わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

ビットコイン、ブロックチェーンがわからなくて

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気づけば世間は夏一色となっている。小学生は夏休みに突入、そしてロックフェスに花火大会に夏WFにコミケリア充もオタクもイベント盛りだくさんな時期となった。当方もコミケの準備はあらかた終えて、残りはPOP作成といった細かい作業を残すのみ。そして案の定、見事なまでに燃え尽き症候群に陥り、何もする気が起きないので、そういうときは極力本を読んだり、何かを吸収した方がいい。

 

当方どうしよもないオタクであるとともに、一介のビジネスパーソンであるので、社会の動向をつかむため日経新聞なんかも読んだりする。馬鹿なサブカル本やプリキュアエロ同人誌ばかり読んでるわけではないのだ。この時代の流れは早い、いつだって世の中の動きには敏感でなければ。

 

そんな思いから、昨今話題になっているビットコインをはじめとした暗号通貨の話題にフォーカスしてみようとワードを絞ってチェケラ。ふむ、なるほど・・・分裂ねぇ・・・あ、仮想通貨ってビットコインだけじゃないんだ・・・イーサリアム・・・なるほど・・・マイナー・・・えーと。なーるなる、これ、うん、どういうこと。

 

久々ニュースを読んでて、見事なまでキョトンとなった。なんていうか、今話題の分裂騒動はじめ何が問題になっているのか分からない。分からないところがわからない。完全にバカのいうセリフじゃないか・・・ちょっとした気分でインテリ気取ってマウントでもとりたい思ったら、ただただ自分の無知に向かい合った形である。いやいやいや。それにしたって、文系出の人間からしたら実際情勢がどのようになっているのか、分からない人って多いのではないか。

 

取り急ぎ「きっと分からないのは自分だけでない」という脳内防御線を張りつつ、焦ったので書店に駆け込み、ビットコインを始めとした暗号通貨を支えるブロックチェーンから学びなおすべきなのでは、と冒頭に掲げた本を買ってみたというわけである。今回はそんな本を読んで感じたことをつらつらと。

 

・「分かってるつもり」は、ほとんど分かってないということが分かった。

言葉では知っていた。今話題の「フィンテック」という言葉も、金融とIT技術が合わさった造語で、いわゆる昨今の仮想通貨経済全般を指す言葉であると。2009年ごろにサトシナカモトという謎の人物によって提唱されたブロックチェーンという発想から、これまでになかったセキュリティの形が生み出され、この仮想通貨文化も生まれたという流れくらいは抑えていたつもりだった。

 

しかし、徐々にページをめくると、和訳がちょっと勢い任せな部分もあったり、専門用語のオンパレード。プロトコル、あぁよく聞くよね。トランザクション、聞いたことはある。トークン、あぁ、それな。くらいのレベルの小生には「何を言っているのか分からない」という箇所に結構ぶつかる。もう気分は岩波文庫の哲学書。1行1行、主語と述語を探しながら読み充てる作業に近い。

 

まぁ、それでも悪戦苦闘しているうちに、なんとなく言わんとする外装部分だけは掴めた気分になってきた。その分かったかもしれない概要を、自分の理解の為にも書き記してみたい。各方面からツッコミがあるかと思うが、ド文系出身営業畑育ち。まだ勉強途中なんでそこは暖かく見守ってほしい。

 

以下自分のざっくりとした理解。

 

これまでは例えば、何かオンライン上で決済をしようと思ったら、中央に大きなデータベースがあり、それぞれアカウントという形でキーを設定。そのキーを使うことで取引の確実性や同一性を担保し、不正が行われないようにする。アマゾンや、itunesでのコンテンツ購入など、一元的なデータ管理状態からカード会社などを通し「現金としての」決済が済めばDLを行ったり、様々な契約を行えるというのが、今も尚続けられる中央集権的なオンライン取引の実態である。

 

それに対し、このブロックチェーンのコンセプトは、過去ファイル共有ソフトとして悪名を馳せたトレントなどで知られる「P2P」という仕組みが主幹となる。この「送金データ」のやりとりの形は基本的に単一の個人間、各PCがサーバとなり関連を構築する。その為、これまでのようなカード会社や銀行を通した煩雑な手続きは不要となる。

 

上記の一元的なサーバーでの管理とは異なり、それぞれ数多くの取引が(便宜上)オープンに、かつ改ざん不能な形でログに残されるという形で残される。そのため複製可能というデータの弱点を「オープン」「改ざん不能なログ」というシンプルな形で克服したものである。

 

また、取引に関して細かな問題が生じたとしても、それぞれが単一のやり取りであるため、大きな障害には繋がらない。例えば、大きなデータベースなどは一度クラックされれば、顧客情報の流出を始め大きな損害が生まれる事は想像に容易い。

 

