わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

ほろ酔いながらコミケ直前にして思う事。

久々の逆三角ですわー。


いよいよ8/13~14の2日間にわたり、コミックマーケット100が開催となる。先日ここで告知をした通り僕自身もサークル参加をする。参加される方は何卒よしなに。

wagahaji.hatenablog.com

 

ということで、ちょっとコミケというイベントに関する感傷的な話でも残しておこうと思う。独りよがりな述懐になる気がする。

 

 

思えば、僕がコミケに初めて参加したのは2005年のC69。以降16年に渡り、盆暮れは凝りもせず有明に集い、コロナ禍で中止になるまでは毎度参加。かつて、そんな奇行を訝しげに見ていた親もいつしか諦め、年に2回。もはや僕に欠かすことの出来ないライフワークとして、家族やら周囲も認知するようになってしまっていた。

 

過去数回家から近いからと親が僕のサークルを覗きに来たこともあった。まぁ、親があんな場所にいるというのは決していい気持ちではない。評論島を探して、特殊性癖島に迷い込んだ両親を慰めるなど「気まずい」という言葉の更に上を行く感情も味わった。

 

と、そんなコミケに纏わる思い出を振り返っていると、その中でひとつ鮮明に思い出す事がある。それは僕の祖母の命日だ。

 

祖母が亡くなったのは、ちょうど12年前。それはコミケ会期中の8月14日だった。僕は「祖母が倒れた」という知らせを、大手のエロ同人サークル列に並んでいる時に聞いた。両手にはアレな同人誌がたくさん詰まったエロゲメーカーのショッパーを抱え、他のオタク同様タオルを首に巻き「ファッションセンスなど犬に食わせろ」とばかりの、とても実用的な出で立ちで戦場に立っていた。友人の分含めて何部買えばいいのか、限定がかかっていないかなど検討しつつ、頭の中で計算している時、親からの電話が鳴った。正直、色々最悪のタイミングだった。

 

買い物を頼まれていた友人に急いでその旨説明をしてから、ビッグサイトを離脱。空気にそぐわなすぎる手荷物を抱え、汗だくのまま親族の集まる地元の病院に馳せ参じる。当然の事ながら両親含め親族もそろっており、漢字は書けないけれど「顰蹙」という2文字がありありと目の前に映し出されているような気がした。

 

病院にたどり着いて数時間後、祖母は我々の願いもあえなく、そのまま他界してしまった。生前、とても良くしてもらっていたので、非常に悲しかったのと同時に、両手に持ったショッパーが、コミケ会場でのそれよりずっしりと重く感じられたのを覚えている。一体自分は何をしているのだろう。という自責の思いが頭を占めていた。

 

そして、最悪な事にその翌日が僕にとって、初めてのサークル参加の日だった。初めてのオフセット印刷を行い、釣り銭を準備して、意気揚々といざ戦場へという最中の出来事。正直、不謹慎と感じて参加を取り止めようかとは思ったが、式が翌々日になり、せっかく印刷してしまった同人誌も勿体ないということで、何とも言えない後ろめたさを感じながら、親にも背中を押してもらい何とか参加に漕ぎつけた。

 

未だに思い出しても、ほろ苦いサークル初参加の思い出である。

 

そんな記憶を過らせながら、今年というより、今。久々の夏コミ参加を前にして、当時と似たような後ろめたさを感じている。当然の事ながら、新型コロナの感染状況だ。他人事と思っていたのも束の間、いよいよ感染の脅威は職場、家族、友人と周辺に迫り、聴けば実家の父も罹患し、なんなら結構危なかったらしい。そんな情勢下、感染のリスクを背負ってまで参加するべきイベントなのだろうか。どうしたって、そういう感情が拭いきれる気がしない。

 

僕がこの記事を書きながら、ぼんやりと祖母の命日を思いだしてしまったのは、どのような理由であれ、コミケ参加に対する「後ろめたさ」を久々に感じてしまったからに他ならない。

 

それにしても不思議なものである。これが仕事であればいくらか割り切れる。現に、こんな感染状況下、日々半ばあきらめながら出社を強いられている。当然、出社しなければ回らない仕事は存在するし、何より給与を得るというお題目があるからこそ、後ろめたさを振り切れる。程度はあれど「仕事だからしょうがないじゃないか。」と言いながら、色々な事を呑み込めたりする。

