わがはじ!

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現代の「~ハラスメント」依存について思う事

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NHKニュースサイト http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170515/k10010981921000.html より

 

・「~ハラスメント」いくつ知ってる?

ということで、今日ニュースを見ていたら「SOGIハラ」なる言葉を耳にした。上の画像を見ればそのままなのだけども、最近このブログでもかなりの回数を取り扱っているいわゆる性的マイノリティと呼ばれるLTGBの方々。そのような性的志向がちょっと少数派な人に対する人への嫌がらせ、あるいは暴言などを「SOGIハラスメント」略して「ソジハラ」と呼ぶらしい。Sexual Orientation Gender Identity の頭文字を取って「SOGI」とのこと。

 

僕も今日ニュースで見るまでこの言葉は知らなかったのだけど、容易に想像がつく話ではある。「あぁ、あの人同性愛者だから」とか「ゲイなんでしょ?w」とかそういう発言は当事者あるいは周囲の人を傷つけていますよ、ということを啓蒙するためにこのような言葉が生み出されたということである。

 

確かにこうした言葉が生み出されることによって「あ、こういうこと言うとあの人傷つくのかもしれない」とか「こういう事をいうとSOGIハラにあたるのかも」とか、周囲の想像力を働かせるという意味では有用な言葉であるだろう。意識の啓蒙という意味では「あなた、それもハラスメントですよ!」という指摘が出来たほうがより便利である。

 

それにしても、だ。この「~ハラスメント」今現状でいくつあるんだろう。そんな事を思ってググってみたら、こんなサイトに当たった。

全32種類の○○ハラスメント一覧 | 社会人の教科書

なるほど、このサイトの定義ではどうやら32種類あるらしい。今回取り上げた「SOGIハラ」が入っていないことを踏まえると、恐らく現在では50種類くらいにはなっているんじゃなかろうか。そしてこのサイト。最後にはこんなまとめで締めくくられている。

閉じられた人間関係の中で、気付かない内に「ハラスメント」は発生しています。そして、これらのハラスメントは「人権侵害」であり、本人同士や周りの人間を含め解決していく必要がある重大な問題です。

最も大切なことは、自分の行動が同じ環境にいる人間に不快感を与えていないかどうか、ということを自ら振り返ること。自分の何気ない言動が相手にとっての「ハラスメント」になっていないか、一度自分の普段の行動を見つめ直してみましょう。

 

・「ハラスメント」の本質ってなに

このサイトの32種類のハラスメントを見ていると、あることに気づく。正直「~ハラスメント」って名前はついているが、それを見ていると、日々生活している中で対人と起こりうる不満や問題そのものであるということだ。先駆を切った「セクハラ」あたりは言葉として定着しているものの、それ以外を見ていると「もうそれって、ハラスメントってかただの対人関係でムカついたことでは?」と思わざるを得ないものがいくつもある。

 

上記の「SOGIハラ」もそうなのだが、果たしてなぜこのようないろいろな種類の「ハラスメント」が生じるのか。それは日々社会で生活している人ほぼ全員が感じてることだと思うが、どこにでも「ムカつく野郎」は存在しているということだ。強いていうなら「ハラスメンティックな人」とでも呼ぼうか。思い起こしてほしい。飲食店でやけに強い態度で注文をしだす中年客。電車内でバカみたいに騒ぐ学生。職場なのに身の上話ばかりして仕事しないお局。路上で平気で喫煙するおっさん。空気も読まずに同僚の身内ネタを面白おかしくバラす知人。ネット上で人の悪口ばかり騒ぎ立てるクソアカウント。

 

そう、お分かりだろうが、自分に対してハラスメントを行う人間なんていくらでもいるのだ。上記のまとめで「ハラスメントは人権侵害」と書いてあるが、そんな事を言い出したら、日常生活はほぼすべて人権侵害との闘いである。静謐な職場でトイレひとつ行くのも闘争だろうし、飲みの席で上司に酒の限界を知らせるのも決死の闘いである。そういう意味では、だれもがハラスメントと闘っているし、逆に生きる上ではこれらハラスメントに勝たなければならない。

 

「~ハラ」という言葉がここまで増えているのは「自分が受けたムカつく事をだれかと共有したい」という感情からだと思う。例えば「物言いがキツくてムカつく上司」「自分の裁量や権限を振りかざす先輩」それらを「パワハラ」と呼んで分かりやすい批判対象に仕立てているのである。しかし、その共有が行われたところで容易にその対象の人物が変わるわけでない。むしろここまで「ハラスメント」という言葉が一般的になったことで、それはただのレッテル貼りにとどまってしまう。上司からは「ゆとり世代」と言われ、下からは「パワハラ」と返す。単なる悪口の応酬にしかならないケースも多々あることだろう。

 

・本当の意味で「ハラスメント」を打ち破るために

人は言葉に甘えたがる性質がある。「~ハラ」という言葉で相手を批判出来るとついつい信じてしまう。しかしながら、本当に現実のハラスメントな状況を変えるには、やはりレッテル貼りだけでは意味がない。「セクハラ」が出来た当初は「ハラスメント」という言葉にも力があったため、その批判効果も強いものに感じた。しかし今や、日常の些細な不満はなんでも「ハラスメント」になりかねない。では本当に、その現実のハラスメントを打ち破るにはどうしたらいいのか。

 

冒頭で取り上げたLGBTに対する「SOGIハラ」を例に見てみよう。確かにこの言葉によって、蔑視的発言への萎縮効果は見込めるだろう。しかしながら、例えばマツコデラックスが「SOGIハラ」的発言をされたと他人に対して訴えるだろうか。「ホモ」「ゲイ」などと言われたところで勝手な想像ではあるが、それら言葉を一蹴するだろう。極論だが、いわゆるドラァグクイーンと呼ばれるような人らも同様に思える。つまりは、ハラスメントすら寄せ付けない自分が確立しているということだ。

 

以前こんなエントリを書いたことがある。

www.wagahaji.com

女装を例に「キモイ」という感情はいかに生まれるのか。また、人はみなどこかで「キモさ」を抱えているものであるという話だった。今回もその話に近いものがある。誰しもがハラスメントをするし、される可能性がある。今回のように「~ハラスメント」という言葉が増加し続けると、先にも言った通り単なる悪口の遣り合いだけになってしまい、本来の問題が解決しないのではないかと感じられた。

 

ここまで書いているが、勘違いしないでいただきたいのはあくまでも「ハラスメントを行う方が悪い」のは当たり前である。「~ハラ」を受けている側の気持ちも考えられずに、不満を相手に与える行為を称賛するはずがない。ただ、見てきた通り、重要な問題は人生において種々の「ハラスメント」が完全に消えることはないということである。

 

その上で今回、とかく言いたいのは相手を批判したいが為に「~ハラ」という言葉に依存しない方がよいということである。病名を与えらえれて安心する精神患者のように「あいつはハラスメントをしている」という批判的なレッテル貼りだけに満足して実際の問題事態が解決に向かわなくなるケースも生じる恐れがあると感じたのである。

 

「SOGIハラ」であるならば、まずは自分がどのような性別として、どういう在り方として生きていきたいのか。その確固たる意思こそが批判や蔑視すら打ち破る一番の処方に思える。それ以外にも何かを「ハラスメントだ」と批判する前に、自分の意思を見つめなおす事が最優先だと感じた。

 

ハラスメントをする輩は「~ハラ」と呼んだところで、消えることはない。その前に、そいつにどう対処するか。自分はどうしたいのか。愚痴る前に考えた方が生産的だなとか。そんな事を思いつつ、滔々と愚痴をこぼしてしまいました。