高めることも出来る。ただ、本質的には今のツイッターが楽な形態で可能にしている「アカウント生成」「ストリームによる情報取得」「フォロー・リフォローでのコミュニティ形成」というものは、非常にベーシックなスタイルとなる為、それを無視したものは作られない気がする。

 

 では、僕はそんなSNSの完成形たるツイッターの何に飽きているのかという話だ。コンテンツ自体は、日々更新されていく。但しフォローしている人が同じである限りは、同様あるいは同程度のモノが流れていくに過ぎない。そして、フォローを増やしてみても結局、人気のツイートは一様に拡散されやすい。動物の簡易動画やクオリティの高い4コママンガだったりと、はっきり言えば代わり映えがない。高いクオリティのモノでも、タイプが同種なものが延々流れてくれば人は飽きる。恐らく、僕をフォローしている人も、ある程度の時間が経っていればその低いクオリティの下ネタも相まって、僕というアカウントに既に飽きているはずだ。

 

ツイッターでは匿名性というか、フェイスブックと違ってアカウント=コンテンツという側面が強い。その発言が不要と思えば、フォローを外したり、ミュートするなど人間関係に対してでなく、ただただコンテンツに飽きるという印象が与えられるのも至極当然のように感じる。

 

SNSとしての仕組み自体は頭打ちであり、恐らくその中身、コンテンツ自体の問題となる。なので「じゃあ、次流行るSNSは」という話に対しては、正直興味がそこまでない。ツイッター自体も採算合わず運営が投げ出さない限りは、緩く存在し続けるだろうし、その脇で高い専門性があったり、リアルなコミュニティ形成に強かったりと、色んな属性のSNSが、現在もそうであるように生まれては消えていく。

 

何にせよ、発信にしろ傍受にしろ共有にしろ、情報を扱うには非常に楽な時代となった。かつては夢の世界だったワールドワイドウェブが、日常のいちツールでしかなくなったのである。「すべての情報がそこにある」と胸弾ませてブラウザを覗き込んでいた人も、今や死んだ目をしながら通勤時間にTLを眺める。日々それなりに好奇心を満たすような記事や画像・動画が並んでいる。きっと暇つぶしには十分だろう。しかしながら、それを取得しながら果たして、自分は一体何が面白いと感じているのか。更に、これからどんな新しさを求めているのだろうか。今までないがしろにしてきた「なんだか飽きてきた」という感情と、しっかりと向かい合って、もう一度、何に心弾ませるのか、考え直さないといけない時期に入っているのかもしれない。