わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

FGOが僕に思い出させてくれたこと

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あんだけ「おい、Fateばっかりにかまけやがって!お前らに課せられた本当のグランドオーダーは月姫リメイクの完成だろ!!」とか延々悪態ついていた僕も気づけば人理修復完了。いやぁ、ほんとごめんなさい。アメリカ編以降「バカ・・・最高かよ・・・」という言葉しか出てこず、更に終盤キャメロットからバビロニア、そしてソロモンなんて泣きすぎてティッシュ3箱切らすわ、しまいにゃ電車内でやってて泣けてくるのを必死に花粉症の体にして誤魔化すとか、「ソシャゲなんてやらない」と貞淑気取ってた自分が股ガバガバもいいとこ。今回は新章『Epic of Remnant』も好況の『Fate/GO』をようやく一旦クリアできた面倒な型月厨が好き勝手言い散らかすよ。

 

・見返りもなくゲームをしてたあのころ

僕はもともとそんなにゲームをやる子供ではなかった。いや、格ゲーに幼少からハマってたので確実に好きだったのは認めるのだけど、事の発端は今から17年前の3月。2000年のPS2の発売だった。当時末端価格で4万もした記憶が残っている。その価格に見合う128ビットという圧倒的な表現力、そして魅力的なタイトルにくぎ付けになり、誕生日・サンタじじい・お年玉、すべてを総動員、総攻撃を仕掛けるも結局貧しい我が家には手が届かず。まぁ、今思えば一番経済苦が酷かった時期で、おかずにめざし3匹なんていう昭和のマンガでしか見たことない夕飯も経験した頃だ。

 

周囲の友人がゲームにうつつを抜かすなか、どんどん捻くれていった僕は、野球やギター、勉強に熱中。「ゲームなんか現実に有用でなく、そんなことに時間を消費するなんて無意味だ」と子どもながらに自分に納得させ、次第にゲームをプレイすることから遠ざかっていく。クソマセガキである。しかしながら、前にも触れたがこうした頑なな姿勢は、一度ヒビが入ると全崩壊を起こす。中学以降徐々にオタク文化に染まっていく中で、ついに自分の城たるPCを高校時代に購入。(当然親に買ってもらえないので、奨学金をすべてぶち込んだ)

 

即いくつかエロゲを貪るようにプレイ。なるほど、こういうものなのかと理解していく中で、とうとう出会ってしまったのが『月姫』という作品だった。コミケで知り合った友人から面白いよと『月箱』を貸してもらう。それまでのエロゲは名前の通りエロ目的でプレイしていたが、どうも純粋にテキストを進める手が止まらない。なんだこのうざったい文体、そして完全な中二展開にシンプルながらもキャラが心をつかむことつかむこと。初めてストーリーに「持っていかれた」作品だった。

 

そして、そのころ既に『Fate/stay night』も発売されていた為、『月姫』をプレイし終わった僕は翌日部活を「病院行ってきます」と休んで秋葉原ソフマップに急行。なけなしのお年玉をはたいて購入。もうそりゃ、没頭もいいとこ。登校中でもセイバーのこと考えてるし、授業中でも桜のこと考えてるし、野球のノック中も遠坂のこと考えてるしでほんと生活にならない。当時結構本格的な野球部だったので朝練も当然あり、家を出るのは5時半。『Fate』のプレイは朝4時までと決め、ギリギリの体力で日々を乗り切っていた。早朝起きてきた母親が、PCを前に感動の涙を流す僕を見て「あんた気狂ってるんじゃないの!?」とブチ切れられたのも懐かしい。いやぁ、うん。気狂ってたわ。

 

更に高校時代。周囲には男オタクも少なかったため、布教活動にも精を出した。自分が書いたキャラ絵なんかをあえて晒して隠れオタクを引っ張りだし、そこから『Fate』を勧める。またゲーム文化になじみのないやつには『空の境界』を「面白かったよこの本」と無理やり読ませてみる、などもう今思えば自分を殺すしかないような鬼畜な所業を繰り返していたわけで。その熱量たるや、若気の至りで言い訳できるレベルでもない気がしている。ほんとにごめんなさい。

 

・コンテンツを消費するのは何のため?

