わがはじ!

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『ドキュメンタル』の下ネタは笑えるのか

うちのテレビは、寒い日だと調子が悪い。スイッチをつけても5分は画面が安定しない。電波の受信がうまくいっていないのだろう。この謎の不調を抱えたテレビは5年前にネットで購入、32型で2万円という破格の新品単価が功を奏して、いまだにメーカーすら判っていない。

 

そして、昨年末12月。とうとう映るチャンネルがNHKテレビ朝日だけになっていた。個人的な日常生活としては『おはよう日本』と『プリキュア』が見られれば何の支障もないので特段気にしていない。さらに今やネット配信が主流の時代。僕もこの年末年始は結局AmazonPrimeやNetflixばかり流している日々だった。

 

 ・僕らはAVを見ても笑わないのは何故か

そんな中。昨年度から延々見続けているコンテンツがある。タイトルの通り松本人志が主催を務める『ドキュメンタル』だ。もはやTVCMでもお馴染みだろう。芸人が10人密室の部屋に集められ、互いを笑わせあい、最後まで残った一人が賞金1000万円を手にする。すでにシーズン4までが製作されており、Amazon Primeの中でも筆頭の人気コンテンツだ。僕も欠かさず見てしまっている。

 

Wikipediaにも詳細がきれいに纏まっていたのでリンクを張っておきたい。

HITOSHI MATSUMOTO presents ドキュメンタル - Wikipedia

 

この番組の特徴は、基本的に放送コードがないこと。(画面上のモザイク処理などはあるが)ド下ネタでも放送してしまう。序盤からシーズンが進むにつれて、その下ネタ活用の度合はさらに強くなっていき、最新のシーズン4では、オチが宮迫の勃起させた男根だったり、千鳥が小便漏らしたりと流石の僕も「いや・・・ないな・・・」と引いてしまうレベルに至っていた。

 

それでも主催の松本人志はそのパイロット版のインタビューの中でこう語っている。

 

「「ドキュメンタル」のレビューを見るとよく言われるのが「下ネタがひどい」という内容ですよね。でも、僕らがやっているのは単なる下ネタじゃないですから。それなら、あんたらAV見て笑わないでしょ?と。」

 

んー。確かに。AV見ても笑わないよな・・・そういう意味では単に人は、下品だったりエロければ笑う、そういうことではないというのは松本人志の言う通りかもしれない。じゃあ「AV」と「下ネタ」その差はなんなのだろうか。そして、追い詰められた芸人たちは何故、ことごとく下ネタに走ってしまうのだろうか。こんな考え事が頭を離れず、仕事中も正月ボケでやる気も出ないのでこんなことを延々考え続けていた。

 

・すべて感情の源泉は「驚き」

これを考える上で、そもそも「笑う」とはどういうことなのか。を少しだけ抑える必要がある。フランスの哲学者・アンリベルクソンが『笑い』という本を残している。人は何故笑うのか。そんな事をクソ真面目に書いた本で、読んでみると笑いを考える特段笑えない本というのがなんだか笑える。

 

ただ、示唆に富んでいるのは間違いなく考察も難解である。そのエッセンスにこんなものがある。「往来の通行人がつまづいてよろめくと周囲の人は笑う」そう例示しながら、自分が想定していないことが起こった時に人は笑ってしまうのだと。一発屋の芸人を思い浮かべるとわかりやすい。テレビなどに唐突に表れ、誰だろうと思っている間に予想外のギャグを披露する。それが「笑えるネタ」として受け入れられるのは「驚き」とセットだからだ。

 

一発屋ブームが落ち着き、そのギャグを次第に見慣れていけば、当然のことながらその「驚き」という感情のトリガーも薄れ、やはり笑いは起こらない。よくよく考えれば「喜怒哀楽」という感情もすべて、その大本には「驚き」がある。予想外の事を言われ、怒ったり悲しんだり。ホラー映画を見たときの恐怖感もベースには「驚き」が存在する。

 

余談だが、昔とんねるずが苗場で披露したコントに「タクシードライバー」というネタがあった。途中までの明るいコントが一変、オチはダークホラー調で笑えないラストになっている作品だ。これも観客がコントとして「笑い」を期待しているところに突如不気味な要素を加えることで、新鮮な「恐怖」という感情を観客に与えている。そして、引き続くコントも「もしかしたらどんでん返しが」と見ているものを不安にさせることで、その後の笑いをも引き立たせる効果があるのだろう。

