わがはじ!

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軍艦島で見た岡崎律子という作曲家の姿

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日本国内でも、死ぬまでに行っておきたい場所というものはやはりあるものだ。

 

僕にとって、それは香川のうどん屋巡りだったり、あるいは世界遺産の平泉だったり。そして、それらと同様に長年に渡ってどうしても行きたかった場所がある。それが今回テーマとして取り上げた長崎県端島だ。いわゆる「軍艦島」である。先週末、縁あって長崎に旅行し、ようやくこの場に足を踏み入れる事ができた。今回はこの時の感慨と、ここ端島出身のアニメ作曲家である故・岡崎律子氏のことについて滔々と漏らしていくことにする。

 

・「軍艦島」と「岡崎律子」という存在

2000年代を代表するアニメ作曲家に岡崎律子という人物がいた。「いた」ということで察しはつくかと思うが故人である。彼女が亡くなって既に14年という時間が経とうとしている。昨年は十三回忌ということで、人気声優の林原めぐみ岡崎律子作曲の楽曲を集めたトリビュートアルバム 『With you』を発売するなど一部でその存在がフューチャーされていた。その際の感慨はすでに記事にしているので確認してみて欲しい。

wagahaji.hatenablog.com

 

先述の通り、岡崎律子が生を受けたのは長崎県にある端島、いわゆる「軍艦島」として知られている場所である。僕も、彼女が端島出身だと知ったのは8年ほど前。僕が彼女の作品に纏わる同人誌を作成した時だったように記憶している。

 

アニオタだけでなく廃墟ファンでもあった僕は軍艦島の存在を嫌というほど知っていた。そして、その「岡崎律子端島出身」という事実を知った当時はただ単に「すごいところで生まれたんだな」という感慨しか抱かなかった。しかし、時間が経つにつれて。彼女の曲を聴けば聴くほど、次第に「彼女の感受性はこの故郷に端を発してるのでは」という思いが強まってきた。具体的な例示は後に列挙する事にして、僕はいつしか彼女に対する哀悼の意も含めてこの端島こと軍艦島に足を踏み入れることを夢見るようになっていたのだった。

 

冒頭で触れた林原めぐみのトリビュートアルバム『With you』ではジャケットに軍艦島の写真が使われている。そして封入されているブックレットにも、そこでの写真が多く見受けられる。林原めぐみも恐らく、この端島という地に岡崎律子という作曲家のルーツが色濃く残っていると考えたからこそ、このようなロケーションを選択したのだと想像がつく。

 

岡崎律子という希代のアニメ作曲家は、果たして軍艦島の何を見て、何を感じ、その切なくも実直な歌詞やメロディを生み出していったのか。一人のファンの妄想憚として書き残してみたい。

 

・昭和における最先端の島

この端島。昭和の中期において炭鉱をメイン産業として栄えた場所である。現在では誰も住まなくなった「廃墟」というイメージが強く、また炭鉱という厳しい労働環境への想像が手伝い、ある種、昭和の負の遺産として捉えられがちである。しかしながら、言ってしまえば炭鉱とは、当時でいえばエネルギー産業の雄であり、今に言い直せば石油産業に近い。岩崎弥太郎が創業した三菱という大きな企業の中でも、炭鉱というのは経済成長における非常に大きなマイルストーンであったことが伺える。石炭は「黒いダイヤ」と称された通り、炭鉱という場所自体が時代の稼ぎ頭だったようだ。

 

当然、この端島もその例に漏れず「24時間眠らない島」という異名すら持ち、当時の日本における最先端の住宅環境や娯楽施設が集まった場所であったことが知られている。人口については、当時東京の人口密度の9倍。日本最古の鉄骨鉄筋コンクリートマンションが存在したり、数々の商店、映画館や遊技場、学校においても当時日本において最も高かったといわれる7F建ての小中学校が存在するなど、いわば日本における進歩の在り方がこの端島に集まっていたと言っても過言ではないだろう。

 

そうした知識だけは持っていたのだが。先週末。実際に僕は運よくこの軍艦島に上陸することが出来た。天候によっては、上陸はおろか出航すらできない日がある中、ガイドの方が「今シーズン最高、1年にあるかないかの天候」と言ったとおり非常に穏やかなコンディションの日にこの軍艦島に赴く事が出来た。そうは言っても、正直な話、多くの建物はコンクリートの腐敗が進み、いつ倒壊するかもわからないため、基本的には立ち入り禁止になっている。観光用に見られるエリアと言えば、ほんの一部分であることは否定できない。

 

しかしながら、見られる場所は限られたとしても。その軍艦島の空気を吸うことは決して無駄ではなかった。特にガイドの方の発言がその事実を鮮明に浮かび上がらせていた。「今、軍艦島として。この端島は長崎の観光の要所となりました。そうした注目を得ることについてこの島の出身の方は比較的喜んでおられます。しかしながら。今のこの端島の状況が、彼らにとっての本当の「故郷」かと言えば恐らくそうではないでしょう。より栄えていた端島を知る出身者にとって、今の状況は恐らく悲しい姿であることも事実なのです」と。

 

・炭鉱が衰退する中で思うこと

岡崎律子という作曲家がこの端島に生を受けたのは1959年。いよいよこの国が戦後を脱しようと、経済成長という上り坂を一気に駆け上がろうとする時期である。しかし、同時に60年代というのは、国家の成長とともにこの端島が炭鉱としての役割を終え、住民が島の外へ移住を始めるその移行期間であったようにも想像ができる。

 

