わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

オタクとして「消費者」を逃げないということ

全国的に2018年ということで、平成もいよいよ30年を迎えたらしい。気づけばどこもかしこも新年賀正ムード。そして、社会に身を報じる立場としては、すぐすぐ仕事始めが見えてきて、3月末に向けてのラストスパートが始まる・・・

 

そんな絶望的な現実についてはさておいて。ひとまず、コミックマーケット93、参加された皆様、本当にお疲れさまでした!また今回弊サークルの新刊にご協力いただきました、造型工房SIGMA様、RINS様、そして大怪獣サロンの皆様。記事を書いてくれたりょうちゃん氏、シゲヨシ伊東氏、また手伝って頂いた方、当日ブースまで足を運んで頂いた方すべてに感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

 

引き続き、COMIC ZIN様とお世話になった大怪獣サロン様において、新刊の委託販売を続けていますのでコミケで買い逃した方や、遠方だった方はぜひこちらをご利用下さい。

www.wagahaji.com

 

COMIC ZIN 通信販売/商品一覧ページ

COMIC ZIN様での新刊の通販対応はもう少しかかるかと思います。(既刊は通信販売まだ承って頂いております)店頭委託販売はすでに現品ありましたので、何卒よしなにです。

 

 

 

そんな中で、年が明けてからひとしきりぼーっとしていて。少しずつ思ったことや、新年明けてみて考えたことを、今回の新刊の中身に軽く触れつつ話そうと思う。

 

新刊のそれぞれ特集の記述については、編集後記でダラダラと僕が蛇足な文を書いているのでそちらを参照いただければ十分なのだけれども、もう少し。追記としてここに残したいことがあった。

 

それは、今回うちのサークルで毎度売り子をしてくれているりょうちゃん氏に書いてもらったコラムについてである。いつもプリキュアショーに積極的に通い、着ぐるみ面の工房「RINS」の広報を自称し、終ぞ勝手にツイッターアカウントまで作った彼の意中を覗いてみたい。そんな思いもあって、日々の生活が忙しい中、無理を言って文章を書くお願いをしてみたのだ。読んでいただいた方は既に見たとおりなのだが、今回彼がテーマにしたのは掻い摘んでいえば「造型工房SIGMAとRINS、双方の工房主と出会って気づいた自分のオタクとしての在り方」というような内容だ。

 

当初彼に伝えた締め切りよりも文章の上がりが遅れていて。正直軽い気持ちで彼に頼んだことをちょっと後悔し始めたとき。ようやく、その文章が上がってきた。そして目を通してみれば、それはこれまでの彼自身のオタクとしての自我を問う、オタクとしての葛藤についての話だった。単語からも実際に悩んだ痕が感じられる、そんな文章。時間もかかるはずである。ここでそのまま文章を引用することは憚られるので、ざっくりと概要だけ。

 

インターネットというログが残りやすい場所において、オタクとしてモノづくりが出来る才能に対する嫉妬を自分の感情の中に発見してしまう。ただ、それでも造型工房SIGMA・RINSの工房主との出会いを通して、何もモノを作る才能がない、いわゆる今でいえば「無産オタク」と蔑まれるような自らの在り方を「オタクとしての楽しみ方」で乗り越える。何かを好きだという気持ちで、そして行動で、言葉で。自分のスタイルとして認識していく。そんな筋の話であったと思う。文体を感じた方がよりリアルに彼の言葉に共感出来ると思うので、是非それは実際に読んでみて頂きたい。

 

僕がここで、余計な事を書きたくなってしまったのは、やはり僕自身も彼と同様の観念を抱いていたからに他ならない。恐らくこのSNS全盛の時代。超絶絵師の絵が次々とTLに流れ込み、誰もが動画などのコンテンツ作成に着手可能、素人からゲーム配信主、Youtuberなんていうほぼ芸能人と大差ない存在へも、技術とやる気次第で手がかけられるようになった。そんな、オタクであるからには何かモノを作っていたい、いや作らなければならない。という逆説的な強迫観念から、先に挙げた「無産オタク」なんていう言葉も生み出されたのではないだろうか。

 

うだうだ言ってないで、はっきり言ってしまおう。最もこの文章に刺されたのは、依頼をした僕自身だったのかもしれない。昔から常々、絵を描いたり、楽器を持ってみたり。何かを表現せねばならないと思っていた。オタクであることが形として残らない、いや、生き方として何かが残らないという事がなんだか怖くて仕方がなかった。それも自分では「本気だ」なんて嘯いてみるものの、結局はその筋の人を前にすればやはり半人前の志で。何度もそうした壁にぶつかっては、もう自分の生きている値打ちすら否定する事を繰り返した。

 

今では、同人雑誌という体裁で。誰か飛びぬけている人や、この人の言葉は残すべきだと感じた人に協力を頂いて何とか本を作ってはいるものの、それは全て所詮は借り物に過ぎないといつでも感じてはいる。話を聴けば聴くほど、自分の矮小さに気が付いてしまうような。

 

そして、最終的に何をゴールにすればいいのかと、考えた末に「悩んでしまうのなら最初から始めないほうがいいのでは」と、少しずつ物事に背を向ける癖もいつからついたのだろう。いろいろな方向への興味が閉じていく感覚は、こうした「無産オタク」への抗い疲れとでも呼ぼうか。僕自身のそんな葛藤を彼に見透かされていたようで、なんだか笑ってしまった。

 

そうした精神状況であった僕が。今回の彼の文章から、ただ純粋に楽しむこと。楽しみ尽くすこと。それがオタクの根本ではないかと。そんな事を思い出させてもらった。「オタクとは究極の消費者」とは、かつて話を伺ったことのある某氏の言葉である。何かを愛好すること、のめりこむこと、それは、消費者である自分から逃げないことに他ならない。ネットが拡充し、サブカルチャーが地表に表れ、萌えキャラ広告やCMも毎日見かけるようになった。僕はそれを見て「あるべきオタクのサクセスストーリー」みたいな像を無意識のうちに作り出してしまっていたのかもしれない。

 

なんていうか、もっとバカで。単純で。中学二年生の頃のような消費者として「この先が見たい」という熱量こそが、逆に大人になった今だからこそ、これからの時代を切り開く想像力で在り得る思う。この時代の閉塞感に打ち勝つ為には、まずいかに楽しむか。その消費者的思考の重要さを改めて学ばせてもらったなと。好きだからこそ、楽しみたいからこそ、自分がどう行動すべきなのか。そんなニヒリズムに打ち勝てるだけのオタクとしての心構えみたいなものを、改めて見直す一年に出来ればと。また青臭い考え事で一年の計を埋めてしまった。

 

今年で僕自身も30歳という佳節を迎える。周囲に聞けば「大した違いはないよ」と言われるのだけれども、自分がどういった佳節にするべきなのか。ちゃんと考えなきゃなと思いつつ「仕事嫌だな」とかいつも通りの嘆きばかりが頭を埋めていて。酒に酔いながら何ともならない文章を書いてみたりしているわけで。

 

ということで、やっぱし結局のところ人間としてそんなに大差はないと思いますが、本年もよろしくお願いいたします。