わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

小説を書ききってみて感じた事について

今日はシンプルに、やっぱ自分で体験してみないと分からないものってあるもんだよな、という話。

 

そういえば昨年夏、1年くらいかけて小説を書きあげた。その勢いで1件、賞レースにも投げてみたけれど結局のところ、箸にも棒にもという具合だったので、もう1年経った先日。やっと、気持ち的にも整理がついたのでネットに上げてみた。

kakuyomu.jp

 

昔から絵やら音楽など、創作全般に手を付けた欲張りな性なもので、やはり小説も一度書いてみたいと思っていた。10代の頃から何度か過去に手をつけたことはあったものの、やはり書ききることは出来なかった。

 

そんなこんなで、30代に入ってから「この10年のうちで一作くらいは書ききろうか。」と思っていたので、昨年本腰を入れて書いてみたら、ついつい15万文字も書いてしまった。

 

完成出来てしまったはいいものの自分でも扱いに困り、一度賞レースにでも投げてみるかと、夏休みの宿題のような感覚で新人賞に提出。まぁ上記の通りの結果に終わり、加えて燃え尽き症候群のような状況も相まって、1年の間、自分で書いた作品を触れたくもなくなってしまっていた。

 

そうこうしていると、世の中宗教二世の問題だったり、家族の話題だったり、そんな時事が周囲を騒がせる中で、自分が書いた小説もそれに近いジャンルだったため、1年経って読み返してみたら、身勝手なもんで「案外悪くないじゃん」と思えたわけで。これだけの文字数をただ放置しているのももったいないので、今回カクヨムにアカウントを作り、アップしてみたという次第。

 

こういうネット小説ってのは、読んでもらえれば確かに嬉しいのだろうけれど、同人誌と違って、実売がコスト回収に直結するわけでもなく、広く宣伝してみたところで、長すぎて読むこと自体人に勧めづらい。そもそも、最早客観視出来る代物でもなくなり、話として面白いのかどうかも分からない。つくづく、自分で作った小説や物語というモノは扱いに困るもんである。

 

以下、物語本筋の話というより、物語を作ること自体を通して得た実感を簡単に書いてみたい。

 

 

端的に言えば、小説というものは絵や音楽以上に難しい創作だと感じた。やはり一番のハードルは完成というゴールが遠い事だろう。そりゃ本数を書く中で掴めるコツやプロットの技術はあるのだろうけれど、あまり自我にテーマ性が近寄ってくると、最早話として面白いかどうかが判断つかなくなってくる。そういう意味でも、最初は短い話を書くべきだったのかもしれない。

 

ただ15万文字にも及ぶ物語を書く中で、オタクとしては通過出来てよかった経験だと思った。面白い物語を作る事に対するリスペクトは、以前と段違いに上がった気がする。オタクをやっていると、こういうブログやら知人との会話で、アニメや映画などの物語を批評する機会というのは否応なしに生じてくる。

 

そんな折、安易に「もっとこうすれば面白いのに」などと言えなくなったのは間違いない。1年間、淡々と小説を書き続けてみて、都度自分の書いているモノを読み返してみても、そもそも「面白い」って何なんだ、という沼に幾度となくハマった。今回、書ききるというチャレンジの中で一番意識したのは「面白いかどうかの判断を捨てる」という事だった。プロット時点で「面白そう」であれば、後は面白いかどうかは気にしない。でなければ、書ききることなど出来なかったし、こんなコンセプトを掲げてしまったからこそ、話が膨大な量に膨らんでしまったのだと、少し反省している。

 

多分プロやら本職の方は、上記のような全体の構成におけるバランス感覚や、どうすれば自分の頭の中にある「面白さ」を引き出すことが出来るのか、ある程度型に落とし込む術を知っているのだろう。起承転結を把握し、全体の長さを踏まえ、自分の作家性をどう表出するのか、恐らくそうした一連のプロットが形作られているような気がする。あくまで素人の妄想だけれど。

 

しかも、恐ろしい事に、話を作ることには面白いかどうかという内省だけが敵ではない。小説には単純に面白さを求めない「純文学」なるジャンルもある。だから、面白さなど気にせず、思うように書けばいいのだ。貴方のアートをさらけ出せばいいのだ。みたいな主張もまかり通る。詰まるところ、バーリトゥードなのだ。

 

長期間、ストーリーを練るという行為は、面白さの基準を失い、そもそも面白いものを生み出す意味も曖昧になるような危険と隣り合わせなのである。本当に最初の時点で自分が何をしたいのか、ゴール地点を明確に定めなければ確実に迷子、ひいては遭難し、テキストファイルは雪山の中に取り残された凍死体の如く、二度と日の目を見ない存在になり果てる。実際、そういうファイルはいくつかある。

 

一本書ききってみて。そういう恐怖感を味わうと、心から日々大量のアニメが制作され、ゲームが開発され、そして小説が刊行されていること自体がある種奇跡のようにも感じられる。例外なく荒行のような道程を経て、それらが世に出ている事を思うとひとつひとつの物語というモノをより大切に扱うべきなんだとなと実感したという話。

 

 

と、こううだうだと書いてみて「小説なんて懲り懲りです」で終わらせればいいものを、また凝りもせず、別件で話を少しずつ組み上げようとしている。やはり創作はトライアンドエラー。何度かやってみないと分からないもんだよな、と頭の片隅が主張してきているので付き合うことにしている。

 

正直言えば、文章を書くこと自体、このブログを続けている通り、嫌いではないのだと思う。懇々と、作りたいモノを作ってみるというプロセスは人生において貴重な時間をごっそりと奪うけれども、そんな時間をとれない程、お前は貴重な人生を送っているのかと問われれば、すぐには解答も用意できず。

 

しばらくは絵を描いたり、冬コミの同人誌作ったり、はたまた別途文章を書いてみたりしながら2022年の間はやっていく予定ですので、引き続きよろしくお願いいたします。気が向いたら、冒頭URLから小説も覗いてみてね。まぁ無理はしないでね。ということで今週はこの辺で。