わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

Twitterを13年続けて。見知らぬ人を偲ぶこと。

13年という時の重さに潰される。

7月になってしまった。毎週水曜ということで今週も更新。コミケに関することを書き連ねるつもりが、Twitterを通じてちょっとした感傷に浸ることがあったので、そちらを優先して書いてみることにする。

 

 

Twitterに日々勤しむ勤勉な方であれば見た事があるだろう。毎年Twitterを始めた日が、勝手に記念日にされ、リプ欄に突如「記念日おめでとうございます」という文字が現れる。ハッキリ言えば、日々の貴重な時間の中で、ダラダラとSNSに依存を続けた年数が如実に示されるという意味で、決して喜ばしい日ではない。

 

画像にも掲げた通り。僕に関して言えば、今年の7月で13年が経過したという。ネットという虚空に向け、140文字以下の情報を淡々と打ち続けて、既に気づけば15万ツイート近い。ふと『コンタクト』や『三体』といったSF作品を思い出してしまった。

 

果たしてその13年という時間で、僕は何を得られたというのか。未知の存在からの返答はあったのだろうか。まぁ正直、そうした虚無感にちょっとした恐怖すら感じた訳である。そして虚無感ついでに「僕はなぜこんなツールを眺め続けてしまっているのか」という自問に至った次第。

 

そもそも現在のTwitterは、見ればすぐ理解できるほどに混迷を極めている。様々な主義主張が乱れ飛び、毎日言い争いや、お気持ち主張を眺めるには事欠かない。そういえば5年前、僕はここでこんな記事を書いた。

wagahaji.hatenablog.com

クソリプ」という言葉が丁度定着した頃だった気がする。バズったツイートに対して求められてもいないのに自分の意見や経験を投げつけたりする「クソリプ」に対する分析と、ある意味それは人間らしい営みなのではというフォローを加えてみた与太話だった。

 

当時はネットマナーをちょっと角度を変えて論じたつもりだったが、最近ではこの「クソリプ」も、ユーザーからはTwitterの基本的な仕様のひとつであるように捉えられている節がある。

 

かなりの人は、引用RTで高圧的なコメントすることに躊躇がなさそうだし、むしろ「聞かれてもいない体験談や意見を、誰かに投げつけつけられるストレス発散ツール」だと考えている人の方が、マジョリティになっているようにすら見える。まぁ、間違いではないのだけれど。

 

要するに、多くの人がTwitterを使うようになり、もはやエンタメニュースとワイドショーを垂れ流していたマスメディアとその性質は何ら変わりがなくなったという事だろう。昭和生まれなら理解出来ると思うけれど、あの頃ミッチーとサッチーの確執を毎日のように報じていた番組と、それを眺めていた視聴者という構図が、現在SNS上で再現されている訳だ。人はやはりどうしたって揉め事が好きなのである。

 

僕らはあの頃のそんなマスメディアを下らないと思って、ネットに引きこもったというのに。もはや安息の地は失われてしまったのだろうか。あれ、考えていたのは、Twitterを続けていた理由だったような…と、こんな調子でSNSへの愚痴を書けば書くほど、タイピングが速くなってしまったわけである。

 

 

と、真面目にこんなツールを使い続けてしまっていることに疑問を抱き、ふと理由を考えていたりしたのがここ最近のこと。そんな折、ある人の事を思い出してしまい、こんなツールが齎してくれた恩恵と、僕がネットの先に何を見ているのかという話が薄っすら浮かんできたので、今日の本題として残してみたい。

 

 

とある新聞社に福田さんという記者の方がいた。オタク関連の記事を愛を持って書いてくださる文化部メインの名物記者で、Twitterでは(福)さんとして知られていた。個人的には氏の記事を読み、精神的に救われたこともある。僕が評論同人誌作成を始める端緒になった一人だった。

 

まるですべてを受け入れるかのような懐の深さで、コスプレや着ぐるみ文化にも造詣が深い。最早何をきっかけに関わりを持たせていただくようになったかまでは覚えていないけれど、確か僕もそうした趣味の方面でフォロー頂いたような記憶がある。

 

しかも毎度、僕が夏コミ冬コミと発刊する同人誌を購入頂いていた。現地では買えないからと、わざわざ連絡を貰い、ご住所に発送していたのも懐かしい。都度感想も下さった。

 

その中で、一度。ぜひ直接お会いしたかったのと、そのオタク文化への思いについて詳しくお話を聴いてみたかったこともあり、僕の同人誌での取材の申し込みをしたこともあった。丁寧に対応下さったけれど、その時はちょうど忙しい時期が重なってしまい「是非、また」ということで話は流れてしまった。

 

そして昨年21年6月。福田さんは49歳で亡くなった。くも膜下出血だったという。Twitterで訃報を知った僕は、強く、後悔した。「是非、また」じゃなかった。すぐにでも、機会を別で作り、会いに行けばよかったのだ。本当に会いたい人、行きたい場所について、チャンスを逃してはならないと心から悔いた。

 

しかしながら、後悔と共に、ふとこんな事を思った。氏の事をここまで強い気持ちで偲ぶことが出来たのも恐らくTwitterのおかげであることは確かだった。僕が趣味やら生活やらで適当な事を日々吐き、それを福田さんが見つけてくれたこと。それは、ある種の奇跡だった。そして、彼が亡くなった折に、ここまで氏の事に深い悲しみを覚えたのも、SNSを通じて縁が生じていたからである。

 

先月。福田さんが亡くなって1年が経った事をぼんやりと思い出し、まだ残っている彼のアカウントを覗いてはその言葉を追ってみた。人との出会いというものは、自分の意思だけで決められるものではない。結局、会う事は叶わなかったけれども、こうして残された言葉を通して、どこか繋がっている気がする。SNSを眺め、見知らぬ人を偲ぶ。不思議な気分だった。

 

冒頭『コンタクト』や『三体』を挙げたけれど、案外僕がTwitterを続けてしまうのはそういう所だ。この意味のない140字以下の情報が、どういう形でか、得体の知れない人に届く事がある。それによって齎されることは、パニックSF映画のように良いことではない事もあるけれど、少なくとも僕にとって良いことの方が多かった気がする。

 

なんだかんだで、人は一人で生きられない。寂しくなったりする。だからこそ人と人の感情が露わにになる揉め事も好きだし、得るべきでないと分かっている他人の情報すら報酬系は求めてしまう。下らないと分かっていながら、やはり人や人に纏わる何かを求めるのは仕方のないことなのだろう。

 

Twitterというツールを眺めて13年が経った。自分の人生において多くの時間が無駄になっているのは間違いない。それでも、そこでしか得られなかったものまで、否定することも出来ずにいる。言葉がネットの海に残り続けることは、今の時代では勿論大きなリスクだけれども、僅かにでも残る確かな思いと、その可能性を信じてしまうからこそ、適当な言葉を吐き続け、その場所を未だに捨てられずにいるのかもしれない。

 

 

梅雨が本当に明けたのか分からない中途半端な天気の中で、感傷に浸ってしまったお話でした。こんなこと書きながら、怒られないよう徐々に夏コミ新刊の準備も進めております。そろそろ言葉通り、同人誌に関する話題も載せられるよう精進していきたい所存。日々の暑さに疲れるけれども、少しずつ前に進んでいきたい7月初旬でした。