わがはじ!

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ゆるやかな全体主義社会の中で~城山三郎没後10年に想うこと~

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日本人で一番好きな作家は誰か。そう問われたら僕は確実に城山三郎と答える。

 

氏が亡くなったのは2007年。気づけば10年が経過してしまった。代表作を挙げるならば唯一文官でA級戦犯となった広田弘毅を取り上げた『落日燃ゆ』、金輸出解禁に奮闘をした浜口雄幸井上準之助にフォーカスを当てた『男子の本懐』、また当時通産省における高官たちの仕事や人事に纏わる姿を描いた『官僚たちの夏』、とある商社マンの企業組織における立ち振る舞いやビジネスマンとしての幸せは何かを考えさせる『毎日が日曜日』など。紹介しきれないほどの名作を残している。

 

そして今回、ちょうど没後10年に合わせて発刊された『よみがえる力はどこに』(新潮文庫)という講演や対談をまとめた本を読み終えたところだった。経済小説の第一人者として知られる城山氏だが、むしろその企業や国を動かす個を扱う情熱は計り知れない。やはり氏の発想が今の世においても、いかに生きるかを考える上で重要なヒントになると改めて実感した為、このような文章をぽつぽつと書き始めてしまった所存である。

 

・組織の中の個こそが希望

先に挙げた『よみがえる力はどこに』でも読むことができるが、基本的に「組織は信用ならない」というような発想が城山文学には貫かれている。それは戦時中、氏が海軍に志願して入団したものの、その内部の実情が惨憺たるものだった事が大きな要因となっている。リンチやしごきなど内部の腐敗が進み、戦争の大義以前に日本軍のこのような組織体や正体不明の権威という存在に強い違和感を感じたということである。

 

さらに、戦後。人々の価値観はそれまでの「鬼畜米英」から180度変わり、インテリの間では「戦争に行かなかった方が偉い」「軍隊なんかに志願したヤツはバカだ」というようなこれまでと全く逆の風潮が生じる結果となる。戦時においては称賛された行為が、終戦を境にまるで違う扱いを受けるという事も氏の感情にしこりを残すこととなった。

 

このような氏の原体験によってその作風は「組織とはなんなのか、個とはなんなのか」「組織の中での個の幸せとは何か」というテーマに収斂されていく。上段で挙げた各作品も然りで、国家、企業、省庁といった巨大な組織から各人物をピックアップし、その中でいかに自分の生きざまを貫いたのかが、それぞれに描かれている。

 

特に戦時下、時の首相にもなった広田弘毅の『落日燃ゆ』は伝記ながらも、城山氏としての考え、そして在り方が投影されている作品となっている。「みずから計らわず」と外交官としての道を選びながら出世コースには上らず、しかしながらも時の流れによって首相まで上り詰めてしまう。軍部先行の時代、文官として幣原外交が目指した協調外交路線の維持を模索したものの、結果軍の妨害により破綻。結局東京裁判ではA級戦犯として処刑されることとなる。本来であればその罪に対して反駁するものがあるはずのところ「その責任は私にもある」と戦争責任に対する抗弁を全くしなかったという姿が描かれた長編ノンフィクションである。

 

城山文学全般に貫かれているのは、先ほども言った通り「組織の中の個」という存在である。広田弘毅は結果だけ言えば、時代や軍政に巻き込まれ処刑となる。サクセスストーリーなどでは決してない。ただ、どのような状況下であれ、その自分の在り方を貫き通すこと。組織や風潮にブラされないその生きざまとしての強さを我々は氏の小説から学ぶことができる。

 

・負けることのない人生を歩むこととは

僕が城山作品に出合ったのは中学2年生、2003年頃だったはずだ。確か、かなり年上の地元の先輩から勧められたのがこの『落日燃ゆ』であった。確かにその年齢で読むには難しい部分もあったものの、城山文体とでも言おうか。淡々と語られるその時代の状況、そして広田の生き方、言葉。じっくりと読み込めばその意味は自然と理解出来たし、その後何回も読み返した。

 

当時は日本史の授業なんかで戦時のことを学ぶと単純に「軍も政治も一緒になって国民を騙して勝てるはずのない戦争に向かった」という愚かな失敗談として学んでしまう。そうした風潮がある中で読んだ『落日燃ゆ』は僕にとってのカルチャーショックのひとつだった。戦時下においても、何とか平和外交を行おうとした人間がいたこと。そして、その思いも虚しく結果戦犯として処刑されてしまったこと。世の中が単純かつ一辺倒な事実だけで構成されていないことに、この本で気づかされたと言ってよい。

