映画『レディ・プレイヤー1』60秒予告【HD】2018年4月20日(金)公開 - YouTube より
※軽くネタバレ込みです
もうね。
「映画でも見る?あ、これなんか話題みたいだし、面白そうだからこれにする?」なんてGWの陽気に誘われ、本作をノリだけで見ちゃったご婦人方や、あまり本作の文化に関わりが薄そうな子連れ家族に心より哀悼の意を表したい。
鑑賞後、EDクレジットの時点で早々に立ち去るそうした人達。帰り際には「アタリって何?」「ネタわかんないし」「シャイニングってそんなメジャーな映画?」そんな声も聞こえる。まぁ、そう・・・だよね・・・うん・・・普通。そんな一定層の姿をよそに、一部の観客はざわつき、吹き出す。そして終盤にかけてさめざめと泣いている輩、クレジットが流れ終わった瞬間に小さく拍手すら聞こえた。そう、我々オタクだ。
ヒロインが金田バイクで颯爽と登場?ATARI2600に大オチが絡む?はっきり言ってやろう、バカじゃないのか?(誉め言葉)
東京・日本橋三越の建物を前にそびえる高級シャレオツビル、コレド室町2。ここTOHOシネマズ日本橋にて、ようやく僕は本作を観た。先週から行こう行こうと思いながらも仕事で圧殺され、一度は平日夜に予約した1800円を一度失うという煮え湯を飲まされつつ、何とか本日鑑賞。
もううだうだ難しいことは言わない。ただただこれをまだ見ていないオタクは見に行ってほしいという思いだけで、この文章を書いている。ネタバレも多少あるし、粗なんか探せばいくらでも出てくるだろうけど、とりあえず熱量だけ置いておく。
・「見たことある」がいっぱいだが、大丈夫か
簡単にあらすじから。冒頭に書いた通り、本作は非常に偏ったカルチャーを基盤に展開される近未来SFだ。「オアシス」という仮想ゲーム空間で、いわば『RO』や最近の『FF』的ソシャゲと、近年盛り上がりを見せるVRゲーが完全コラボした世界といえる。その中では様々なゲーム、ショッピング、疑似恋愛すら楽しめる。その世界に熱狂した人はもはや現実世界に興味を失い退廃的になり、半面「オアシス」内充実を求めるような時代背景となっている。
正直言えばその文脈は『僕らのウォーゲーム』『サマウォ』。自らのアバターが代替を果たす世界であるということは同じである。ただ、相違点としては没入性の高いVRという装置の存在と、その世界を作ったジェームス・ハリデーが死に際に、仮想空間内のどこかに隠した3つの鍵を手に入れられれば「オアシス」の所有権と彼の莫大な遺産が手に入るというのがプレイヤー達の主たる目的である。
当然、ゲーム内での装備や、リアル世界でのデバイスは今のオンラインFPSよろしく現実世界での課金によって手に入る。ハリデーの死後「オアシス」での課金滞納者を取り締まるなどして台頭したIT企業「IOI」もその資本力を使い、鍵探しに奔走する。それに対して主人公たちは、純粋にポップカルチャーマニアでありとことんオタクだったハリデーの意思を、そして大切な遊び場である「オアシス」を守る為に鍵を探し出し「IOI」と対立する、というなんつーか、とってもジュブナイルな、むず痒い感じの話の軸である。
そして隠された鍵をゲットするには、サイバー空間に無数にあるゲームのうち「指定のゲーム」を「指定の方法」でクリアすればOKというもの。それにしても、その「指定」が完全に「あの頃のゲーム脳」なのだ。ここからは明確なネタバレなので内容の記述は避けるが、最先端VRソシャゲのくせに情報の集め方が完全に「ここのドット、絶対バグあるよね」「まさかだけど、ここ落ちてあえて死んだほうがいいんじゃね?」みたいなヤツ。製作者の意図を組んで、裏を掻いてクリアを目指すという展開にとかくウズウズする。
そして、なんといっても本作が注目を集めているのは作中で使用される「オアシス」ユーザーのアバターのパロ具合である。タイトルにもある通り「え、大丈夫・・・なんだよね・・・」と思わず心配になるほどの自由さ。一時期話題になった中国の遊園地のごとく、いやむしろキャラデザ完璧なだけに逆にまずい気がする。てか、ヒロインのアバターがどことなく『アバター』ぽいアバターなんだが大丈夫か。てか、同時期に裏で『アヴェンジャーズ』の新作やってるけど大丈夫か(
その酷いほど、愛のあるパロディアバターの数々。そしてそれらアバターが活躍する「オアシス」内でのゲーム描写CGの緻密さ。もうストーリーがなかったとしても、そのシーンの一つ一つに僕らは感動を禁じえなかった。
