わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

C100だよ!夏コミ新刊総集編「'00/25 essentials」の話。

入稿出来たー。

本題の前にとりあえず、本日、星街すいせい1stソロライブがブルーレイ化したよ。

www.animate-onlineshop.jp

 

言いたいことも言えたので、意図せず溜めてしまった話題をようやく書き出す事にする。タイトルの通り、夏のコミケで出す予定の新刊の話だ。

 

気づけば8月も目前。コロナの感染者数は高止まりの中、そもそもコミケはやるんか、できるんか。という一抹の不安はあるが、まぁ印刷所にきっちりとデータ入稿・入金してしまったので、現物は否応なしに出来上がることだろう。コミケがもし中止になったら、どこかで泣きながら手売りするので、その際は是非なにとぞよしなに。

 

 

それにしたって今回は、冒頭に表紙を掲げた通り「総集編」だ。「壁サー」「売り子レイヤーとアフター」の次ぐらいに、全同人作家の憧れ的存在とも言っていいのではないか。「総集編なんて、誰だって出そうと思えば出せるじゃねえか」と言われればそれまでなのだけれど「総集」と名付けるからには、過去にそれなりな冊数、本を出していなければ恰好が付かない。

 

当方、気づけば2010年頃から細々ながら、同人活動を続けてきた訳である。その姿勢くらい褒められたっていいのでは、とたまに思い、時おり自分を褒めることにしている。もちろん、深夜に酔った勢いで「っぱ、俺すげえな…」とひとり呟くと、ものすごい虚しいし、死にたくなる。

 

アルコールで正気を飛ばし自己肯定を図るのは、あまり効率的ではないのは確か。ただ、そうでもしないと、需要も定かでない本を、自らのリビドーに任せて作り続けるトチ狂った趣味など、真っ当な精神でやってられねえのである。

 

と、ほぼ書いていることが愚痴になったところで、早速今回作った本を簡単に紹介してみよう。

 

「総集編」ということで、当然過去の本のまとめだ。これまでに当サークル「わがはじ!」で作った同人誌は下記のサイトをアーカイブにしているので、まずは覗いてみて欲しい。

sukumizumi.tumblr.com

上記のリンク先でも分かる通り、一時期特殊性癖まっしぐらな創作着ぐるみエロ漫画を描いてたりもしたが、主だっては対談メインの雑誌シリーズ『'00/25』という本を作って同人活動を行ってきた。今回はそちらの総集編となる。

 

手前味噌ではあるが、たまに過去に発刊した同人誌を読み返すと、時間が経っても尚、対談の随所に「あ、ここ、いい言葉だな」「本質を突いているな」と思う箇所がある。そうした部分を少しずつ集めたというのが企画の趣旨だ。

 

また今回選別の対象としたのは、本格的に対談雑誌として作成した「Vol.3~Vol.10」まで。特集内容を並べれば「着ぐるみ」「オタク」「フェチ」「女装」「近未来の下ネタ」「中野の飲み屋」「秋葉原」「ケモナー」などなど。まぁ、自分でも少し引くくらい色々やったなとは思う。

 

ピックアップさせて頂いたラインナップはこんな感じ。

実際、これだけ見てもなんのこっちゃという事だとは思うので、当日は足を運んで、ぜひ手に取って頂きたい。抜粋した短いやりとりの中でも、ど下ネタから創作の本懐、オタクの生きざまから、秋葉原の趨勢まで。中々に含蓄ある対話が詰まっているのは確かだ。オールモノクロ、56P。頒布価格は多分700円くらいの予定。加えて、Vol.4、9、10あたりはいくつか家に既刊もあるので、持参するかと思います。

 

8/13(土)お盆なのに実家にも帰らず、親不孝かましているオタク諸氏は是非スペースまで遊びに来てくださいな。スペース場所やら頒布物詳細やらについては、逐一下記アカウントにて固定ツイートで宣伝するかと思うので、よろしくお願いします。

尿道責め専門店特集・巨乳白書スペースに挟まれるという、素敵な性癖評論島にぶち込まれております)

