わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

何故大人たちは、アニメやゲームのせいにしたがるのか。

ゲーム脳」とか「犯人はオタク」というレッテル貼り論争に対して思うところがあったので。てかおっさんが「大人たちは」とか未成年ぶってんじゃねえ、というツッコミはクソリプなので心にしまっておいて下さい。

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上記のような話題に関して、最近で言えばこの事件が記憶に新しい。先日、2年にも及ぶ女子中学生誘拐監禁事件が犯人逮捕により解決し、その後の報道の中で、もう何度目だろうかというような議論をネットで見る機会が増えてきた。

 

それは「犯人はアニメ好き」という記事がスポーツ新聞に掲載され、所謂「変態犯罪予備軍=オタク」というレッテル貼りがなされた。というような話である。言わずもがな、宮崎事件以来、新聞記者やマスコミお決まりの犯人像分析の常套句であり、また反駁するオタクたち、あるいはライターの対応も「暴力的なアニメを見たから犯罪を犯すというロジックはおかしい」と一辺倒である。

 

恐らく今後も、このようなロリコン的事件が起こるたびにこうした応酬というのは付きものだろうし、誰かがこのような記事を書けばまた反発を呼ぶという構図はなくならないだろう。

 

それら議論の内容としては「ゲーム脳という現象は本当にあるのか」「当該事件と犯人が嗜好していたアニメ・ゲームに因果関係はあるのか」みたいな事が中心となる。しかし、寧ろ問題とすべきなのはそこでないと僕は思う。「ゲーム脳」「アニメ好き=ロリコン」のようなレッテル的観測は何故生じるのか、という事にそろそろ目線を移すべきではないだろうか。

 

最近、そうした事を考えるきっかけとして自分自身が体験した事がある。大ヒットゲーム作品「Grand Theft Auto5」 を友人がプレイしているのを眺めていた時である。知っている人には説明するまでもないが、アメリカのギャング・犯罪文化を主題に扱ったゲーム作品であり、プレイヤーの自由度が高く様々な行為が可能。表現が過度に暴力的、グロテスク的と各倫理団体含め物議を醸してきたシリーズである。

 

僕も「3」は当時プレイしてたりもしたが、久々にそのゲーム内容を見ているとやはり衝撃的というか。相変わらず、車で人は轢けるし、種々の銃で通行人を撃てるし、しかも人のリアクションまでよりリアルになっており、正直「うぉぉ・・・」って思った。何かちょっと引いてる自分がいたというか、モヤっとしたのだ。

 

自分でもこんな感情を抱くのだから、多分このシリーズを知らないファミコン世代の日本人が見たら多分「ゲーム」という観念に混乱を来たすと思う。そう改めて考えさせられたのである。なんていうか「ゲーム」ってものは今や「土管工がキノコ風モンスターを踏んづけて殺す」ものでなく「アメリカのギャングが様々な銃で、通行人すら銃撃してリアルに殺す」ものになっているのか。と。

 

正直、その認知の距離感は埋めがたいものがある。ゲームってこんなはずじゃなかった。過去自らの経験の累積から積み上げても、今のゲーム作品の進化には恐らく届かない。「ゲームというもの」の自らの理解を超えたとき、ロジック乖離に対する回避行為が「ゲーム脳」という発想に結びついたと感じる。だから「ゲーム脳」を主張する人々の心中は「ゲームをやっている子供の脳は」というモノでなく、本質的には「今の子供が一体何をやっているのか分からない」という未知なるものに対する反発や不安感という部分が、意識的・無意識的問わず強いのではないだろうか。

 

戦後70年ともなると、大人もゲームをやってきた世代である。恐らくゲームそのものへの反発心はそこまでのものでないと思う。ただ「ゲームを知っているからこそ」始末が悪い。今のゲームはゲームじゃない。そう思っても仕方ないのである。

 

つまるところ、構図としてはビートルズの来日と同じじゃねえかと言いたいわけである。当時の大人たちが言った「歌謡曲と比較したらあんなもの音楽じゃない」「ロックを聴くと不良になる」「神聖な武道館でライブなんかさせるか」その発端にあった精神は未知のモノを受け入れる反発と不安である。まぁ、はっきり言えば「老害vs新参」の対立構図である。しかし、こう書いている自分も含めて。時代や人生とは残酷なもので、遍く人間全てに「老害」たる資質を与えている。年をとるたび未知なものは怖く、過去の追随の方が楽しくなってくる。そうして、新しいものへ理解が及ばなくなったとき、自分の中で新しいロジックを作成しだす。それが「ゲーム脳」であり「アニメ=ロリコン」という発想だと思う。

 

ただ、僕個人の意見としては「ゲーム脳」「アニメ=ロリコン」も一面的に見れば正しい。ネットで「ギャルゲやってるヤツが童貞なのは、なんでなんだよ」という反駁もあったりするが、正直、人生観、顔面スペック、スキルや資金には個人差がある。あと普通に孤独のグルメを見れば腹は減るし、ウイイレやってたらサッカーやりたくなる、やっぱエロ漫画読めば抜きたくなる。それと同等にロリゲーやってて、陵辱ゲーやってて誘拐だとか痴漢とか現実の犯罪行為に手を出すヤツもいると思う。しかしながら、そうでないヤツも確実にいる。

 

結論なんなんだ、といわれるかもしれないが、要は因果関係なんてない。全ては個人差であり、そんなムーブメント的現象は生じていない。群像が全て、と錯覚する人間の発想であり、また理解が及ばない新規文化に対する思考回路のショートが「ゲーム脳」を生み出すのであろう。異文化と触れ合うとき、それを理解できないからと言って、慌てて何か理屈を組み立てるのはよくない。そこには大抵バグが発生してるし、偏見が入り込む。何か新しいものと向き合うときには、時間がかかる事を覚悟しよくよく噛み砕かない事には、その本質は見えない。

 

こう書いているが、自分もこれからそうした安直な「老害ロジック」を濫用しだす年齢に入っている。オタクとして様々、良き思い出となっている過去の衝撃を抱えながらも、まだまだこれから来るコンテンツや作品に対して柔軟に物事を考える癖をつけていたいものである。