 

・『ドキュメンタル』という場での「驚き」はどこに

そろそろ本題に話を戻したい。最初の問い、AVと下ネタの差はどこにあるのか。これまで見てきた通り、AVは「最初からエロを期待している人が見るもの」であって、そこに驚きはない。対して下ネタは「下世話なことを突如言ったり、行為を行うことで周囲に驚きを与える」からこそ笑えるのだ。もちろん、その下世話な事が感覚的に行き過ぎていたりするとその「驚き」は怒りになったり困惑になったりする。

 

(逆に、緊縛された女性の間近で蕎麦打ちしてたり「驚く」要素があるAVは笑えたりするわけだ)

 

『ドキュメンタル』のレビューを見ていても下ネタに対して「不快だ」とか「面白くない」という単語が並ぶのはその「驚き」が見ている層とマッチしないせいであろう。僕自身もシーズン4についてはその一人だし、そこまでの耐性は正直なかった。

 

ただ、各芸人が「笑いにつながる驚きをどう作るのか」という見方で本番組を見ていると、単なるバラエティでなく、徐々にリアルなドキュメントのように思えてくる。

 

彼ら参加している芸人は人を笑わせるという事が仕事である。要するに常時見ている人に「驚き」を与えるネタを考えている訳だ。そんな「笑える驚き」に日頃から浸かりっぱなしで麻痺をしている芸人同士が、相手のネタに笑ってはいけないという場面において。単純なトークバラエティのような話術だけで、その「驚き」を生み出すというのは、対視聴者の難易度の比ではないのだろう。

 

参加した芸人はそのインタビューで「あの場では何が面白いのか、自分でも全く分からなくなってくる」と回想する者が多い。要するに、リアクションを許されない世界では「何が驚かれるのか」すら分からなくなってくるという具合である。そこで選択される下ネタという行為は、そうした行きも詰まった状況下において「普通、突如そんなことする?」という驚きを与えるのに最も原始的で効率的な一撃であるのかもしれない。

 

シーズン4の終盤。千鳥が両名脱落し、ゾンビとして生存者を笑わしにかかるシーン。二人とも真っ裸で漫才をするものの、まるで笑わせることができなかった。しかし最後は、ふとした折にノブが小便を漏らすという荒業を使って、宮迫の笑いを誘った。「そこまでするか?」という芸人としてのプライドをかけた「特攻」こそが、本作における下ネタであり、松本人志が「あそこで小便をするのも意地だよね」と擁護する「本気さ」なのだろう。

 

・下ネタの先にある「笑い」とは

そんな中シーズン4で制限時間の6時間を耐え、判定の末に優勝したのは野生爆弾のくっきーだった。彼はシーズン通して、自分の身体を晒すような露骨な下ネタは披露せず、想像の限りを尽くした顔芸や合成写真ネタなどで闘っている。もしかしたら、そうした面も評価されての優勝だったのかもしれない。(TENGA EGGを頭から被るのは下ネタに入るのかもしれないが)

 

いずれにせよ『ドキュメンタル』という番組は、年末の『笑ってはいけない~』とは一線を画しつつある。「笑いの実験場」を松本が呼称する通り、常に笑いを考え続けている職業人が「相手に衝撃を与える」事を最後まで追い詰めた先に、何をするのだろうか。という実験である。

 

こう言うと、たぶん考えすぎであり、単純に本人たちはただ「面白いこと」を追求しているだけなのだと思う。しかしながら、そこで生じる「笑い」という現象は、少しずつ人間の本性の部分に言及を始めているようにも思えてくる。コント番組もなくなり、トークバラエティやお散歩企画に一辺倒のテレビのバラエティが詰まらなくなったと言われる昨今。

 

ネットユーザーすらドン引くほどの「本当に面白いもの」とは何か。そうした疑問を追及した先に『ドキュメンタル』という番組はあるのかもしれない。小便を超えた先、シーズン5がどうなるのか、実際楽しみでもあり、ちょっと怖かったりもするが、いずれにせよ期待して待ちたい。