わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

「着ぐるみ」という趣味について久々考えさせられる

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全国的に灼熱とも言える日々が続く今日この頃。私事ではあるが、ようやく夏コミ新刊が脱稿した。もう何度目か。こんな焦燥とひっ迫感を毎度味わうなら、そろそろやめればいいんじゃないか、とも冷静な自分が思うんだけれども。まぁ結局生粋のマゾにとっては、その恐怖感すら快楽に近づいてくるもので。快楽と苦痛は紙一重。そんな思いを毎度味わいながらまたその夏コミ新刊の宣伝は次回あたりにするとして。今回は相も変わらずなこんな話。

 

ちょっと趣味的内省になりますので、まぁ、興味ある方向けということで。

 

・「着ぐるみ」についてまた考えさせられる

お前のその特殊性癖の話、もう何度目だよ。とお叱りを受けそうな話題なのだけど、ちょっと久々に考えなくてはならない機会があり、こんな文章にしている次第で。

 

「着ぐるみ」というものがどのようなものなのか。ざっくり冒頭掲げた写真を見ていただければ、その例の一つとしては把握いただけるのではないだろうか。わかりやすい例では、テーマパークにいるようなアレであり、キャラクターショーなどを演じているアレである。マスクを被り、体全体を覆うコスチュームによって「キャラクター」いわゆる「人ではないもの」を、その場において演出する存在だ。

 

弊サークルの偏った評論同人シリーズ「'00/25(にじゅうごぶんのぜろねんだい)」でも「Vol.3/着ぐるみという趣味」や上記の表紙で掲げた「Vol.8/造詣から見る着ぐるみという系譜」という具合に、この「着ぐるみ」について扱った雑誌を弊サークルでは過去に2冊作った。僕自身も、ここまで固執するテーマなのかと正直首をかしげたくなるのだが、やはり覗いてみる度、面白い世界であることは間違いないと思う。(下記リンクから既刊は確認できるので見てみてね)

わがはじの!

 

何をかしこまってこんな話を突如始めたのかと言えば。上記「Vol.8」でもお世話になった着ぐるみ面工房「RINS FACTORY」さんの主催イベント「RINFES 2」がこの秋口、11月24日(土)に開催する予定とのこと。詳細について開示はこれからだが、単なる「着ぐるみコスイベ」にとどまらないパフォーマンスや、ショーを画策しているらしい。下がツイッターアカウントと開催場所、さらに先日配信されたその告知ツイキャスのログを置いておく。

あぁ、なんて献身的なんだろう。

RINS (@FACTORYRINS) | Twitter

ハーモニーホール | 浦安音楽ホール

twitcasting.tv

 

そこまではいい。そして僕自身、この告知キャスを見ていなかったのだけど、どうやらその中の催し、トークショーなるもので司会をやる羽目になっている。あーマジか。内容については具体的な事がほぼ出ていなかったが、おそらくRIN氏や造型工房∑代表をはじめとした数人を前にして、そこで何か話を仕切れということなのだろう。しかも尺も1時間ある・・・これ、ちゃんと組み立て考えないと確実にグダるよね・・・

 

ということでこういう場でスベるのは死ぬよか嫌なので、幾分か焦りつつ、自分の作った同人誌を読み返しながら、イベントの宣伝ついでに久々「着ぐるみ」という存在について考えをまとめてみようという思惑で書き始めている。

 

・多くの「趣味」を取り込む存在

手前みそばかりで恐縮なのだけれども。「着ぐるみ」について考える上で、上記に触れた2014年作成「'00/25 Vol.3/着ぐるみという趣味」という同人誌の冒頭、僕はこんな文章を書いたことを思い出した。

 

「着ぐるみとは端的に言えば人を別の「モノ」に変える装置である。そこに傾倒する人は実に多様だ。着ぐるみは彼ら、彼女らにとって自己表現の形でもあり、はたまた獣への羨望でもあり、異性への倒錯でもあり、人形への擬態でもあり、更には注目への衝動でもあり、情愛の異形でもある」

 

