わがはじ!

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『映像研には手をだすな!』は漫画界の『メリー・ポピンズ』のよう

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各種ネット媒体でもかなり話題となっている『映像研には手を出すな!』

 

発売当初amazonでは品切れになる事態も。単行本発売からしばらく時間が経ってしまったわけだが、僕自身も購入、読了から1週間と少し。いや、買って即読んだのでもっと早く感想文的なモノをここに吐き散らしたかったが、思うように感想が纏まらず。数回読んでみて多少冷静になった今時点から、ちょっとこの作品について言及をしてみたいと思った。

 

・王道なのに斬新、新しいのに落ち着く

まず内容以前に本のカバー裏を覗くと筆者・大童 澄瞳氏は1993年生まれという事が分かる。うーん、非常に若い。いや、確かにこの年代でもいい漫画を描く人というのは既に結構いる。しかしながら、この『映像研には手を出すな!』の内容を読むと彼の「若さ」がある種の異常な事実だという事に気づくことだろう。

 

その異常性には後々触れるとして、ここで簡単に本書あらすじを追っていく。多分ネタバレにもならない話なので未読の方も問題ないと思う。

 

メインキャラはちょっと普通から外れた女子高生3人組。アニメーションを作りたいが、一歩踏み出すことが出来ない妄想癖オタク<浅草みどり>を主人公とし。リアリストで皮肉屋、常に浅草の言動に対してツッコミを入れる銭ゲバ弁論家<金森さやか>。高校生にしてカリスマモデルながら本当の希望はアニメーター志望というお嬢様<水崎つばめ>という組合せである。

 

分かりやすい程の凸凹トリオがそれぞれの特技を活かし、協調しながらアニメーション制作に挑戦するという学園部活ストーリーである。話としては分かりやすいことこの上ないのだが、いかんせんずば抜けているのはその描写におけるギミックである。

 

各回とも、アニメーション制作を中心に話は進むのだが、様々な困難が彼女たちの前に立ちはだかる。それはアニメーション制作自体であったり、また部活運営であったり、生徒会から予算を取ることであったり。正直言えば学園ものとしてはありきたりなテーマだ。だが、それらありきたりなストーリーに挿話として差し込まれる、圧倒的な浅草の妄想世界観。これが凄い。それを3人が同時に追体験するこにより彼女たちの創作へのエネルギーが増していく。ここが、この物語の肝となる点だろう。浅草みどりの発想をアニメ作品とすべく、金森さやかは現実的なサポートを、そして人物画が得意な水崎つばめがキャラクターを生み出して、少しずつアニメーションは形になっていく。

 

当然話としては全話つながっているものの、読み物としては1話ごとのオムニバスな感じで楽しめるのも嬉しい。軽いテンションながら熱い展開。その双方のバランスが実によくできており、先の斬新な演出ながら、読んでいてもまったくストレスにならないというのは流石の構成であると感じてしまう。

 

・圧倒的な設定の数々が「絵」を動かす

ここでそろそろ、先に述べた筆者である大童氏の若さがなぜ異常なのかという点に触れていこう。本作は、浅草の妄想した世界観が基軸となる。それをいかにアニメに落とし込むのか、というのが作品としての軸である。その「絵をいかにアニメにするのか」を話中だけでなく、読者に対しても説明をする。そしてそれを表すのに、本作では設定資料集のようなページを挟むのである。

 

例えば妄想マシンの細かいギミック。妄想する街の風景、それを説明する為に見開きのページを使い、解説する。そう、一度話を止めるのだ。それを読むことで、読者は次のページにある「絵」がしっかりと動いて見えるのである。漫画のストーリーの中でも登場人物が「絵をいかにアニメにするのか」を画策するのと同時に、読者目線に対しても「漫画が動いて見える」という工夫を作者が如実に仕掛けてきている。しかもそれが、理屈にかなっているのだ。

 

例えば1巻に収録された第3話。絵の風車をパラパラ漫画でいかに回すのかという課題が彼女たちの行く手を阻むのである。それに対して、浅草みどりは風車が平面でなく、いかに風を受ける角度で作られているのか、更には周りの芝を飛ばすことによって、より見ている人に「風が吹いている」ということを錯覚させるのかという解説を行い、ご丁寧に「説明ページ」もわざわざ挟むのである。

 

普通であればそんな説明ページを挟むことはテンポが損なわれる気もするのだが、そこで「絵が動く」為のギミックを理解した読者が次のページを開くと、やはり風車は回って見えるのだ。これは恐ろしい体験をしたと感じた。この若さで、漫画の合間にこの緻密な仕組みを生み出すこと自体が圧巻であるし、更に言えばしっかりと「動いて見える絵」を理解し、説明し、そして描けるだけの画力が彼に備わっているということ自体が圧巻である。いくら言葉で説明したところで実感に勝るものはない為、これに関しては見ていただきたいとしか言えない。

 

そして言わなければならないのは、そうしたギミック説明のひとつひとつが本当に間違いなく「オタクのしわざ」なのである。たぶんSFが好きでしょうがないのだろう。そしてミリタリから物理、機械の仕組みまで。そうしたオタクが好みそうな事象が全てこの本には詰め込まれている。そんなのを見てしまうもんだから、本当に93年生まれなのかという疑問はここでも沸いてくる。まるで『宇宙船』読者なんじゃないかと疑念に感じるほどのデティール描写は素晴らしいとしか言いようがない。空想もここまでくれば芸術である。

 

・まるで『メリー・ポピンズ』を見ているよう

この漫画を読んだ感想をネットで見てみると「新しい!」という言葉を見受けることが多い。それはそうだ。上記の通り、あえて漫画のストーリーを止めてまでギミックを説明することで、アニメーションという本来であれば漫画と相対するものを紙媒体の中に飲み込んでしまっているのである。僕も読んでいて衝撃を受けたし、また漫画の軸である王道のストーリーも日本橋ヨヲコの『G戦場ヘブンズドア』や『SHIROBAKO』ほど重くはないものの、アニメ制作に対して「熱さ」を感じるには十分といった展開が心地よいのである。

 

また、ここの見出しにも書いたのだが、漫画とアニメの融合、そしてやけに軽妙なリズム。僕個人としてはその他メディアの統合を一つの媒体がここまで表現できるという点においてディズニーの『メリー・ポピンズ』が頭を過ったのである。確かに話のジャンルも違えば、そもそも本作は映画でもない。まったく違うだろという異論は認める。ただしかし、実写とアニメの融合というその異ジャンル組み合わせの形でいえば、確実に今回の『映像研には手を出すな!』という作品もそうした「マルチメディアとしての漫画」という新しい基軸を擁しているように感じる。

 

僕自身『メリー・ポピンズ』を見たときに感じた感動を、本作は呼び起こしたのである。それほどに新しい何かを孕んでいると僕は言いたい。今後の話の展開は確かに難しいかもしれない。アニメ制作という本来漫画では再現不能なものを扱っているからである。しかしながら、この1巻を読む限りでは大童氏に僕らは期待せざるを得ない。漫画が動いて見える。そんな摩訶不思議な現象を食らったのだ。今後についても、確実に注目すべき作品であるし氏のセンスが漫画文化自体を、もう一歩新しいステージに移行させるのではないかと。そんなワクワクを久々に、漫画から味わってしまった。