最終的に、端島から人が消えたのは1974年のことである。岡崎少女が生まれた1959年頃はまだ「時代の最先端」の建築技術、そして娯楽施設が存在し、端島という場所が日本における未来が詰まった島であったことは間違いない。しかし、人口推移表を見れば一目で分かる通り。1965年には大幅な人口の減少が起きている。石炭から石油へ。国際社会としても、エネルギー資源の大きな転換点を迎える中、端島もその役割を次第に終え始めていく。

 

また今回の旅の中で感じたのは端島だけではない。周辺の島においても炭鉱産業は盛んであり、それで経済が成り立っていた小さな島がいくつもあったのである。特筆すべきは「横島」という小さな島だ。この島は60年代前後、端島と同様に炭鉱を要する島として住民も住み着いていたが、現在では地盤沈下により、島という位置づけすら失い、小さな岩が海面から覗くだけの岩礁と化している。つまるところ、炭鉱を生業としたこの長崎港周辺の島々は、移ろいゆく時代の中で「いつか失われる儚い島」という実感を、そこに住む人だけでなく多くの人に実感として与えているのである。

 

そして、岡崎律子という作曲家の話に戻ろう。端島という環境で育ち、思春期にその衰退を見た彼女。炭鉱という産業が不要なものとなり、そして周囲の島が地盤沈下で沈みゆく光景を眺める中で、彼女が少女だったころに何を思ったのだろうかという話だ。当然、今更に既に故人となった彼女の本意を探るのは無粋という意見もあろう。しかしながら、実際にあの島を見て、そして人生の儚い過去、そして明日を考えることは、彼女の作詞を深く掘り下げるうえでは決して無駄な作業ではないはずだ。

 

・明日を夢見ることは、今を乗り越えることにある

岡崎律子の作詞の中で特徴を強いて挙げるとするならば、過去に対する感受性の高さであろう。様々な苦しみ、悩みがある。そうした今をいかに乗り越えるのか。この方策を常に彼女は歌詞や曲の中で模索し続けていた。『Rain or Shine~降っても晴れても~』『ノンシャンランでいこう』『A Happy Life』といった彼女の中期を代表する曲の中にも見られる通り「人生何があるかわからない」という過去に対して、そうした現実から明日をどう夢見るのか。こうした姿勢は、常に彼女の楽曲の中に貫かれている。

 

むしろ冒頭の端島出身というということを踏まえるとよりリアルな目線で彼女の作詞を考察することが出来る。冒頭で掲げた『With you』レビュー記事でも書いたことだが、岡崎律子の才能とは「自分の人生における悩みや葛藤をアニメに同期させる」楽曲を作ることが出来ることにある。過去HPでは岡崎律子自身が何を考えながら楽曲制作にあたったのかを見ることが出来た。そして、そのほとんどは自分の悩みをやはり歌詞に投影していたことが伺える。

 

それはタイアップ曲の中でも変わらない。例えば『フルーツバスケット』のEDの傑作『セレナーデ』そのサビは「俯いていた日はここから見たのはぬかるみ でも今は空を見上げてる」激しい波と水害で知られた端島での生活。そこに対するアンニュイさを振り切るがごとく、広がる空を眺める彼女の様子が浮かぶ。また、アルバムに入ることのなかったバレエ傑作アニメ『プリンセスチュチュ』のOP『Morning grace』のサビ「秘密の水辺で 踊れいのちのパドドゥ 今日も夢見てる それはやさしく激しい潮流ね どこまでも続くラビリンス 私は行こう にぎりしめる夢」これはまさに彼女の育った場所の様子を想像させる。端島という華やかでありながらも厳しい環境ではぐくまれる命の力強さを改めて見るようである。

 

日々変わる海の様子。そして日々変遷していく人の暮らし。それに翻弄されながらも、岡崎律子という作曲家は強く、そして明るく生きようとした。数々の残された名作から、改めて「端島」というキーワードを彼女の詩に当てはめると、よりリアルなメッセージとしての歌が見えてくる。ネット上でたまに「原作者はそこまで考えてないのでは」とそういった揶揄が飛ぶけれども、僕らオタクは、そして真にファンであるならば。そうした想像力を働かせながら、彼女自身の生活レベルに根差した作詞の本意を。考えたところでバチは当たらないだろう。

 

今回、長崎の端島軍艦島に上陸をするうえで林原めぐみがトリビュートアルバム『With you』を発売する際に発言していた言葉がよぎった。「予定も限られている中、天候との勝負だった。もし晴れて。上陸することができたのならばきっと、こうしたアルバムを作るということが許されたのだろうと思っていた」と。

 

僕自身もありがたいことに無事、またこれ以上ないほど穏やかな天候の中で上陸することが出来た。そして、本当にうれしいことだが彼女が生まれたその土地で、岡崎律子という作曲家に思いを馳せる事が叶った。彼女がなくなってから14年。既に過去の存在となりかけている作品の数々を。その島に上陸できたからこそまた改めて、僕は彼女の「ささやかな偉大さ」とともに、また広めていけたらと思ってしまう。

 

「例えば苦しい今日だとしても 昨日の傷を残していても 信じたい心解いていけると 生まれ変わることはできないよ だけど変わってはいけるから Let's stay togather いつも」自分の生まれたところは変えられない。環境も非情なまま推移していく。ただ、それでも自分は変えていける。彼女の哲学は確実に今の時代においてさえ、アニメ作品と一緒に、大切な示唆を与えてくれている。今回の訪問から、改めて彼女が歩んだ道の姿をより鮮明にみることが出来たのかもしれない。

 

是非、こんな時代の流れが速い今だからこそ、彼女のウィスパーボイスに耳を傾けてみてほしい。