わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

混迷する世の中だからこそ忘れたくない竜騎士07氏の言葉とひぐらしの思想

先日の記事がじんわり伸びてくれたようです。記事冒頭に過去の同人誌既刊アーカイブ更新の件なんかものせたおかげで、少し電子版の通販も伸びた模様。いやはや、ほんとありがたいもんです。これがその前回の記事でござます。

 

wagahaji.hatenablog.com

 

と、前段はそこそこにして。今回は最近の新聞ニュースの話題と、一部で話題をかっさらっている新作『ひぐらし』を視聴が重なってしまい。忘れていた点と点が繋がってしまったので淡々と書いてみたい。ちょっと話が飛んだりするけど、ちゃんと(自分の中では)繋がっているので、悪天候で暇な人は読んでみて欲しい。

 

・「民主主義の危機」

日々オタク活動に邁進し、ここに適当なことを書き続けていても、気づけば30歳を超えて数年が経った。学生時代の自分が聞いたら「まさか」と言うだろうが、社会の圧力に負け、こんなオタク野郎でも日経新聞を毎朝読んで仕事に備えたりしている。世も末である。

 

ただ新聞を読んでいると「世も末」なのは、どうも局地的な話ではないらしい。昨年度あたりからその日経新聞紙面には「民主主義の危機」といった言葉がよくフューチャーされるようになった。1月20日、日経に英フィナンシャルタイムズの翻訳版コラムが掲載された。タイトルは「民主主義を破壊する陰謀論 抑え込み急務に」。

 

いやはや、なんともすげえ時代である。記事によれば今リテラシー教育とネット規制こそが急務とのこと。確かにフェイクニュースやら陰謀論の拡散、各国知識人によるSNSでの非難合戦などスマホ画面の中では日常茶飯事と化している。新型コロナウイルスなんていう見えない世界的危機も、その勢いを加速させている。新世紀明けたばかりというのに、本当に世も末ぽい。

 

一昔前までネット上の陰謀論といえば、軍事板やらオカルト板にいる根暗なヤツが「世界の真実を見つけてしまった」とか騒ぎ立てるサブカル的事案が中心だったような気がする。ただ、そんな陰謀を望む声は世界的にどんどんメジャー化していて、先日の米国の議事堂占拠など最たる例で「大統領選の結果こそ陰謀だ!」なんて話になれば冗談では済まないし、現に冗談で済んでない。

  

案外、世の中のことを気にする小市民の一人である僕は、そんな身の丈に合わない憂いを抱きつつ。完全に話は飛ぶのだけれど、もうひとつのトピックス『ひぐらしのなく頃に 業』の視聴を通して、こんな記事を書き出してしまったのである。

 

・「ひぐらし」という作品の本懐

前にもこのブログで紹介したが、竜騎士07氏による同人ミステリノベルを原作としたシリーズ『ひぐらしのなく頃に』の新作アニメ『ひぐらしのなく頃に 業』が2021年1月現在各局で放映されている。

 

リメイクではなく完全新作と謳っている通り、雛見沢症候群の説明もなく後半クールに突入。先日は(16話)幼女ヒロインの腹部が延々黒く規制されたまま10分以上経過するという荒業を披露。訓練されていない御仁には結構キツイ仕様が話題になっている。

 

同人時代から『ひぐらし』を寝食忘れてプレイしていた身として、今回も「うへえ」とか言いながら耐え忍んでいたわけだけれど、ふと同時に。2007年のアニメ化の際に起きた事を思い出してしまった。

 

2007年9月。回答編のアニメが放映されていた最中、各局は突如アニメ放送を休止する措置をとる。公式に理由は述べられていないが、当時16歳だった少女が父親を殺害した事件が起き、現場状況に本作を想起させるものがあった、ということが影響したという話だ。

 

その際、関西ローカルの番組が事件と関連付け『ひぐらし』を「少女が斧で敵を殺していくゲーム」と紹介。本作を完全に誤解させる報道であり、ネットでも話題に。僕も憤っていたのを覚えている。その騒動が少し収まってから、作者である竜騎士07氏の「制作日記」にコメントが上がった。

 

かいつまんで書けば、くだんの件により体調を崩していたこと、ファンからのメッセージにより回復基調にあること、そしてこの『ひぐらしのなく頃に』という作品が示す本懐についての話だった。下記は実際に今でも公開されている竜騎士07氏の「制作日記」のページから2007年9月23日の一部を抜粋したものである。

(省略)

ひぐらし』はもちろんエンターテイメントです。ですが、劇中ではくど過ぎるぐらいに、ある一連のメッセージを重ね重ね繰り返しています。その中でも、もっともシンプルにして、一番最初のメッセージがこれです。

 

