わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

ネットワークビジネスやらにハマる心理についての内省と同人活動の効能

先日、過去の同人誌既刊をまとめたアーカイブサイト「わがはじの!」を更新いたしました。ぜひ、覗いてみてくださいませ。同人活動終了から1年になったので、そちらの感慨についても記事にしたいものです。

 

と宣伝はそこらで。珍しく、ちょっと時事ネタに触れようと思ったのはこの件。

note.com

映画館でよく予告を見たもんだから、話として実際どうなんかな面白いんかな。と気になっていたところに、これ。この記事において既に大まかな概要やら、注意喚起についてよく纏まっているので、僕が改めて目新しく書くこともないのだけれど。

 

ただ、過去の自分の姿を振り返るに「こんなんに引っかかるとかバカじゃねえのwwww」「マルチじゃんwwww西野終わってるwww」とか下らないネットニュースとして流せなかったので、文字を打ち出している次第。

 

プペル云々は置いておいて、よくよく思うとこの「意識高い系に憧れる気持ち」あるいは「何者にかになりたい」という羨望や憧憬。引用の倉本さん同様、僕もなにひとつ他人を笑えなかった。

 

タイトルの通り、自分も環境やタイミングさえ合えば、こういう所に足を踏み入れたんじゃないのかという自戒がある。というか振り返ったら結構危なかったという過去の話。そして翻って、何故僕は踏み入れずに済んだのかという点について簡単に残してみたい、という記事です。

 

・何者にかにならなければならない焦燥感

やはり想像の通り。不景気という社会情勢は、若者をネットワークビジネスや怪しい商法、ひいては安易なカルトに向かわせる。自分自身の就職活動当時を振り返る。過去にも書いた通り2008年のリーマンショック後、内定率最低を記録した年だった。

 

僕自身も内定がなかなか貰えず苦戦をしていた。単位は取り終えていたので、企業の説明会参加だけを繰り返す日々。自分は前に進んでいるのか、停滞しているのか、はたまた後退しているのか。その座標感覚すら失うとやはり人間焦り狂い出すものである。年齢が若ければその焦りは一層加速する。そして当時の僕は、やはりというかネットに煽られ、採用試験の合間をみていくつかベンチャー企業のワークショップ、セミナーなるものに顔を出すようになっていた。

 

「企業から見放される自分を変えたい」「なんの肩書も持てずにいる自分から抜け出したい」この焦燥感は、今では痛々しいと笑えるものの、当事者になってしまうと切実なものである。そして、上記記事の元ネタ自虐noteでも頻出する言葉そのものだ。そして、そうした場所に参加しているのは、想像の通り「リク〇ート卒業生」とか「某代理店から独立志望」とか、あと加えてそれに群がるなんでもない人々だった。完全にまんまで笑えてくる。

 

幸いなことに、僕が参加したいくつかの会はただの企業PRを含んだ純然たるワークショップやセミナーだったので、金銭問題も何事もなく今に至っている。ただそこで、いかにもな商材でも売り出されていたら、僕はそれに手を出さずにいられただろうか。周囲が「挑戦」とか言い出していたら。リスクを取らねば自分は変えられないと煽られていたら。今回の件を単純に指さして笑っていられない感情は、そんなところを根源としている。

 

・何者にもならなくても、何かは作れる

その後、何とか就職を果たし、そうしたワークショップへの参加は落ち着いたものの、依然20代前半は「何者にかにならないといけない症候群」が延焼していた。就活~社会に出てすぐというのは意識高い単語が特にしみ込みやすい脳みそに仕上がっている。志望通りとは言えない企業へ入った僕は、会社に埋もれるなんてまっぴら、何か大きなことをしてやろうと息巻いていたわけだ。

(まぁ、恥を忍んで言えば今も燻ってはいる。もうこれは仕方のないことだと思う。)

 

当時留年して内定を得たわけだが、1年目の就活で僕は出版社ばかり受けた。編集者になりたいという安易な願望を抱えて仕事を探した。上記の通り苦戦、結局持たざる者だったのだなと自信を完全に失い、落胆した。

 

失意の中、始まった社会人生活。憂さ晴らしに仕事帰り日々秋葉原に通っていると、次第に行きつけの飲み屋ができた。そこで色んな人と出会う。その中には同人誌を作ってたり、自分でもの作りをしてるするおっさんらもいた。話を聞くうち、実際編集でも何でもないおっさんが、実に興味深い本やモノを作っている。素人のはずが、めちゃくちゃ面白い企画や技術、知識を持っていたりする。

 

それらおっさんらの話を聞き、作られたモノを見て、ようやく僕はそこで気づいたのだった。手を動かしさえすれば、何者でもなくとも何かしらは作れる。就活で挫折しようと、誰からも振り向かれなかろうと、結果はモノとして残る。本当に単純だし、言葉で書いてしまうと陳腐すぎる。

 

ただ、立場や地位に目がいっているとまるで気づけないことでもある。すでにコミケにも参加して同人誌という文化には嫌というほど触れていたことも幸いし、編集者にはなれなかったならば、自分で雑誌を作ればいい。そのDIYな発想に至れたことは「何者」の呪縛から少し解き放たれた原因になったと今では思う。

 

・市井の人にも偉大な略歴がある

どうしても若い頃というのは「社会的にすごい人」とか「地位や名誉がある人」に靡きたくなる気持ち、あるいは反発する気持ちが強い。まだ自分自身に対する自信あるいは諦観が定まっていない為、憧れる意味でも、また反発する意味でも「何者」にかならなければ、という傾向も同時に認められる。そして、ありがちな話として上を見続けるあまり、身近な存在を見下しがちになったりする。

 

そんな中で、僕にとって同人活動は「何者か」という問い以上に自分で手を動かすことを最優先する大切さを教えてくれた。更に、制作過程の中で学んだことがある。多くの尖った人と対談をさせて頂いたわけだが、どの対話で得られた言葉も、その人が人生を生きてきた跡そのものだったと思う。結局、誰であろうと、何もしてなさそうでも、必死で生きた人間は何者かになっている。

 

話をじっくり聞くことは、それを引き出す効能がある。あまり書くべきことでもないけれど、この同人誌を作る過程の中で拗れた父親との関係性も回復した。稼ぎも甲斐性もない人間だと蔑んでいたけれども、やはり彼も何者かだった。問題は、それを認識できるこちらの度量があるかどうかだった。

 

そして何より、自分自身に対してそう捉えることが一番難しい。自分が何者かになっているのかなんて分からないからこそ、人は周囲の評価を気にするし、占いに一喜一憂したり、そして「成長」を確約してくれるネットワークビジネスやプペルに手を出してしまう。周囲の目線なく自信を持つことは本当に難事業だ。SNSでいくついいね!を得られれば「何者」なのか保証してくれる人もいない。

 

だからこそ、身近な存在に「何者」かを見出すことが一番の近道なのかもしれないと僕は思う。ネットサロンの天井人に憧れるのも悪くはない。ただ、目の前の友人やら家族にまずリスペクトを抱くことが、一番安価で手軽で、的確な方法ではないかと感じた次第。

 

 

と、長々好き勝手書いてみたわけだが、どんどん文章が説教くさくなってきている気がする・・・ここで飲み始めた養命酒のせいかもしれない。ほんとあまり歳はとりたくないものです。ということで、根暗おじさんの日曜夜の独り言でした。