僕がそうしたシーンの一つ一つを見て思い出してしまったのは1983年、大阪で行われた日本SF大会のOPとして流された「DAICON Ⅳ」のアニメーションである。当然、リアルタイムで見られる年齢ではないものの、高校時代だろうか。初めて僕はこの数分間の映像を見たときに、オタクのパロディへの真摯な姿勢と、その熱量に「本当に俺、オタクでよかったな・・・」と号泣したのも懐かしい。
詳細はこれ読んでね。DAICON FILM - Wikipedia
このサムネイルにあるバニー美少女キャラが次々と、当時のSF作品キャラを相手に立ち回る。終盤には細かくも無数の二次キャラクターたちが描かれ、最後は「あぁ、ゼネプロ・・・てか庵野・・・」みたいな感じ。その描写には紛れもなく「こういう作品群を見て僕らは育ったんだ」という意思表示が見て取れる。そして今回の『レディ・プレイヤー1』に話を戻すが、端的に言ってしまえば、個人的にはこの「DAICONⅣ」OPを140分に及ぶボリュームで見させられているような気さえしたのだ。
個人的にグッと来たのは『レディ・プレイヤー1』の冒頭にはエディ・ヴァンヘイレンの『JUMP』が使われるのだが、84年のリリース。「DAICONⅣ」での冒頭ELO『Twilite』のリリースが81年で、時代的にも感じるところがあり、非常にリンクしてしまい、冒頭からひそかに目頭を熱くさせた。
・アメリカの二次創作への親和性
そうしたいわば「オールスターごちゃまぜ」的な空気にわくわくする気持ちとして、一時期、流行したオンライン格ゲー「MUGEN」が登場した時の興奮にも似ている。知っている方には説明不要だが、キャラ素材さえインストールすれば、どんな作品でもクロスオーバーさせ、戦うことが出来るなかなかアレな格ゲーだ。当時から賛否などいろいろな意見はあれども「格ゲーという土俵ひとつで戦ったら、どのゲームのどいつが一番強いんだ」みたいな謎の高揚感があった。正直バーリトゥードもいいとこ。
そもそもアメリカでは『アヴェンジャー』シリーズ含めてオールスター展開な人気が非常に強いように感じる。格闘ゲームの世界大会「EVO」でも一番の人気ゲームは大抵クロスオーバージャンルであり『Marvel vs Capcon』シリーズにたいする熱量は日本の想像以上に根強い。北米で最も有名なプロゲーマー、ジャスティン氏の人気を支えているのも本作である。
そもそもアメコミも、同作品にも関わらずパラレル展開をよくするし『スパイダーマン』や『バットマン』シリーズが、あそこまで回数を重ねて、映画化される土壌を考えても、日本と同様に二次創作とクロスオーバーに対する親和性は高いものと思われる。むしろ今回のような「全部ぶっこんだれ!!」という、ちゃんこ鍋的二次創作はヤツらの方が上手い気がする。
オタクとしての想像力のスケールというか、作品同士の機微なんて言ってないで、よろしいならば戦争だ!突っ込め!!敵をぶっ潰せ!!そして仲良くやれよ!!という満漢全席的漢気オタのそれを感じる。はっきり言えば小学生男子がクソ興奮する感じ。この作品を見て感じる熱さはそうした勢いから迸るものなのであろう。
朝から淡々と同人誌作成を行い「疲れたな・・・」と心折れかけたところにアメリカ式二次創作の魂をぶち込まれた気分であった。「日本よ、これが二次創作だ!」みたいな。やっぱあの国スゲーって単純に思った次第である。
まぁ、話はとっ散らかったけれども。詰まるところ久々に「あぁ、オタクで良かった・・・」と実感できる作品だったということは確かだ。こんなクロスオーバー全開の土壌に、とことんネット上で出会っちゃったボーイミールガールの典型をぶち込み、最終的には「異世界もいいけど結局腹は減るからなぁ」とか言い放ち「そうは言っても、ゲームは1日1時間!」という高橋名人みたいな教訓めいた要素も注入。やられた。エンタメとしても「あの頃の空気感」をきっちり演出していて、流石はスピルバーグという作品だった気がする。
とかく今のハイエンドソーシャルゲームの世界に80’sの古き良きポップカルチャーを組み込むとこんな空気になるんだなと。これから様々な技術が進歩する中でも、割と懐古主義と言われたところで。あの頃楽しかった思い出だったり、大切にしていたことっていうのは忘れちゃいけないもんなんだなとか、おっさんらしい感情を抱いたりして、やはり涙をホロリ。隣で見ていたのもどうも同世代かちょっと上のオタクで、同じところで笑い、そして啜り泣き。「ガンダム!!」とハモったりもした。なんか映画にとどまらない不思議な体験をしたような気分だった。
いや、長々書いたけど。ほんとただただ面白いので、GWも本番。ぜひ見に行ってみてください。