わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

仕事で消耗しない為に思い出す3つの言葉

とりあえず夏コミに向けたファイル制作やら宣伝記事やら。そうしたマスト事項はあらかた終えたので、今日は根暗な独り言を好き勝手最近思っていることを書こうと思う。

 

海の日も通過し、待望の3連休を終え平日に突入。やはり連休そのものは素晴らしい概念だけど、それが終わる瞬間は本当にクソの極みといった感情に襲われる。「あぁ、グダグダできる時間が・・・」「先週末のタスクが残ったままだな・・・」「またあの人に会うのか・・・」などなど。そうしたネガティブイメージを極力何も考えないようにしながら布団に入るも、未練がましくタイムラインをめくる手が止まらない。

 

そうすると自分と同様、断末魔のようなつぶやきが流れていく。そうだよな、みんなツライんだよな・・・そんな悲しい同調をしながら嫌々眠りにつき、翌日の労働に身を任せるのである。そう納得はさせてみても、やはりツライものはツライ。なので、日ごろ自分自身が、自らに言い聞かせて労働に勤しむこの身をなんとか前向き、いや後ろ向きでも労働に向かわせてくれる言葉を三つここで掲げたい。

 

何も「お前らがんばれ!」という気持ちからではない。あくまでも自分に対する応援歌をリマインドする意味も込めて、今回はツラツラと書きとどめることにする。まぁ、正直前向きな話では決してないのであしからず。

 

 ①「人より偉い法人があるはずない」

宮田珠己『なみのひとなみのいとなみ』(幻冬舎文庫)より

 

この言葉を聞いたときには「あぁ、いいことを言うなぁ」と切に思った。本書は無気力旅行記で知られる宮田珠己氏のエッセイ集の一説である。本書を誰か友人に貸してしまって、そのままであるためちゃんとした引用ができないのが申し訳ない。本書にはいろいろな話が収録されているが、労働について書いている章は特に興味深い。概要を示すと、この宮田氏はもともと編集や文字書きといった仕事に就きたかったにも関わらず、不動産活用の営業という全く畑違いの興味のない部署に配属される。

 

その中で果たして自分は、このまま仕事をし続けるのか。まったく興味のない分野で働くべきなのか、という問いに晒されるなか、ようやくたどり着いたのがこの見出しの一語である。「そもそも人から生み出された概念である法人が個人より偉いというのはどういうことなのか。ファンタジーが現実より偉いはずがない。金を払うなら働いてやってもいいぞという立場こそ、本来の個人と法人の在り方ではないだろうか。」という自説を述べている。またその境地に至ってから、働くことが楽になりほかの部署に異動してからは、自ら倒れるまで働いたという。

 

まぁ、ぶっちゃけ詭弁であることは確かなのだけど、ついついこういした発想には頷けてしまう。人が生み出したファンタジーである法人ごときに僕は一体何をへこへこしているんだ。主従関係をわからせるべきじゃないか。というのは、働く身としてみればなんだか心強い言葉だ。そもそも、労働についつい虐げられがちな現代人にとって、まず法人と個人の関係性を問い直すためには非常に有益な一言であると感じられ、毎日自分に言い聞かせている。

 

②「この宇宙に比べれば・・・たかが野球!」

島本和彦氏『逆境ナイン』(サンデーGXコミックス)より

 

ここで島本先生の作品『逆境ナイン』でのこのセリフを挙げたい。この作品自体、トンでも野球漫画としてはかなり知られている作品である。ちなみにこの全文は下記の通りだ。

「星か……。この宇宙のどこかでは今も――おたがいの星の運命をかけて、壮大な宇宙戦争が行われているんだろうなあ……。それにくらべりゃ……たかが野球!! まだまだ……、まだまだ……!! どうにでもなるさ……なあ宇宙よ!!」 (1巻2話「完全勝利」)

 