・ひとりで悩みこんで殺人しかないと考え至るのは、惨劇(バッドエンド)の近道である。

 

そして、それを打ち破るもっともシンプルな最初の方法として物語が提示したのが、

 

・ひとりで悩んだら、身近な人(友人・家族)に相談しよう!
ということです。

(省略)

ひぐらし』の世界では、ひとりで膝を抱えて至った短絡的な発想でハッピーエンドになれることは絶対にありません。それこそが、「短絡的な犯行」に対する明白な否定であるつもりでいます。

(省略)

正しい方法で、大勢に相談し、力を合わせ、法律やルールに則って解決する。その過程を愚直に描いたのが「皆殺し編」です。

http://07th-expansion.net/kyu/Cgi/clip/clip.cgi

 

大学生だった僕はこれを読んだ。読んで大きな感銘を受けたことを、今の今まですっかり忘れてしまっていた。僕がどれほどに影響を受けたのかと言えば、その後、僕の卒業論文は「ネットと民主主義の関わりについて」と銘打ったのだが、実際にはこの内容が着想のきっかけだった。

 

(中間発表までは順調だったが、就活の最中にメンタルを完全に折ってしまい。そのため教授から最終提出は「出世払い」で許され、未完にて終わってしまった)

 

政治とは手続きである。個人の利害という小さな力を、梃子のように大きな力に変えて政策化していく為の手段だ。中間団体や利益団体などを介し、民意を反映させる民主主義の基本とも言える過程はまさに『ひぐらし』、特に「皆殺し編」の中に込められている。

 

僕のやりたかった研究を一言で言うなら、昭和58年の雛見沢になかったインターネットという仕組みがあったら、というイフだ。圭一は、レナたちはどう繋がり、どう振舞ったのだろうか。そんな下らないオタクの妄想からスタートしており、もはや二次創作だったのかもしれないと今では思う。要は冒頭の日経記事の話も含めて、セットでそんなことを思い出してしまったわけである。

 

・この国で重要なことを教えてくれるのはいつもエンタメだったりする 

先に引用した竜騎士07氏の書いた『ひぐらし』における本懐は、シンプルながら冒頭で掲げた日経新聞記事が不安視する現在の社会において、なお光り続けるものだと僕は思う。「正しい方法で、大勢に相談し、力を合わせ、法律やルールに則って解決する。」ネットが拡充し、ローカルの意味が相対的に薄れる中だからこそ、安易な陰謀論に流されないためにも持つべき基本方針ではないかと感じる。

 

最近様々なネットの情報やニュースなどを眺めていると、その混迷の度合いは日々増しているように思える。欧米などのように規範となる宗教を持っていない我々の文化では、明確な対立は生まれにくいが、反面様々な問題に自分たちで考えねばならないというハンデを負う。危機的状況にはとかく耐える。これがこの国における美徳となるのは、ある意味で「為すべきことがない」ことの裏返しでもある。

 

そう言う僕も緊急事態宣言でやることもなく、家で漫画やら配信アニメに耽っているわけだが。そんな中で案外、我々にとってそうした数々の難問に対する答えへのアプローチはアニメ作品をはじめとするエンタメ作品に包括されているのはないかと、改めて感じ、そしてこれを書き出している次第だ。

 

戦後から、戦争に対する反省や葛藤の過程を克明に記してきた『ガンダム』を挙げるまでもなく、『イデオン』『ザンボット3』『エヴァ』『パトレイバー』『グレンラガン』やらなんやら数々のロボアニメから、人生たる『クラナド』文学たる『Fate』などなど所謂萌え系アニメに至るまで。我々は色々な物語からその生きる意味を貰ってきた。

 

ひぐらし』のメッセージ性が、民主主義の危機を迎えた今の世にマッチしていると僕は感じ、こんな文字を吐き出しているわけだが、そのように数々の物語を食らい尽くしてきたオタクらが得た人生観は、思った以上に、様々な問題を抱えるこの国の状況下において捨てたものではないんじゃないか。とか、そんな仰々しい妄想に行き着いてしまうのは、単純に暇を持て余してしまった結果なのだろう。

 

とまぁ、あまり纏まらずに好き勝手のたまってしまったわけだが。以上で見てきた『ひぐらし』について。各所で見る「民主主義の危機」に対しても耐えうる考え方を掲げる稀有であり貴重な作品だと僕は思っている。確かにグロや悲壮感あふれる描写など癖は強い。それ故に、一途なメッセージは強く胸に響く。

 

現在放映中の新作も、いよいよ一番暗い最深部は超えたのではないだろうか・・・佳境に向けて毎週怯えつつも楽しみにしたい。明日からの仕事から目を背けているうちに長文になってしまったオタクの独り言でした。