ただ、そうした熱量が続くかというと正直厳しかった。熱量のピークは『ひぐらしのなく頃に』や『Fate』のFD『Hollow ataraxia』をプレイしていた頃のように思える。その後、大学へ進学すると、徐々にバイトなどを始めたり、同人活動にも手を出した。そこで受け手のみでなく「何かをアウトプットする楽しみ」に気づきだしてくる。当時はバンドも組んでいたし、漫画も結構真剣に書いていみたりと、これまで散々ため込んできたオタクとしての経験値を少しずつ表出することに陶酔を覚えていたのかもしれない。

 

そして、コミケをはじめとした同人イベントにも参加してみると、やはりより良いものを作りたい、周囲から評価をされたいと感じるようになる。そうした感情が湧いてくるのは致し方がないことだと思う。更に上を目指す為には、なるほどいろんな作品を見たり、プレイすることは自分のアウトプットにもつながるんだ。そうした実感を徐々に得ていく。意識的にTSUTAYAに通ってアニメを一気に借りたり、何か表現したいことをベースにエロゲをチョイスしてみたりと、どことなく自分の地盤を作るために各作品を享受する事を覚えだした。いや、そのおかげで様々いまだに忘れられない素晴らしい作品と出会うことも出来たし、確かに絵を描く、楽器を弾くモチベーションに繋がったのも間違いない。

 

ただ、社会人になると。その時間の確保すら難しくなる。これまでの要領で何かを作ろうとすると壁にぶち当たる。インプットが足りない。ただ、そのインプットもアウトプットを無理やり生み出したいが為の仕入れでしかなくなる。つまるところ当初と比較すると、目的と手段が逆になってきて素直に作品を楽しめない。そして周囲を見ればソシャゲが盛隆。課金で儲けるその姿が一時のマネーロンダリングにしか見えなくなってくる。ゲームってこんなんなのか?いや、そこを受け入れられない自分が悪いのか・・・などと疑心暗鬼になったりもした。

 

とかく、何を見ても「これは自分の糧になるのだろうか」とか「このゲームをプレイする時間は有用なのだろうか」と結局、マセたガキだった嫌な小学生の頃の自分に少しずつ戻りかけていたのかもしれない。

 

・やはり、好きなものはすきだからしょうがない

実を言うと、非常にここのところも精神状況がこんな感じであり、何をしても楽しめないというような感に追い詰められていた。何か見なくては。枯渇してるだけだ。とamazon プライムを探ってもピンとこず。ただの同人作家リーマンが何をそんな焦ってるのだと自分でも笑いたくなるのだけど、こればかりは性なので仕方ない。

 

もうダメだ。諦めてFGOでも腰を据えてプレイするか。そんな境地の中でようやくクリアを目指してちゃんとプレイしてみた。過去にないほど、もうできる限りの時間を費やした。電車の移動、布団に入って、半身浴をしながら。ここまで来て初めて気づく。頑張ってゲームを続けたというのは嘘だ。ただただ、面白くて。うれしくて。やめられなかったのだ。

 

様々なサーヴァントが登場する中でも、過去の作品の伏線を拾ったり、今回プレイする中で改めて合点がいったりと、この10年以上の時を経て再度『Fate』が設定から動きだしている事に感動を禁じえなかった。特に7章バビロニア。本作では悪道を尽くしたラスボス、ギルガメッシュが、人の道を救う王として描かれる。聖杯戦争ではないからこその表現であり、彼が数ある宝物庫から「エア(エヌマエリシュ)」をなぜ宝具としているのか。そんな事にも合点がいったりと、いやぁ。ほんとやられたよね。また、当初は女神イシュタルが遠坂のデザインを模しているのを見て「媚びてるなぁ・・・」と思っていたけど、プレイすればそこの必然性にも少しずつ近づけていける。つまるところ、やられっぱなしなのである。

 

このFGOにはこういう感動がいくつも点在している。過去のことに固執する面倒なオタクだったからこそ、いちいち小さな発言が嬉しく、そしてちょっとしたセリフでも号泣したりする。これをプレイしたからどうだとか、何の糧になったとか。そんなことはまるで関係なく、ゲームとして一つのテキストを読み進める事がこんなに幸せだったのは久しぶりだったかもしれない。最終的に冒頭掲げた人理修復を果たしたのも結局は朝の4時。この歳になって・・・バカだなぁ・・・と思いながらもゲームを無心でプレイし、そこから得られる感動にただただ染み入る。この独り至高の時間こそオタクの特権だよなと。やはり好きなものは好きだから、しょうがないのである。

 

いやぁ、新宿編も楽しい。でも、月姫も待ってるんだからね!ということで明日は出張なのでそろそろ寝ようと思う。まとまりがマジでないけどこのへんで。