わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

大人になってミニ四駆を組み立てて思うこと

ここしばらく。前も書いたかもしれないが、コロナ禍状況でこう日々に抑揚がなくなると、取立ててブログやらネットに書くこともなくなる。休日もぼんやりと家で嫁はソシャゲ、僕は格ゲー。進みもせず、後退もしない。「平日は仕事だけ適当に済ませ、他に何もしていない日々」がずっと積み重なっているだけのように感じられてしんどい。無力感にとかく潰されそうだった。


ただでさえ根暗なのに、社会情勢によって更に根暗に磨きがかかっては溜まらない。ちょうど一気に寒くなったところで、久々にブログでも書いてみようと思った。とはいえネタがなくては、何も書けない。「最近何もしていないしな…」と思いつつ、自粛中に手を付けてみた事をツラツラ箇条書きにしてみたのだが、思いのほかポロポロと挙がってくれる。


なんだよ、本当に周りが見えなくなってたぽい。書き出された項目を眺め、多少は人間らしい生活をしていたのだと、自分のことながらホッとしてしまう。たまに改めて何かを書き出すって大事だなと思った中で。今回は「ミニ四駆」を20数年ぶりに作ってみたという話をしてみたい。

 


80年代以降生まれの男子には説明不要だろうが、ミニ四駆というおもちゃ、言うなればホビーがある。タミヤが製造販売している単三電池とモーターで走る、手乗りサイズのプラモカーだ。小学生のバイブル『コロコロコミック』誌上で10年に一度くらい漫画になり、その都度ブームが起きているようなイメージ。今年で30+アルファくらいの年齢の僕も『爆走兄弟レッツ&ゴー!』という作品で漏れることなく90年代ブームに引っかかった世代である。


数年前からリバイバルブームの兆しがあるのは知っていたし、何度かヨドバシカメラミニ四駆売り場にも足を運んだこともあった。それでも、作ったところで走らせる場所もなく、引いては「買っただけで満足して飽きるっしょ」ということすら簡単に想像がつく。何に背中を押されたわけでもなく、別に手を出すまでもない。と、そんな感じで二の足を踏み続けていたものの、昨今の暴力的な空白時間には負けてしまい。「まぁ、作るだけ作ってみるか」という気持ちにさせられ、とうとう僕はミニ四駆に手を出すに至った次第だった。


今思えばミニ四駆の購入なんて、ヨドバシをふらつく中で抱いた一種の気の迷いだったと言える。但し、きっかけは迷いであったとしても、選んだ道が一本ならば進むしかなかったりする。半ば諦めと共に買うと決めて、マシンとパーツを選ぶ間、既に頭の中には、どのようなマシンに仕上げようか、このパーツ組み合わせると重すぎるか?いや、外観は悪くない・・・という子供の頃抱いていた葛藤と妄想が広がっていた。「ミニ四駆を買う」と決めたわずか10秒後である。即堕ち2コマも笑えない。その瞬間にして、小学3年生以来の気持ちの高まりと向き合う羽目になった。


結局僕が選んだのは「ソニックセイバー」という、主人公兄弟の弟の初代機体だった。王道なチョイス。オーソドックスながら90年代スポーツカーを思わせるフォルムに、あの頃と何ら変わらない高揚感を抱いていることに気づく。元々、小さな頃は車が好きで父親にせがんで毎年モーターショーにも連れて行ってもらっていたくらいだ。GT-RにRX、ユーノスロードスタースープラNSXからフェアレディZまで、国産でも探せば探すだけカッコいい車があった時代。三つ子の魂百迄など言うまでもなく、ミニ四駆の箱を久々手にした時、そんな国産車に憧れていた当時のように、純粋にカッコいいものに触れたという心地を思い出してしまった。


そして昂った気持ちのまま会計に行くと、マシン+パーツ込みで3,000円強だという。あの頃は親に必死にせがんだアルミ大ローラー(600円)すら買ってもらえなかったのに。最早自分が三十路過ぎのおっさんである悲しみを知ると共に、大人の財力の無尽蔵さに感動した。レジ前で謎の無敵感すら抱く始末。これはもうタガを外してしまって構わないのではないかと考えた刹那、その後はもう小学生みたいなテンションで行動した。(結局、工具等揃えるのに1万弱使ったのだけれど)