すくみづ🎪/C100/土/東フ/11-a (@suku_mizumi) / Twitter

 

 

ということで、宣伝も終わり以下余談。あとがきとも重なる所もあるけれど、同人誌でそこまで読む御仁もそう多くないだろうから、書いてしまうことにする。

 

今回、総集編を作る中で改めて「よくぞ、こんな趣味を続けてこられたもんだ」と感慨に浸ったりして。勿論、時には買っていただいた方から褒めて頂くこともあった。それは大きなモチベーションになるし、自分の作った同人誌が人から評価してもらえるのは純粋に嬉しい。

 

ただ、僕の作っている同人誌は見てわかる通り、純粋な創作ではない。人にインタビューをし、寄稿を募り、一冊を組み上げていく雑誌だ。なので一つ一つ記事への評価は、本来インタビュイーや寄稿者に向くべきものであり、編者というスタンスをとる限り僕は裏方に他ならない。周囲の人の言葉を借りながら、同人誌を作らせてもらっているに過ぎない。

 

そういう意味でも、冒頭書いた通り「自分で自分を褒めるしかない」という帰結になるんだけれど、それはそれとして。詰まるところ、人からどのように評価を受けるかという事だけを眼目に置いていては、こんな趣味続けてられん。という話である。

 

それでは、こんな酔狂な雑誌作りに、僕自身何を求めていたのだろうか。

 

今の時代。昨年開催したオリンピックで某ミュージシャンが激しく炎上した通り。雑誌やメディアに言葉を残すというのは正直リスクでしかない。90年代のニッチなサブカル誌の対談から、あのような大きな騒ぎになった事は、世の中の片隅でこんな小規模同人誌を作っている自分にとっても少なからずショックだった。

 

誰の役にも立たないどころか、協力してもらった方々のリスクだけを生成していたとなれば、今までやってきた事はなんだったのだろう、とちょっと落ち込んだりもした。

 

それでも、今回「総集編」を作るに至ったのは、やはりこれまでの対談を見返して純粋に面白かったからだ。「自画自賛乙」というちくちく言葉も、既に妄想ながら脳内に突き刺さっている。ただ、言葉を残すリスクにただ怯えるより、言葉を残す可能性を信じてみたかったというのが素直な所だろう。

 

世には出ないけれど、本質的な事を語ってくれる人は案外身の回りにいる。「有名な人をこぞって集めた」のではなく普段、Twitterであいさつ交わすような身近な距離感の人から得られる言葉を集め、そこに現れる価値を見る。そこに、ある種、人間関係そのものの可能性を信じてみたかった、というのが動機の根本かもしれない。

 

やはり人と話すと、会話特有の空気がそこに生じる。それは、コロナ禍においてひと際実感するに至った。LINEやSNS、メールでのやり取りとは異なる。ましてや、セクシュアルな来歴や、自分の性癖にまつわること、オタクとしての生きざまなど。普段思っているけれどなかなか言う機会に恵まれない言葉には、力がある。力はあるけれどそれが、真っ当に伝わるかどうかは、それを読んだ人次第。

 

詰まるところ「キモイ」と「エモい」は、紙一重なのだ。往々にして、その差異の判断は受け手の側に委ねられる。そうした意味で、モノを作って発信する上では、誰しも性善説に立たざるを得なくなったりする。普段、僕はあまり性善説的な物言いは嫌いだったりするので、本を作ることで「どこか人に希望を持てた」という感覚が心地よかったのかもしれない。

 

ある種、モノづくりの本懐には、作りたいというリビドーの裏に「誰かに届く」という期待があるような気がする。そうした気持ちのやり取りこそ、あらゆる創作を受け入れるコミケという場に対して、僕が抱いてしまう愛着の本質なのだろうとか、思ったり思わなかったり。

 

 

最後は、まとまってもいないし、言いすぎた感も否めないけれど、やはりエモさに任せて文を書くと、キモさと隣り合わせになるというのは改めて実感した。危ない危ない。ということで、とかく簡単ながら、宣伝は出来たと思うので、今週の更新はここら辺で勘弁頂きたい。ほんとコミケが無事開催されることを祈って。