わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

プリキュアが真正面からジェンダーを扱う時代に

f:id:daizumi6315:20180610233509p:plain

すっかり季節は梅雨。コミケの当落も発表され、弊サークルも無事通過。取り急ぎ作業をしなければと思いながらも、今朝みた『HUGっと!プリキュア』のシーンが過り、日曜夜仕事を前日に控えた切ない時間に一人事を書き出すことにする。

 

プリキュアが切り取る現実

今シーズン通算で15作目となる『HUGっと!プリキュア』今年は特に、あの田村ゆかりが悪役からの追加プリキュア枠に参戦ということで、声豚勢としても否応なしに高まりを見せている。今作の特徴としては赤ちゃんの「はぐたん」がプリキュアたちを引き寄せる形をとり、育児をフューチャーしたり、各話に職業体験のエピソードを活用したり、敵である「クライアス社」が企業の形式をとるなど「現実」のメタファーを多分に盛り込んでいる。

 

そもそも今年で30歳を迎えるおっさんが、幼女向けアニメを見ながら「なんだか現実的だ・・・」と呟くのも、世紀末な構図であるのは確かなのだけれども。幼女向けでありながらも「自分の人生を輝かせるってどういうことなんだろう」と人生の本質を毎度しっかり描く姿勢は「プリキュア」シリーズのファンにとっては頷かざるを得ないプリキュアの魅力の一つであると言える。

 

そして本日放映した第19話「ワクワク!憧れのランウェイデビュー!」ではもう一歩現実に切り込んだ演出がなされていた。それがタイトルにも掲載した「ジェンダー論」である。今回若宮アンリという美形ロシア男子が登場している。フィギュアスケート選手であり、ほまれとのエピソード(第7話)で登場。1回のみのゲストキャラと思いきや、はな達が通うラヴェニエール学園に突如転入。はな達をプリキュアと認識するなど、明確に話の本質に食い込んでくるキャラとなった。もはや女装男子的なスタイルを明示させるなど、物語における立ち位置も絶妙だ。

 

そして今回。毎度憑依されることで同じみファッションデザイナーの吉見リタが主催するファッションショーが開催されることになる。タイトルは「女の子だってヒーローになれる!」そのランウェイに、プリキュア+えみるとルールーも参加することになるのだが、なんと若宮アンリも女性向けドレスのモデルとして参加するのだ。

 

ちなみに愛崎えみるの兄・正人は若宮アンリと同級生であり、アンリのことを「男のくせに女みたいな恰好をしている」と蔑んでいる。そして、今回のファッションショーに参加しようとする妹に対しても「女がなるのはヒロインであって、ヒーローじゃない」と連れ戻しにかかり、アンリと口論になる。このあたりが今日のエピソードの肝だ。

 

・「なんにでもなれる!」を応援する勇気

「自分の心に制約をかける、それこそ時間、人生の無駄」その際、アンリが正人に言い放ったセリフがこれだ。布団の中「なんだか今日のエピソード、穏やかじゃないな・・・」と思っていた矢先にこの言葉である。怠惰な休日を過ごそうとしていたアラサー社会人にも刺さる刺さる。

 

そして、その後。正人は案の定心の闇を付かれオシマイダー(怪人)化。オシマイダーとなった正人にさらわれたアンリがプリキュア達に助けられる際「これじゃあお姫さまみたいだ」と自嘲気味に言うと、キュアエールが一言「いいんだよ!男の子だってお姫様になれる!!」と一喝。はっきり言おう、その瞬間鳥肌が立った。

 

これまでプリキュアのキャッチコピーとして有名だったのは「女の子なら誰でもプリキュアになれる!」というものだった。そのコピーにおける法の隙間をどう突けばおっさんでもプリキュアになれるのか、なんならキュアゴリラしかないのか。あるいは四葉財閥の力か。とか周囲のプリキュア好きおっさんたちも身勝手な冗談言っていたわけだが。

 

このキュアエールの言葉は明確に、ジェンダーによる観念を壊しにかかった。当然「若宮アンリ程の美少年だからこそ、そうした振る舞いが許されるんだろう」というコメントも散見された。ルッキズムがベースとなりやすい異性装文化において、こうした反応は致し方ない。

 

しかし、今回『HUGっと!プリキュア』ではOPでの口上「なんでもできる!なんでもなれる!」それを明確な形で応援した。この回を見るまで、この「なんでもなれる!」という言葉は「みなさん将来の夢を持ちましょう」「夢はかなうよ」的なよくある先生たちの情操教育上の言葉と思っていた。

 

違った。「なんでもなれる!」それを「フレーフレー!」と応援する『HUGっと!プリキュア』の姿勢は、はっきりとした子供の自我の尊重だった。この手の番組としては非常に進んだ、また勇気ある判断を成したんだと思う。だって、当然こういう発想に対して嫌悪感を抱く親御さんもいるだろう。今も現実にクレームすら入っていると思う。でも、子供はもう、自我を持っている。生きる道を選び始めている。悩んでいる。そして、周囲には悩んでいる友達がいる。それをはっきりとセリフで伝えた。僕はその過程に、かつてないほど、いや個人的には『GO!プリンセスプリキュア』以来の感動を覚えた。

 

・おっさんにも響く本当の「夢」という考え方

子供のころ、将来なりたい職業を「夢」として書かされた。ほかにも色んな人が言うように、僕もはっきりとした「答え」など持ち合わせておらず、周りの友人が書いた内容を見ながら「プロ野球選手」と書いた。今思えば呪いに近かったのかもしれない。その後、高校まで好きで野球を続けたものの「甲子園」「プロ」という目線にまるで興味がないことに、後から気づいた。実際、部活の上下関係等で体と心がボロボロになった後だった。

 

「書かされる夢」は思いのほか、当人の自我を形成する。そして、人格すら歪めたりする。僕はこれまでもここで書いてきた通り、女装癖がたまにある。どうしても、男性という性から逃げ出したくなると、そういう願望が湧き出す。アンリ君とは違って汚い女装だろう。しかしながら、どうしたって過去の反動から性別と離れたところに身を置きたくなったりする。

 

今日キュアエールが言った「男の子だって、お姫様になれる」という言葉。これは、多くの人を解き放つ言葉だったように思える。こう物好きがたたって、毎週プリキュアを一人で見ている女装おっさんにすら響いたわけだ。「君は君でいい」自分がどう生きるかを決めるのであれば、それ以上の何物も「君」を縛るものはない。そういう宣言、あるいは免罪にすら思えた。

 

今日のエピソードは多分『HUGっと!プリキュア』のコア部分をよく示した回だったように思える。正直、はな、さあや、ほまれのメイン3人はプリキュア然としたプリキュアだ。しかし、えみるのような「変人」、「アンドロイド」のルールー、そして「男」の若宮アンリ。今回、これまでにない層すら「プリキュア」の可能性を持ち出す姿勢は、見る人に本当の意味の「夢」を考えさせるシリーズなのかもしれない。

 

「夢」とは、職業や肩書でなく、自分がどう生きるか。それを見定めて一歩一歩自分を作っていく過程だと思う。僕らおっさんもまた、幼女先輩たちほど将来残されてはないものの、今の自分がどう在りたいのか、しっかりと考えなければと思ってしまった次第だ。また今年もプリキュアから大切な事を学んでしまったと、ちょっと切ない気持ちながらも、キュアアムール・キュアマシェリが登場する来週もまた楽しみに待ちたい。