 

そして徐々に僕自身も。当時学生の身分から大人になり。社会で働くようになってから城山文学の偉大さは増して理解できるようになってきている。会社という組織に所属し、賃金を頂く。そのためには淡々と仕事に励み、日々を回していく。社会の歯車とはよく言ったもので、先日の記事にも書いたとおり少しずつ自分という存在が会社の中で、あるいは社会の中で埋没してくるようなイメージを抱くことが増えてきている。どうも、こうした集団の中で行動を起こし、異端になるということはリスクでしかないし、そもそもその労力すら厭う自分もいる。

 

しかしながら、城山作品を見れば、それぞれの組織において自分の個を貫いた過去の偉人、あるいはそこで模索をする主人公たちが多くいる。『辛酸』という作品で描かれた田中正造という人物。足尾鉱山毒物事件において、代議士をやめてまで地元住民と戦い、そしてのたれ死にのような最期を迎えたが、結果以上にその信念や執念こそが最も重要な点であると城山氏は考える。

 

「軟着陸をしない人生を」と題打たれた講演の一部では、どうしても楽な方へと流れる人生だからこそ、自分の中で価値を定めそれに邁進をする。報われることの少ない人生でも、やるべき事を定めやり続けること。この姿勢が唯一人間として負けない姿勢であるし、また、その行動を取ることが出来るからこそ、人間は負けるようには造られてはいない。とヘミングウェイの言葉を引用しながら語っている。この一説こそ、城山三郎という人物が持っていた人間賛歌そのものであると僕は思う。

 

・緩やかな全体主義の風潮の中で

では、冒頭に述べたとおり。僕がなぜこの城山文学における精神が現代の日本に必要だと感じているか、という話に移る。今は戦時下でもない。特に平成の世となって29年が経ち、圧倒的な権威と呼べる存在もなく、核家族化が進み個々人がより自由な暮らしを選択することが出来るようになっている。そういう意味で、過去にないほど我々は自由な生活を享受出来ているのかもしれない。

 

しかしながら、その自由さはある種での残酷さと表裏一体である。なぜなら自らの幸せの定義を自らが行わなくてはならない。組織という存在はその幸福概念の決定という行為をある意味で代行してくれるものである。例えば、国家という存在がもっと求心力を持った存在だとして。経済的な発展こそが自分たちの幸せに直結しているという確信があれば、それはある意味で幸福なケースといえる。まさに昭和の高度経済成長期がこうしたパターンの時代だったとも捉えられる。

 

反対に「失われた20年」にまさに青春が重なった世代にとって、この発想はピンとこない。自国のGDPがどれだけ自分の幸福に直結しているのかもわからず、また家族という存在も多様化し、メディアに至るまで様々な手段と方法によって、それぞれが自分だけのオリジナルな幸福観念を探すような状況となっている。そんな時代だからこそ、今の世代というのはSNSといったぼんやりとしたつながり、家族や会社といった既存でないコミュニティというものの重要度が相対的に上がっているのだろう。やはり和辻哲郎が言うように「人間」と書く以上は人はどこかで組織を、社会を求めて生きてしまうのである。

 

要は、現代とは形式上は最大限の自由を宣揚しながらもその実、SNSをはじめとした色々な人間との複雑な関係性によって社会における自我が成立しており、それは今まで以上に「無意識下での」全体意識の形成につながりかねない。つまるところ、日々の「あの人はこう思っている」「こんなことを言っている」という内心の吐露が必要以上になされることによって、あるいは、それを見てしまうことによって、自分自身の「個」を持ち続けることの難易度は上がっていると感じられるのだ。

 

緩やかな全体主義社会、と書いたが誰もが内心をさらけ出すことによる内心の平均化リスクとでも言おうか。そうした事態がありうる時代において、城山文学で示される個を持つあり方というのはやはり輝くものがある。個は組織の為にあるのでなく、個の意思を貫くために組織がある。この発想というのはあくまでも、自らがどういった生き方を貫くのか、何をし続けるのか。という意思決定からスタートしている。何かと始まりの季節である春ももう既に晩春の気配が強いけれども、もう一度改めて城山文学に触れることで、自らの襟を正すがごとく自らの生の方向性を考える、というのも悪くないのかもしれない。