翌日、新橋にミニ四駆のコースを備えたタミヤの専門店があると知った僕は、早速ランチに出かけようという口実を使って、嫁を連れて新橋に向かう。コースはコロナ禍で予約制となっており、直接見ることは出来なかったが、ヨドバシで不足していたパーツと缶スプレーを購入。また、ミニ四駆用のメッシュ(ネット地の布でボディに穴を空けて、そこに貼る外装用のドレスアップパーツ)が現在生産されていないと知ると、布地のお店で代用のハードチュールを購入。着々と脳内妄想を現実の形にすべく、次々と(嫁の迷惑を顧みず)手を打った。


買う前はアレだけ躊躇していたのも馬鹿らしくなるほど、その後数日間、ソニックセイバーを完成させる事しか頭になくなっていた。「臭い」と苦情を貰いながら、ベランダでこれもまた20数年ぶりに缶スプレーをボディに吹きつつ、自分はなんでこんなに夢中になっているのだろうとふと冷静になる。シンナー臭に頭がぼんやりしながらも、数秒思いを巡らせれば、そんなの既に分かりきった事であった。男なんて、幾つになろうが小学生の頃から本質の部分は何一つ変わっていない。ただそれだけのことだった。


物心ついたかどうかという時から、無性にカッコいいと思えた名車の数々。直接手は届かなかったけれど、その夢がミニ四駆という形になって、自分の手の中に収まった時の感動は、やはり20数年経っても未だに脳内のどこかに根付いている。今、小学生にはちょっと厳しかった改造も容易にこなせるようになり、価格が当時には高すぎたパーツの数々も簡単に手に入る。弱体化したのは部品を落とすと、目がチラチラしてあの頃より拾いづらいくらい。自分の手で、ミニ四駆を完成させるという体験は全く色褪せることなく、あの頃のワクワクがそのまま再現されるからこそ、今大人になろうと手を動かすのがこんなにも楽しいのだ。


と、熱量高く一気に完成まで漕ぎ着けたソニックセイバー。しばらくは眺めながら、写真にとってSNSに上げてはウットリとする日々だったのだけれど、どこか切なさも同時に感じるようになってきた。あれか、作るばかりで、走らせる場所がないからか。新橋はもちろん、ネットを探せば色々な場所にコースはあるようだし、コロナ状況さえ改善して仲間内でも声をかければ、共に走ってくれる知人はいそうである。でも単に走らせるとかそういう部分でもない、何だかセンチメンタルな気持ちに気づき始める。ああ、あの頃と同じ気持ちで作ってしまったからこそ、今俺は大人なんだな、ということに改めて思い至ってしまった、という具合だ。


あの頃は、団地にあったおもちゃ屋の軒で、店主が作ったであろうコースに自分の大事なマシンを持っていけば誰かしら友達がいて。適当に駄菓子食いながら、ミニ四駆走らせて、コースアウトしたなら必死で追っかけて、夕方になったらまた明日、みたいな。そんないい思い出ばかりじゃない。隣の小学校の不良にマシンを盗まれ、自転車で轢いて車体ごと壊されたり、狼やら神風やら違法モーターから煙出して店主にすげえ怒られたりとか。当然、ミニ四駆を通して、大人になった今の楽しさがあるように、やはり当時は当時の楽しさがあったということも、何となく思い出してしまった訳である。


今回ミニ四駆を作ってみて、自分の本質はその頃となんら変わっていないことに気づけたのと同時に、やはり自分は大人になったのだなと改めて当たり前のことを実感させられてしまった次第。


だからこそ、今作ってみたミニ四駆を走らせながら、早く今だからこそ得られる楽しみを味わいたいと思っている。書いてなかったが、その間に気づけば2台目も組み上がっていて、現在3台目を買うか悩んでいたりする。出来上がった機体を飾るばかりでは勿体無いという話もあるので、そろそろ外出できるようになったら、走らせる場所でも探してみようと思う。

 

コロナ禍で得た趣味のひとつの話でした。