わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

『鬼滅の刃 無限列車編』に覚える畏敬の念

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時間があるときは落書き描いときます。

今週の週末ブログ更新。


興行収入が10日間で100億円を突破というのは、どのくらい凄いのだろうか。1年で1億稼ぐプロスポーツ選手が凄いのだから、きっと間違いなく凄いのだろう。

 

ということで、もはや社会現象といってもいい『鬼滅の刃 無限列車編』を見にいった面倒オタクが何を思ったのかということについて、TMAとかの話題をなるべく排して、端的に書いていきたいと思うよ。

 

一応、私自身『鬼滅の刃』に対して、今どこまでコンテンツ摂取が進んでいるのかを明示しておく。無限列車の直前で終了したTVアニメはすべて視聴済み、そして映画が公開されることが分かっていたので、漫画読了も同様のところで止めていた。ストーリーを知らない状態で映画を楽しみたい、と思ったわけである。

 

まぁ、実際見てみるとよく出来ている。ufotable作画はいつもの通り圧巻だし、ストーリーも素晴らしい。いやー、ほんとちゃんとしている。こういう作品が世間で流行っているということに対して、どこか安心を覚えるような出来の高さであった。

 

※普通にネタバレするので、各自読むかどうかは判断してね。

 

・数々のパクリ疑惑を眺めて

 

それにしても『鬼滅の刃』は連載開始から今もなお、その人気の高まりに比例するようにして非難めいた声もネット上でチラチラ散見されてきた。その最たるものは「パクリ疑惑」だろう。今でも「鬼滅 パクリ」で検索すればわかる通り、絶望感溢れるYahoo!クソ袋的質問にたどりつけるので、それはそれで面白コンテンツと言える。

 

だが確かに、有象無象のネットご意見番たちが指摘する通り、本作において様々な作品のオマージュが散見される。ある程度の年数オタクやっていれば「あー、隙の糸が見えるかー」とか「呼吸法ねー」とかそういう感情を抱くのは自然なことだ。まぁ、それをすぐパクリとか言い出すやつは、絶対にオタクじゃないのでスルー安定である。

 

そもそも、物語や創作物は往々にしてパターンが決まっている。更に「少年ジャンプ」なんていうコンテンツ界におけるセンターポジション的掲載誌の性質上、許されるパターン幅は更に狭まる。敵がいれば、やっぱ倒さなければならないし、成し遂げるために主人公はどんどん強くなんなきゃいけない。これが王道バトル奇譚となれば、外れてはならない。

 

そして『鬼滅』はこの王道を突っ走っている。根暗サブカルオタクからすれば、炭治郎の過剰に純な性格に胃もたれしてしまうこともある。しかしそんな王道を走りながら、こうした数々のパクリ疑惑を呼び起こすほどのオマージュを用いているのも、おそらく原作者が王道を走りながら、多くの過去作に対してリスペクトを抱いているからであると確信する。だからこそ『鬼滅』は面白いのだと、そんな話を続けたい。

 

・物語はこうして連なっていく

今回の劇場版『無限列車編』、個人的に視聴していて強く感じたオマージュは『天元突破グレンラガン』だった。前半の魘夢(えんむ)が都合の良い夢を見せるパート。『グレンラガン』では主人公シモンを始めとした戦士たちが、物語最終盤の戦いにおいて、敵である知的生命体アンチスパイラルから精神攻撃を受ける。それこそ夢の世界に閉じ込めるというものだった。

 

この攻撃に対する内省と突破方法は、双方ともに大差はない。心地よい夢にとどまっていれば、苦痛も何も生まれないのに、何故あえて厳しい現実に立ち向かわねばならないのか。この問いにキャラそれぞれが答えを見出し、覚醒し戦いの地へはせ参じる。という流れである。

 

後半の煉獄杏寿郎の殉死についても、キタンの殉死を思い起させた。『グレンラガン』も物語の終盤に向かい、一気に仲間が殉死していく。その中でも、仲間の窮地を救い数多くの名言を残したキタンの死が、上弦の参 猗窩座(あかざ)を前に、死闘を見せた杏寿郎の熱さと重なった。 

 

だから所詮は『グレンラガン』の焼き直しっしょ?みたいな結論にはならない。

 

おそらく、僕らの世代のオタクは確かに『グレンラガン』によって、上記の感情を得た。心地よい白昼夢に留まらず、歯を食いしばってでも厳しい現実と戦わねばならない。戦っていれば自分を惜しむことなく費やすべき場面に出くわす。その時どう自分がふるまうべきなのか。その結果、どういう結末が待っているのか。

 

今『鬼滅』を見た若い世代が、僕らが10数年前に『グレンラガン』で身に着けた感情を得ているかもしれない。そのことに対して、ただただ感謝というか、物語が受け継がれていくことの深遠さを見た気がした。

 

当然のことながら『グレンラガン』よりはるか前に『ザンボット3』や『イデオン』で絶望を抱いたり、『トップをねらえ!』で活力を得た世代がいた。その線上に『グレンラガン』もいることは間違いない。

 

人間の精神性なんてものは案外有史以来大きく変わってはいないと思う。必要とされる宗教も物語も、気遣い対象が増えただけであり、大筋はそのままだったりする。数々の仏典が紀元前から形を変え、漢訳されながら今に伝えらえれた通り、生きる本質を突いたアニメや漫画といった物語も、やはり作品を変えながら受け継がれていくべきものなのだと思っている。数々のオマージュによって飾られた『鬼滅』は、やはり今の時代における伝道師であると、映画を見ながらそんな感想を抱いてしまった次第である。

 

また、注目・人気作ということもあって、映画開始前には数多くの予告編が流された。そこには、セラムンエヴァおジャ魔女ポケモンドラえもんといったリメイク作、周年記念作、大御所作が並ぶ。もちろんオタクだし、ほとんど見に行きたい。

 

しかし、当てるには過去作をもう一度作りなおすのが安定化しているという傾向のようにも見える。そんな中で、ジャンプの現行連載作品が、ここまでのヒットを飛ばしながら走っていること自体、賞賛に値すべきことだと思う。アニメ化2期も決まっているようなので、改めて楽しみに漫画も読み進めたい。

 

と、短いけれどとりあえずこんなところで。また来週も続けていきたいっす。