 

翻って、コミケというイベント自体を顧みるとどうだろうか。勿論、多くの人にとって大切なイベントであるし、この催しが生きがいになっている人もいる。しかしながら、詰まるところ個人の趣味の域を出るものではない。なんなら、冷静に考えてみればコミケなど実利を考えれば「意味のなさの塊」のようなイベントではないだろうか。昨今では経済効果等も大きく、一概にそう言えなくなってきているけれど、元を辿れば、ただの「オタクのオタクによるオタクの為の壮大な自己満足」イベントである。

 

だからこそ、このような情勢下。参加してもいいもんなのか。大人の判断をするならば見送るべきではないだろうか、と悩んだりしている。現時点でも明確な答えは持ち合わせていない。特に昨今は時代の価値観が進み、様々な環境や情勢の中、僕らはこうした「意味のなさ」に対して、徐々に冷静な判断が出来るようになっている。あの頃、あれだけ重要と思われていた根性論や精神論も、一種の「意味がないもの」として仕分けられ、捨ててもいいという風土が徐々に出来つつある。

 

この時代「意味のない」ものは本来なくなりやすい。もっと優先すべき実利がある。守るべき社会的資本がある。個人的な意思がある。元号も令和に代わり、そういう価値観が一般的になってきている。

 

しかしながら。今回コミケに参加する事の「後ろめたさ」の理由を考えながら、反対に気づかされたのは「無意味なものの価値」だ。我々は、仕事でもなく、稼ぎを得る為でもない。何なら社会的な意義でもなく、得られるべき成果も明確に見えないイベントを長年にわたり、ここまで大事にしてきた。コミケに集うオタクらはこの「意味のなさの塊」のようなイベントを無駄ではないと信じている。

 

ハッキリと言えば、このタイミングでコミケを開催すること、参加する事はリスクでしかない。欠席は勇断であるという言葉もその通りだ。正しい判断だと思う。しかしながら、この実利面では意味のないように思われるコミケというイベントを開催する為に、余りにも多くの人間が、多方面に渡る努力を行ってきているわけで。そうした意味で、改めてこのイベントの価値を感じてしまった、というのが今回の趣旨。出席するしないの問題でなく、コミケという場の稀有さに改めて気づかされた思いである。

 

好きなモノを愛好し、その愛を表現する為に。あるいは、自分の信念を叩きつける為に、コミックマーケットという場が存在する。とことん馬鹿らしく、とことんシンプルである。経済効果など知るものか、と言わんばかりのDIY精神こそ、やはりこの場には相応しい。コロナ禍という逆風吹き荒れる中、参加せずとも、こうした「意味のない集い」に真剣になる。そういう精神性にこそ、僕は心からのリスペクトを抱いているのだと感じてしまった。

 

加えて、「後ろめたさ」を感じている要因はこうした世相の情勢だけでなく、自分の年齢も含めたものだ。いつまでこんな事をしているのだろう。近年そんな問いが延々、自分の後頭部に突き刺さっている。

 

だけれども、やはりこのコミケという場所はおっさんの弱い心に打克って、この先も残されるべきものだと思う。何かを作ろうという意思は、どう足掻いても青臭いものになる。痛々しいものにも思える。結局無駄に終わることもある。それでも、何かを好きという意思が本質にあって、ここまで大きな規模になったイベントはなかなか他にない。数値で測れない、無意味な価値を育んでくれる場所を、やはり我々は大切にすべきなのだと、逆説的に思ってしまったという話。

 

今回、参加すべきか否か、どちらも正しい判断ではあるけれど、このイベント自体はやはり、オタク自身が意思を持って継続していかねばならないものだと、なんだかそう思った次第だ。

 

ということで、軽く酔いながらも書き連ねてみたが、やはり感情の押し付けになってしまった模様ですみません。加えて、どうやら13日(土)は台風直撃の可能性…実際、ビッグサイトにたどり着くにも大きなハードルがありそうだけれど、それはそれ。今は自分の出来る範囲で準備やら、告知やら、行っていこうと思います。

 

体調には気を付けて、楽しめる範囲でコミケを楽しみましょう。