わがはじ!

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『少女☆歌劇レヴュースタァライト』は百合で構成された『マッドマックス』ではないか

まさかこの1週間でハマるとは。全く放映当時も視聴していなかった僕が、熱量、狂気、リバイバル上映を見てきた勢いだけでこれを書き出している。この話、本作を見ている人にしか伝わらない話になるだろうから、あらすじの話は割愛する。ご了承いただきたい。

 

つい先日、オモコロチャンネル「好きなアニメ映画を語ろう」という企画内、ダ・ヴィンチ恐山氏が本作を紹介していたのを見たのがきっかけだった。

 

その中で恐山氏も言っていたのだが、この作品のファンはとかく圧が強く(印象論)「TVシリーズ12話見ていなくてもいいから、とりあえず劇場版は見に行け」と言われたという。確か、同様の発言をTwitter他各所で僕も見かけた気がする。そういう強火なオタクがいると、逆に足踏みしてしまう質なので、上映当時は結局見にいかいなかったという記憶が残っている。

 

どうも今年で劇場版上映からちょうど3年が経つらしく、その記念という事でYoutubeに劇場版フルサイズが上がっていた。作業中のながら見に丁度いいか、とふと流す事にした。

 

すぐさまそれが失敗だと気づく。流し見に向いている作品ではなかった。冒頭からよそ見など許すものかという作品のテンションに襲われる。トマトははじけ飛び、電車は変形、キリンは煽り、歌い、斬撃、血しぶき…俺は一体何を見させられているんだと混乱しながら、作業は全く捗らず。気づいたら、中盤以降、自分でも何故流れてくるか分からない涙に困惑しながらも視聴。一種のカルチャーショックを受けた。

 

一体、なんだったんだこの体験は…PC画面で既にこの衝撃なのだから、劇場で見たら尚のことだったのだろう…とTwitterにそのあらましを書き、感慨に耽っていると、すぐさま有志から「リバイバル上映しますよ」とのリプライ。

 

調べると全国のイオンシネマ限定、しかも1日一回上映、1週間限定という中々にハードな縛りプレイではあったが、この体験の機会は逃すまいと予約を決意。更に、その前にTVシリーズは押さえたいと思い、有給を取得し全話視聴した。

 

劇場版に比べTVシリーズは比較的マトモな世界線なのでは、と思いきや、やはり闘っていた。闇のデュエルさながら、自らのきらめきを賭け、オーディションと称して舞台少女たちがトップスタァを目指し、バチバチにすれ違い、諍い、やはり絆を育んでいた。飽きることなく12話視聴してしまった。

 

そして今日。そこまで大規模な上映館ではなかったものの、実際に映画館でこの『少女☆歌劇レヴュースタァライト』を見る事が出来た。

 

やはり当初Youtubeで見た時よりも、TVシリーズの知識が加わっていたり、何なら二度目の視聴ということで、作品への解像度が上がり、随所のモチーフに対する解釈にも頭が回るようになっていたのは確か。本作は文字から背景からギミックの配置が細かいため、恐らく多くのファンが様々な演出に対して解釈論を既に繰り広げている事が想像できる。

 

しかし、逆にだ。多くのギミックがある事は理解しながら、この作品を語るのに、何か解釈論がいちいち要るだろうか、というのが今日の僕の本旨。TVアニメシリーズから含めてだけれども、この作品において語られているストーリーは「国内トップの舞台人材育成高校、主要生徒9名の人間関係の構築、と将来の道の決定」というザ・シンプルかつ王道青春モノ。

 

その話の筋に対して、心象風景が舞台装置化された固有結界バトルものとして描き、その争いの中で二人は邂逅し、お互いに理解を深める。ただただ、それを繰り返しているだけなのだ。主軸は、主人公である愛城華恋と神楽ひかり、幼馴染である二人が5歳の時に交わした約束を踏まえて、自分の将来をどう選び取るかというもの。それ以外も、それぞれ対となるキャラ同士、その因縁とお互いの思いを「舞台」においてぶつけ合う。

 

この作品を見ていると、人間関係の本質とは、やはり闘争なのかもしれず、そして人はどこかでその闘争を求めているのかもしれないと感じる。我々は普段、生活の場で本音を曝け出すことは多くない。心から誰かと胸の内を共有する事は、関係破綻のリスクにもなりうる。そんな闘争みたいなことばかりしていたら、実社会でやっていけないのが現実だ。

 

だからこそ、創作あるいは稀に現実においても、本当に大切な関係同士、そうした思いを曝け出し、すれ違い、諍い、結果、互いの内心を共有する美しさは人を惹きつける。そしてあのキリンのように、我々オタク(観客)も、それを求めてしまう。この『レヴュースタァライト』を楽しむということは、歌劇に詰め込み、演劇に昇華された「二人の美しい未来への邂逅」を眺めることに他ならない。

 

複雑な展開、ストーリーや突飛な仕掛けがある為、面食らうのだが、やっていることはオタクが好きな事を煮詰めて、煮詰めてそれだけに特化させた、超一点突破型王道エンターテインメントであると思う。だからこそ、様々な演出はあれども、舞台少女たちの気概に心打たれるし、この作品が提示する感動には普遍性がある。多くのオタクが「劇場版から見ても問題ない」と紹介するのも、この普遍性が担保しているのだと個人的に思う。

 

そして、こんな普遍性に溢れた、言ってしまえば陳腐なテーマであるにも関わらず、圧倒的なギミックと演出で、何度でも見たくなるような作品になっている事は純粋に驚きだった。愛城華恋のレビューに再三登場する「アタシ再生産」というワードも、物語上では「過去の約束に対する自分の迷いから立ち直る過程」とめちゃくちゃ普通の事を言っているはずなのに、ロゴや言葉が強すぎて陳腐さを消し飛ばしている。

 

ここまで書いて思ったのが、どシンプルな普遍性・陳腐性を持ったストーリーに対して、一点突破、ギミックと画の強さで勢いてぶっちぎる。この在り方は『マッドマックス怒りのデスロード』ではないかということだ。水や石油を奪い合うという超分かりやすい展開ながら、欲求現実社会で決して我々が成就出来ない根源的な衝動(V8気筒で荒野を駆ける、爆音でギターを鳴らす乗り物を作る他)を、映画装置という暴力的な演出で可能にしていく、その構造自体はかなり隣接しているものと僕は思う。思ってるだけである。

 

本当に勢いだけで文字を書くとよくないなと自分でも思うのだけれど、これはあくまでも褒めている、なんならめちゃくちゃ好きだからこその言い回しであることをご理解頂きたい。『レヴュースタァライト』と『マッドマックス』がお隣さん、というのは極論というか暴論なのかもしれないが、考えれば考えるほどにシンプル、それでも映画として提供している世界が緻密、このコントラストこそ、本作やこの手の「一点突破」モノの根源的な魅力であるとふと思った次第。気づいたら結構文字数書いてしまった。

 

『レビュースタァライト』については、本当に一週間前からコンテンツに触れているので、ここで色々語ること自体、古参の皆さんを前にしたら烏滸がましいことこの上ないのだけれど、まぁ世迷い事ということで許して欲しい。何かについて語ると、ふと調子に乗ってしまう。また、改めてアマプラ辺りで見返してみたい。いやぁ、めちゃくちゃ面白かった。

 

面白いので、是非、にわかの僕からもおススメです。