数々の名言で知られる島本作品だが、個人的にはこの一説が非常に好きである。しょっぱなから校長の廃部宣言、それに対して宇宙という大きなスケールでメインテーマである野球をあえて飲み込み、本来は野球にまつわるべき話なのに、その野球という存在を小さくとらえる。正直野球を魅せるべき漫画としてはありえないタブーのやり方だ。

 

しかしながら、これは人生にも非常に染みる一説だ。はっきり言ってしまおう。たかが、仕事である。金をもらい、時間を奉仕し、生活に費やす。確かにその大きな要素ではあるものの、自分の人生すべてを決めるものなのだろうか。あぁ、宇宙よ。その広大さと比較すれば自分の今の仕事など、なんとちっぽけなものか。特段人の生死にかかわることも少なく、種々の利害を調整していく。周囲の人間関係など宇宙と比べれば些末な問題。その中で何を仕事に嘆くことがあろうか。

 

そんな気持ちをふとこのセリフからは呼び起こされる。所詮仕事じゃないか。自分の人生を改めてとらえなおすという意味でも、この発想は非常に重要であり、島本作品の中にはこのようなヒントが数多く残されていたりする。

 

③「生活保護で東京観光するのも悪くないよ」

これは我が、母親の兄貴。つまり叔父の言葉である。私の母親は山口県の生まれ。当然その兄も山口出身なのだが、この兄がなかなかに破天荒な経歴の持ち主であった。20代後半に飲食店経営、また30歳になるとシカゴへ渡米。自分の腕一つでアメリカで寿司屋を経営などしていたとのこと。しかし、経営不振により帰国。今度は新潟にて職を見つけ結婚。しかしながらそこで見つけた嫁さんが、どうも結婚詐欺のきらいがあり、種々恫喝を受けて離婚。

 

気づけば心臓を病んでしまい働けない身に。見かねた母がもろもろ対応をし、我がふるさと東京の江東区への移住を決断。生活保護を受けながら我が家の近所に住まいを持つに至った。そんなご近所となっていらい、たまに正月やお盆といったイベント時期には顔を合わせることになる。その中で、叔父が言ったセリフがこれである。

 

「いやぁ、生活保護受けてるとスカイツリーも安くなったりするのね。東京観光楽しいわ」

 

正直、ネットでこういうこと言うと炎上するのもわかる。実際僕も反感を抱いていたのは確かだ。だけど、なんていうか身内にいざそんな呑気なことを言い出すおっさんが出てきて、なんとも憎めない顔で過去の悲痛な経歴を笑い話にしているわけで。僕自身、少しその叔父との関係をもとに人生観が変わった気がする。なんていうか、完璧な人生でなくていいのかも。なんとか、生きてはいけるもんなんだなと。そんな風に思ってしまった。

 

思えば、我が家。父は元プロのバンドマン。父の兄はサーフボード職人。母の兄貴は上記の通り謎の経営者。もう一人の兄は地元で輸入雑貨店を経営したりと、まともな社会人がいない。

 

この三つの言葉は、前向きに今の社会人生活を送るための言葉というよりは、あくまで「こんな生き方もあるよね」とか「そもそも社会に迎合しすぎずとも生きてはいける」という事実を示してくれる言葉そのものである。

 

確かに今、仕事をパッとやめてしまえば困窮にあえぐことは間違いないし、そんな選択肢は取れるはずもない立場にある。ただ、日々の仕事によって「こうしなきゃ」「この仕事が失敗したら」という不安に押しつぶされそうになっている人には改めてかみしめてほしい言葉だと思った。そこまで無理をせずとも、人生何とかなったりするものよ。と。

 

あんまり無責任なことは言えないけれども。責任や社会体といったくだらないことで自分の価値を推し量らずに、たまには人間として生きる。仕事とは違う目線で人生を考える。そんな思考のために自分にとって必要な言葉を並べてみた。誰かの参考にでもなれば。

 

仕事は大切。たけども所詮は仕事。そんな気持ちはやはり今の時代において、誰もが持っていても損はないと思う。