ただ、例えばビットコインではその取引を成立させる「マイナー(掘る人)」の存在が不可欠である。ある意味でその第三者的存在に取引を公開するからこそ、ブロックチェーンの上記メリットが保たれる。裏を返せば、そうしたマイナーの方法や規格などの差によって、今や何百種という仮想通貨が生み出されており、昨今の分裂問題もその中で起こっている話である。

 

今話題の分裂問題については下記、東洋経済オンラインの記事が分かりやすい。

8・01ビットコイン分裂騒動とは何だったのか | 家計・貯金 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

・もはや「金」と「価値」って何だろうっていう話

いやぁ、なんていうかふわふわした知識でさんざんまくし立ててみたわけだが、言葉がどうも胡散臭い。もう一回大学行きたいと切に思う。まぁ専門的な知識は、今後も引き続き勉強を続けるとして。

 

以下はちょっと、それら仮想通貨を踏まえた価値観のお話。本書を徐々に読み進めていく中で、興味深い発想がそこにあることに気付く。現在の貨幣経済そのものすら見直すような発想である。

 

この本の終盤に「ウーバー」のような、ライドシェアリングサービス「ラズーズ」の話が出てくる。これはユーザー登録した車の保有者が、依頼に応じて乗客を取るというとこまではウーバーと同様。しかし、その乗客との金銭取引は発生しない。報酬として運転手には仮想通貨が与えられ、それと同時に運転手としての評価を受けるという仕組みのサービスである。

 

更に、変わっているのは、この「ラズーズ」を使う客側は、このサービスで得た仮想通貨から支払う必要があるということである。つまり、価値の提供と報酬が一体となっているということだ。ただ、こうした仕組みづくり自体が難しいのと、ユーザー層の増加等には至らず、まだ構想段階で止まっているらしい。

 

ただ構想段階とは言え興味深い。つまり、この仕組みの中では仮想通貨という媒介はあれど、根本的に金銭が要らないということだ。サービスに対してサービスで応える。自分が同等の価値を相手に提供するという、それこそが貨幣価値に近い存在となる。そこではもはや金銭取引という、共通の価値に置き換える手間が省かれている。

 

これからの時代はその「価値の交換」という概念が先鋭化されると感じる。土地や金銭、そうした資産的価値をどれだけ持っているかという事も重要な富の規準であることは変わりないだろう。しかし、それ以上に今自分の持っている価値とはなんなのか。それを問われる時代になるのではないかと身震いする。

 

先日、元アスリートの為末大氏が「価値を生産出来る人間が多いほうがいい」という文脈を使って、ツイッターにて炎上していたことを思い出す。その氏の思想は、どことなく「人は社会における歯車である」という前提を推し進めるようで、やはり受け入れがたい。確かに、人は生まれてきてそれだけで価値あるものだ、という思想には相反するものがある。

 

しかしながら、生まれてきただけで十分とはいえ、その人生において何をするのか。誰にどんな価値を提供できるのか。その問いかけからは、誰しも逃げられるものではない。今後この仮想通貨が展開する「価値の交換」が投げかけるものは、これまで現実で担保されていた「貨幣」の価値と「人」の価値をシームレス化するもののように感じられた。

 

その面で言うと「VALU」というサービスが最近一部で流行り始めた。それが意図するものは、おそらく近年のただ「人と繋がる」ことを目的にするSNSが提供するそれではない。人の価値すら流動的になり、ビットコインという仮想通貨によって売り買いされる。いいね!を押す感覚で経済的価値が動く。それは、これまでの承認欲求からワンステップ進んだソーシャルメディアの形だろう

 

クラウドファンディング程、明確な事案を起こすまでもなく「期待できそう」というよりふんわりとしたパーソナリティに対して投げ銭が行われる。現在このサービスに対しては各所「意識高い人らのための金集めツール」という印象があるように思えるし、どことなく僕自身もそのように思っていた。

 

ただ、今回分からない中でも本を読み、記事にいくつか触れ、ブロックチェーンや仮想通貨の可能性を垣間見る中で、恐らくこれらは確実にこれまでの我々が抱いていた「経済」「価値」というモノを改めて問い直すサービスのように思える。「VALU」というサービス名もなかなかに芯を喰っている。

 

どこでも示唆がある通り、仮想通貨について一部では取引がなされている反面。今回の8.1問題による取引停止のように、実際の導入や法整備、インフラ構築には莫大なハードルがあるし、一朝一夕にこうした仮想貨幣経済なんてものが成り立つものでないことは自明の理である。ただし、今回読んだ本でも頻りに書かれていたのは「既にインターネットを我々は見ている」というものだった。その変化はビジネスモデルから時代の大部分を覆い尽くし、それ以前には想像のできなかった時代を僕らは今過ごしている。

 

受け売りで恐縮なのだが、この仮想通貨という発想、あるいはブロックチェーンという着想が至る場所はその先だ。「お金をもっているか」ということから「この人は何ができるか」という見方へより強まるんじゃないかと。そんなことをぼんやりと素人ながら思った話でした。

 

長々すみません。