わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

春がくると岡崎律子を思い出すことについて。

明日から、いよいよ4月。春も本番といった具合で、10日も前には開花がいつかいつかと騒がれていた桜も気付けば満開。三寒四温が続き、停滞し続けていた季節が一気に加速をしたようにも感じられる。

 

そんな中、個人的に毎年、春になると思い出す事がある。それがタイトルの通り、岡崎律子というアニメ作曲家のことだ。12年前の2004年5月5日のこどもの日に亡くなり、早いもので今年で12年が経つ。来年には13回忌ということに、この文章を書きながらも驚かされている。楽曲担当をしたアニメ代表作は「フルーツバスケット」「らぶひな」「シスタープリンセスRe pure」「円盤皇女わるきゅーれ」など。その繊細かつ物語性を如実に表現する音楽性には、今尚ファンが多い。

 

と言いつつ、僕自身が最も好きなアニメ作曲家こそこの岡崎律子である。ただ、彼女が生きている間、ファンでいられたのは3~4年程度だっただろうか。当初声優ラジオからオタク産業にのめり込んだ自分としては、林原めぐみ「Iravati」に収録されている「Good luck」や堀江由衣のラジオ「天使のたまご」のOPであった「Romantic Flight」など、声優という要素から彼女の音楽に触れ、徐々にその独特なメロディに惹かれていった。何か他とは違う楽曲の雰囲気やコーラスワーク、メロディはメランコリックでいながら歌詞はやけに前向きだったりと、やはり独特なセンスがそこには存在していた。

 

また、彼女が担当したアニメを見ると、本当にアニメ音楽というものがどれだけ物語性に付与するのかという事を思い知らされた。なんていうか、無駄に文章ばかり長くなるのでもう動画だけ置いておく。

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前者は「フルバ」の挿入歌「セレナーデ」、後者はmeg rockこと日向めぐみとのユニット・メロキュアとして発表した「円盤皇女わるきゅーれ」の挿入歌「Agape」である。

 

歌手としてはウィスパーボイスでありながら芯があり、メロディメーカーとしては機微を持たせながらも展開に無駄がない。その上でこの世界観の広がり方である。完全に圧倒された当時中学生の僕は、夢中で彼女のアルバムを漁った。オリジナルアルバムは全て、そしてアニメのサントラ、楽曲提供している声優の音源もかなり集めた。僕が当時狂った程、堀江由衣のファンになったのも、3割は彼女のおかげと言っても過言ではないかもしれない。それほど、当時の僕の生活に密着した音楽となっていた。

 

その分、亡くなった時の哀しみはとても強かったのを今でも記憶している。僕が中学2年生、2004年当時は自宅にインターネットの環境はなかった。その為、オタク情報の収集は全てラジオか雑誌だった。恐らく金曜の深夜「ノン子とのび太のアニメスクランブル」で最初の彼女の訃報を聴いた。布団の中だったけれども目の前が真っ暗になり、その晩は泣いて明かした。その翌週、林原めぐみの「今夜もブギーナイト」では「Good Luck」が。堀江由衣の「天使のたまご」では「For フルーツバスケット」が追悼曲として流されたのも覚えている。

 

僕の中では当時最大のニュースだったし、稀代の作曲家を失ったというショックで一色だった。ただ、その当時。まだオタク文化は今のような市民権の得方はしていない。まだ、菅野よう子初音ミクが「ユリイカ」に特集される何年も前の話だ。アニメ雑誌や音楽雑誌などで、彼女の追悼特集を組むようなモノも身の回りの書店などでは決して見当たらなかった。(本当はあったのかもしれないが)それがどうしても悔しくて、やりきれない感情を抱えていた。

 

ただ、それから7年後の2011年。しばらく遠ざかっていた彼女の楽曲を聴く機会があった。ちょうど彼女の没後、7回忌という節目に久々であったことも追い風となり、現在も製作を続けている評論雑誌の「'00/25」の2号目として岡崎律子楽曲レビュー特集を組んだ同人誌を製作した。

 

今思えば中二病感全開なのだが「岡崎律子の世界」と題して、オリジナルアルバム全てのレビューを書き、ちょっとしたコラムも寄せた。その他にも諸々記事はあったはずだが、基本的にはそれを中心に作った。印刷をなぜか80部という中途半端な数にした為、手元にも残らず頒布し終えてしまった。

 

ただ、せっかく作ったんだしなんだか手元に残しておきたいな、とか数年越しに思ってしまい、この2016年。5月1日に開催される文学フリマでこの「'00/25」Vol.2を少量ながら再販することにした。ちゃんとした宣伝なんかは改めてするけれども、この1冊は自分にとって非常に大きいものだった。この1冊を作ったことで、多分僕が同人誌を作る理由が定まった気がする。それは「誰もやってくれないから作る」というものだ。今も尚、同人誌を作るそれが最も大きな動機だと思う。

 

つまり、岡崎律子は僕にとって好きなアニメ作曲家という存在だけでなく、ある種「ものづくりをしたい」という創作の原点にもなっているんだなと。ふと今年の春を前に思ったのだった。この記事を見返しても本当に個人的で身勝手な話ではあるのだけれど、感謝する分には勝手にさせてくれという話である。ふと春という季節は、色んな感情が沸いてくるものだと、実感している。