表現だけ見ると中二感漂ってて痛々しいが、本筋は未だに合っていると思える。このように「着ぐるみ」を愛好する人というのは、現実における自分や他人の身体から、別の何かに離脱することに対して、何らかの憧憬を抱いてしまう人だ。そして共通項はあれど、その動機は人それぞれである。僕はその多様性にこの趣味の面白さを感じた。

 

今回、トークショーということで。やはりテーマの本質はここに帰ってくるだろう。同じような趣味者であっても、人それぞれ「着ぐるみ」に対する思い入れのベクトルは全く異なる。そして、結果として「着ぐるみ」を使って行う行為にも違いが出てくる。我々は自らの身体を捨て、何を所望するのか。要するに「着ぐるみ」という媒介を使って何をするか。何ができるのか、という点だと思う。

 

「いや、お前過去にあんなひどい着ぐるみエロ漫画(※ 【20%OFF】めたこい!2 [わがはじ!] | DLsite 同人 - R18)なんて描いておいて高尚なこと言って逃げるつもりじゃねえだろうな?」というツッコミはまさにその通りで、ていうか僕個人としては、そうした多様な動機がある「着ぐるみ」という趣味においても、超偏ったフェティシズムサイドにいる人間なので、そもそもが人選ミスじゃねえの?とは正直思う。「すくみづ」なんて名前の人に普通司会とか頼まないでしょ。

 

ただ、逆にだからこそ。真正面からちゃんと、この「多様性」に向かい合えると思う。だって、所詮は性癖じゃん。僕個人としてはそうも突き放せるからこそ、耳障りの良い「高尚なこと」だけでは丸め込みたくはないなと感じる。僕らは何をもって「着ぐるみ」に楽しみを、そして美しさを、趣味としての自己実現を見出すのか。

 

実際堅苦しくならない程度に、そうした類の話をできればいいかなと思っている。またイベントとして、こういう形で文章にもならないので、恐らく結構ぶっちゃけた話も出るんじゃないかと思う。朝から酒とか飲んでいない保証ないしね。

 

・「着ぐるみ」が拡張する自我

更に言えば。そのベースにある趣味の土壌はこの10年間ではるかに広がってきている。過去は「たか〜い買い物」だった美少女着ぐるみ面や、「むずかし〜自作創作物」だったケモノ着ぐるみも、工房の増加、そして海外勢との交流、そしてコミッションやSNSによるノウハウの広がりにより、確実にその敷居は下がっていることだろう。その結果僕らが昔、ネット黎明期に思っていた以上に、それは「文化」としての広がりを見せてきている。

 

そして、これだけ多様な思いを含んだ文化である。それぞれの趣味活動には何らかのストーリーが生じ、面白いことが各所で起きていることだろう。

 

例えば小沢団子氏の単眼面のキャラクター化、みはし氏のドール面に纏わるハイレベルな表現、海外を見れば日本国内以上に発想豊かなフェティシズムにあふれる表現が広まりを見せ、また高い技術に基づく写真撮影や自撮りなども各所で見るようになった。

 

よく「2.5次元」などと呼ばれたものだが、今ではその2次元を3次元に起こすだけにとどまらず、自らの身体性や自己同一性を拡張する試みとしても「着ぐるみ」は着目されているのではないか。つまり、現実の自分というキャラクターをアバターにそのまま移し替えたり、あるいはその自我を増幅させたり。

 

現存する自分自身に縛られない、次のステップの自己表現の在り方がそこにはある気がする。最近ではSNSに動画もアップロード可能となったことにより、そこで自在に動く「自分でない自分」あるいは「その人でないその人」という観点は、これまでになかった表現の可能性を十分に秘めているのではないだろうか。

 

とか。さんざんそれぽいことをまくし立ててきましたが、最近ネットを見ていても今更ながら「着ぐるみ」に纏わる表現や創作物がまた面白くなってきたなと感じていたので、長々かいてしまいました。イベント当日はもうちょっと緩やかな話が出来ればいいかななんて。秋口までまだもう少しあるので、もうちょっと考えてみようかなと。

 

何はともあれ「RINFES 2」来てね!ぜひ会場でお会いしましょう!!とかく滑りたくない!!