しばらく時間が空いてしまった。3月も終わりに近づき、新しいスタートを控えている人も多いことだろう。そんな中、アンダーグラウンドでは同人作家の年間スケジュールも動き出す。夏コミの申し込みも終え、そろそろ全国各地でちょっとずつ重い腰を上げるサークル主が増える季節ではないだろうか。具体的な作業自体はもうちょっと先でもいいけど、企画だったり何を作るかくらいは決めようかと思慮し始める時期かと思う。みんな始動ってどうなんだろう。僕が単に心配性なのか、それとも逆にむしろ遅いといわれるのか。
まぁ、何はともあれこんな記事をわざわざ書こうしている時点で、 僕自身そういう段階でもぞもぞ動いていることが容易にバレるし、 むしろハウツー記事と見せかけながら自分へ言い聞かせてるだけの話なのがやらしい。「どう維持するか」を提示するのでなく、ただただ自分に問いかけている。何人かそれに釣られればいいなとも思っている。質が悪い。話を戻すが僕の場合、新刊を発売する場所がコミケくらいなものなので、年二回。夏冬と定期的にやってくるこの趣味的課題に対して、 しっかりとまた向き合わねばならないのである。
楽しみな反面、締切を考えると憂鬱になるのも致し方ない。こういう悩みというか葛藤というのは、恐らく同人誌だったり、コスプレの衣装製作だったり、モノづくり全般を趣味とした事のある人なら分かるだろうが、作っていない人にはまるで伝わらないことがある。「何で趣味で悩んでるの?」という風に聴かれる事がままあったりする。「だって、好きでやってるんでしょ?」と言われると頷かざるを得ない。 自分が作りたいからやっている、確かにそれ以上でも以下でもない。
ただ結構この「趣味」という言葉も難儀である。先日も 某氏とざっくりこんな話をしたのだけれど 恐らくこういう「好きな事なのになんで悩むの」って安易に聴いてくる系の人は 「遊び」と「趣味」を混同させていてる気がする。こう言うと「舐めんな同人稼業は遊びじゃねえ!!」という 無駄に意識の高いクソ面倒なヤツぽいのだけれど、いやなんていうか、うんでも「趣味」と「遊び」は別だと思う。その差を簡単に言えば、まさにそのままなのだけれど、 ストレスの有無の差だ。具体的に言えば目標を掲げそれに対し実行するかどうか。 話はそれに尽きる。
僕の場合は、現在評論雑誌をひとりでエンヤコラエンヤコラと作っている。テーマを決めて色んな人に協力を仰ぎ対談からコメントを頂きそれをまとめて1冊にしている。それだけでも、次で6冊目となる。早いものだ。
(既刊こっから見れます。)
正直言えば、していることのほとんどは営業の仕事に近い。アポイントを取って、事前のコンセプト等を伝え、場所を押さえて話を聴き、録音から文書に起す。それを編集してデザイン考えてレイアウトをして、印刷にかけて製本してもらう。んで宣伝どうしよとか考えつつ、アルファに媚売りしながら販売をするという感じだ。
今、ふと自分のやっている事を並べてみたけど、本当にただの仕事じゃねえかとかツッコミたくなる。また同人誌としてマンガを描く人も大変だ。不思議なもので、好きなことでも、作業がある一定量嵩むと人はストレスを抱きだす。個人差はあれど、本として形にしようと思ったら多分「落書き」の域を越すストレスと最低一度は向き合うことになるだろう。サークル主がそれら「サボロー」からの誘いを乗り越えて、ようやくそれぞれの本になっている。是非、薄い本を購入する際には、そんな裏舞台を想像しながら買えば、使う際、一度のシコにもより自分の感情が移入できるのではないだろうか。
何にせよ、同人作家始めモノづくりに主体的に励む人には「趣味だから」「仕事じゃないから」やらない、という言い訳の壁を乗り越え、ストレスに打ち勝つだけの何かがあるということだ。
その何かとは何か。個人的な意見になってしまうが、やはり自分の中に作る価値を見出せるか否かによってくるのだろう。このように書いてしまえばあっけないほど、当然の帰結なのだけど、それぞれが自分の創作に程度の差はあれど自信はもっており、それを表出する事に価値があると信じている。だからこそ、作業量に打ち勝てるし、最終的に仕上がった瞬間や、それが人の手に渡った際には苦労を蹴散らすだけの楽しさをそこに見出すことが出来るわけだ。
今現状も僕はそこの段階をぐるぐる行ったり来たりしている。夏コミに向けてはある程度、企画は固まりつつあり、その上で「今回本を作る意義」を自分に改めて問いかけている。確かに仕事じゃない。やる義務はない。ただ、だからこそ、やりたい、あるいは自分がやるべきと思うことをする。そういう姿勢を持ち続けなければ創作など出来るわけもないし、心だって折れてしまう。
ただ、逆に「こういう事がやってみたい」と一度思ってしまった人間にとっては、やらなければそれはそれで心が持たない。日々の仕事に従事しているだけでは、なんていうか気が狂いそうにもなる。恐らく、本来趣味というものは、仕事ではなく、そうした根底の自分の意思を吐き出す作業のように思える。
そこには気晴らしという意味でのレクリエーションとは違った一面がきっとそこにはある。同人活動が趣味、と自分で言ってしまうとふとそこに「俺なんでこんなことしてるんだろう」と疑問に思う事があるかもしれないが、そこは言葉を区別すべきなのだ。結局、無駄に熱いことばっかし言って、あまり意味もない気がするけれども、遊びと趣味。その差を理解する事できっと、創作意欲というモノも多少は各々の中で維持できる言い分が立つのではないかと、そんなことをぼんやりと思った。