わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

同じ映画を何周も見れない人の話


あまり肩肘張ったような話題でなくとも、定期的にブログを書いていきたい。この前、寝ている間にそんな事を思ったので、短く、のんべんだらりと書いていくことにする。

 

目標は毎週水曜更新だ。週一ペース?いいのか、そんな事言ってしまって。と脳内の自分が囁くが、目標などどこかに書いて張り出さねば確実に頓挫するし、書いても6割は頓挫する。だったら書いた方が、4割成功の可能性が生まれる。そんな壮大な目論見を踏まえて、大したことない話題を書き連ねていきたい。

 

 

ふと。嫁は、今シーズンのコナン映画を何度見たのだろうか。よく知人と「コナンの映画を見てくる」と言って出かけていくのを、何度か「行ってらっしゃい」と見送った記憶はあるのだが、はて。

 

「おい、何度目だ」なんてツッコミを入れてしまうのも野暮な気もするし、「狭量な夫だなぁ」などと思われるのも今後の生活に支障をきたす。コナン映画には、きっと何度見ても良い成分が配合されているに違いない。互いの信仰(趣味)には口を出さないというのも、適切な距離を作るための夫婦生活の知恵である。

 

それにしてもだ。よく同じ映画を何度も見られるものだ。と個人的には思うわけで。僕としては、そもそも同じ映画を何度も見る事があまり好きでなかったりする。オタクがよく「この映画は5回見てきた」「いやいや、10回は見るっしょ」なんて話題を投げ合っているのを見て、すげえなと思うものの、一本の映画をたくさん見るという行為をいまいち理解できていない。

 

勿論。一人で一度見た作品を別途友人から誘われて、もう一度見に行く。みたいなことはよくある。すると、全体のストーリーを分かってから見た方が「なるほど、このシーンはこういうことなのね」と理解が行き届くという経験も得た。それでも、映画は一度だけ見たい。多分、映画に期待しているものの違いなのかもしれないなぁ、などとぼんやり思っていたのだけれど。

 

そんな内省に少し答えを見た気がしたのは先日。昨今話題になっている『シン・ウルトラマン』を僕も観てきた。早速、感想についてTwitterのスペースで、知人らと討論交わしてみたりしたわけだが、特撮マニアから言わせれば、この映画はネタの宝庫であり、庵野&樋口コンビによるネタ演出が細部に至るまで散りばめられているという。一度見て、それらを網羅するのは大変だったし、何より疲れる。これは何度か見る必要があるでしょ。という見解だった。

 

それに対して、結局のところ、僕は「逃してしまったシーンは逃してしまった」で良いと思っていることに気づいた次第。こう言うと「緻密に作りこまれた所まで気が付かないのは、受け手として作品を作った側を冒涜している」とオタク全般を怒らせてしまう気がする。いつの時代もネットは怖い。

 

それでもだ。2時間前後の時間、映画館において映画を見るというのは、その物語に没頭する行為なわけで。鑑賞している最中というのは、自分の時間軸と映画の時間軸が重なっていて、それは、自分の人生の時間と同様に、後戻りの出来ないものであってほしいという感情が僕の中のどこかにある。そこで得られた感情や感動こそが「すべて」なのであって、それ以上繰り返すのは「たられば」の世界線の感情ではないか。と。

 

いや、完全に屁理屈だし、映画なんて何度も見に行けるんだから、行けばいいんじゃねえかと自分でも思うのだけれど。その「一度きり」というのが僕は好きなんだと思う。この人生というか、今日が何度も体験可能だとすれば、恐らく何事もラフな態度になってしまう。次の機会があると分かっていると、真剣みに欠ける。映画も、一回で得た感情こそ大事にしたい。どうも、そういう捻くれた思想が僕にはあるようだ。

 

結局『シン・ウルトラマン』については、ウルトラマン素人の身としてはかなり薄い情報量しか得られていないと思う。それでもDAICON  FILM時代の作品が過ったりしながら、個人的には一度であっても、良質なエモさを得てしまったので、それで良いと思っている。

 

まぁ、ふと過った映画の見方に関する感想として、同調するも、軽蔑するもよし。とりあえずは脳内にあった感情を吐き出せたので、スッキリして今週は終えたい。本当に続けられるのだろうか。まだ6月というのに夏日が続いているため、体調には気を付けていきたい。