わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

『バス江』に感じた「ふざける」ことの本懐

いや、面白いね。バス江。


こう週1回、ここに何かしらを書き続けようと思い立って早2ヶ月が経ったらしい。我ながら、継続できている事自体は偉いと思う。

 

ただ、いつもの悪い癖で「気軽に続けたい」とか言いながら、気づくとすぐ硬めの論調だったり、無駄にエモを狙った書き方をし始める。すぐ人の目が気になりだして、安易に評価を求めたがる。自分の論調や思考に自信のない証拠である。とか、内省を始めれば2秒でオーバーキル自傷ワードで頭が満たされるため、こういう時、思考は止めるに限る。

 

コミケの原稿も終わり、なんなら完成した新刊が家に届いた。あとは当日の感染対策および灼熱地獄を耐えるだけとなったので、本ブログコンセプトを軌道修正する意味も込め、今日は適当な事を漏らすことにしたい。

 

 

今更だけど『スナックバス江』が面白い。好き。

 

前々から気になってはいたものの、手を出すまでには及ばなかった。ただ最近周辺で2〜3人から「お前は読んだ方がいい」「あの精神性に、お前はマッチしている」「バス江に向いている性格だ」などと言われ「多分、disられてんだろうな」と感じながら、薦められたものは仕方ないので、ようやく電子版をポチポチして、読み始めたら堕ちてしまった。実際、向いているらしい。

 

知っている人は流してもらいたいが、場末のスナックを舞台にしたヤングジャンプ連載のギャグ漫画だ。基本的にはママとチーママの明美、および客が織りなすオムニバスギャグという感じ。読んでみると、気楽に読める割に、扱っているネタが結構今の世の中の空気感を的確に抉っていて、笑うだけで済まされない感情が胸に残ったりもする。

 

特に昨今のネット文化には敏感で、普段僕らが「これ言ったら、きっと怒られんだろうな」とSNSで飲み込む言葉も、容赦なくボケに昇華され、バッサリとキレの良いツッコみにより成仏してしまう。こうした小気味の良い応酬は読んでいて清々しさすら覚える。とまぁ、ギャグマンガを事細かに解説することほど詰まらない事はないので、機会があったら黙って読んでみて欲しい。

 

と、この漫画を読んでいてふと感じたことは、そもそも最近こう「ふざける」という事自体の重要度が増していないか。と思ってしまったのである。先に述べた通り、強めなモノ言いをするもんだから『バス江』はバズリやすい。コマの切り抜き画像が挙げられ、拡散しもはやネットミーム化している。要するに「ギャグマンガという前提じゃねえとこんなストレートにモノ言えねえよ」という民意の裏返しにも思える。あまり言ってはいけない「ふざけたい」という願望が、この漫画の人気を支えているようにも感じる今日この頃。

 

また、ギャグマンガという枠組みだけでなく、舞台である「場末のスナック」であるからこそ許される会話、という側面もあるだろう。僕自身も実際、スナックだとかバーだとか。そういう客や店員との区分けがラフな飲み屋で適当な事言ったり、周囲の話を聴くのが好きな質である。

 

例えば、席に付いてくれたフィリピン人ママが突然、引くくらい重たい過去を独白しては「ダメねこんな暗いハナシばっかしてちゃ」と誰に言われた訳でもなく未来を見据えたり、延々やしきたかじんを歌うオッサンにママが「あんたバリバリの東京人だろうが」と笑い、オッサンはキレ返す。なんか、こう会話に混ざらなくとも、人間って脈絡がなくていいんだと思わせてくれる。

 

特段目的もなく、適当な言葉を吐き、笑い、下らないやり取りを交わす。ネットに籠っていると味わえない空気。そういう場では、誰しも、どこかふざけている気がする。訳の分からない人間が集まり、知らない人同士会話が始まり、好き勝手言ったりする。流石にギャグマンガのようにオチはないが(『バス江』すら数回に一度オチを見いだせていない)それすらも、人の一面として受け入れてくれる場所というものは、やはり必要だと思う。

 

更に翻って考えると。「ふざける」ってのは、思った以上に簡単な行為でなかったりする。こう文章を書いていても、真面目な文章の方がスラスラ書ける。だって、ロジックに沿えばいいだけだから。淡々と順接を並べ、時に逆説を挟み、多少の抑揚を付けながら結論に向かえばそれでよい。

 

え?面白くない?当然、だって真面目に意見を書いているのだから。面白さより、正しさがそこにあるべきでしょう。ハッキリ言えば、今のネットにおける文字や言葉はこんなんばっかが目に入る。

 

それに対して「ふざける」という行為には下心がある。誰かに構ってほしい、笑ってほしい。詰まるところウケを求める行為そのものだ。そりゃウケを狙うってのは、人のリアクションありきな事だし、それを気にした時点で、考える事が増すのは当然かもしれない。だからこそ、程よくふざけるのは難しい。でも、その割「ふざける」事が蔑まれていたりする。こんな多くの社会問題、政治問題が跋扈するこの時代にバカなこと言ってんじゃない。そういう人が多いように思えてしまう。

 

ついでに言えば、真面目な方が楽なのだ。「正義を掲げて、信条に沿う」ってのは、一面勇気ある言動にも映るけれど、もう一つの側面は、ただただ楽だったりする。陰謀論やら似非科学でも何でもそうなのだけれど、人間は楽したがる生き物だから、常に疑いを持ち、思考を回しているのはツラかったりする。そういう時に頼れるものが、いわゆる「正しい思想」になってしまう、という人はよく見かける。そして真面目な人ほど、正しく、案外楽な方へと無意識に流れていく。

 

ウケ狙って、ふざけるにも体力がいる。世の中を疑って、笑うにも思考の回転がいる。一介のシュールなギャグマンガでありながら、ネット上でその言葉の暴力を存分に振るっている『バス江』は、今の時代において「ふざける」ことの重要さを、結果的に示してしまっているんじゃなかろうか。とか、

 

 

まぁ、自分で書いていても過言だと思う。それでも、色んな人の事考え、意識してバカやる事は結構大変で、皆が笑えたり、ふざけ合えたり出来る状態を作りだすってのは思った以上に大切な事ではないかと思った次第。それにしても、スナックの水割りって、家で作るのに比べてなんか旨いんだよな。『バス江』を読んでて、そんなことまで思い出してしまった日の戯言でした。

 

度々のコロナで、行けていない店も多くある。何年前かに行った湯島のパブや、錦糸町のスナックのママから延々LINEが届く。そろそろ顔を出すべきだろうか。何はともあれ、そういうグダグダした飲み屋の空気を存分に楽しみたい。夏だしね。

 

という事で今日はここら辺で。