わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

「何者にもなれない」の「何者」について考える

またもや呆けていたら、文章が書けなくなっていた。夏コミの原稿に向けて、文章を書くリハビリをせねばなるまいと書き出している次第。

 

そんなリハビリがてらということで。しばらく特段お堅いテーマを設けず、エッセイ的に多少短い文章を書いてみたい。というのも、先日、文学フリマに行って、何の気なくエッセイ作品をいくつか買って読み、結果それらに影響を受けたというのが分かりやすい理由である。

 

エッセイが面白く書ける人は、そのまま人生が面白い人の事を指す。となれば、そこら中にそんな人がいてたまるか、という話であり、文学フリマで買ったそれらエッセイ集は、失礼な話ではあるが、確かに「めちゃくちゃ面白い!」と言えるものでもなかった。ただ、それでもやはりそれぞれの作品が筆者の人生を端的に表していて、興味深いのは間違いなかった。

 

過去に僕もエッセイっぽい文章を書く際に「面白く書かねば」と肩肘張ってみたりしたが、それは実際の出来事に対して話を盛る事に他ならない。一度書けても、なんだか話はちぐはぐだし、継続など出来るはずもない。今回購入したエッセイ各作品は、実に自然に、とりとめもない内省を書き記すことで本を成り立たせていたように思う。そして、そんな自然体の文章だからこそ、僕自身もそれを読み切れてしまった。

 

 

自然体のエッセイ、これが僕には難しい。前々から、見てくれる人に対して面白いものを提供せねば、創作の意味はない!みたいな強火の思想が僕にはある。そこから延長して何の気ない日頃の会話一つにしても、会話相手が楽しめるようにせねば、という良く言えばサービス精神、悪く言えば強迫観念みたいなものが存在している。要するに「外面を気にする根性」みたいなものだろう。

 

性格診断テスト風に言えば「周りの人が楽しんでいれば自分も嬉しい」というタイプである。これはこれで悪いものでもないと思う。ただ、この発想は多少の生きづらさを抱えることになる。そうした自戒のもと、ここでタイトルにもある「何者にもなれない人生」というキーワードに触れてみることにする。

 

ネットでもよく聞く「何者にもなれない」という言葉。人生を歩む中で、肩書だったり、偉業を成し遂げることで、大きく言えば歴史上名を残すような人になった人間もいる。その反面、何を成し遂げるわけでもなく、普通に暮らす市井の人もいる。後者の人生の中で「俺はこれでいいのか」と内省する中で沸いてくる焦り、後悔、妬みが混ざった感情が「何者にもなれない」という発想のように思う。

 

特にこの「何者」というのが厄介な概念で、実に曖昧だ。実際、自分が何を成し遂げれば「何者かになった」と自覚できるのだろうという話だ。そりゃ大谷翔平みたいな分かりやすい例もあれば、学校では皆勤賞とか、自治体の書道コンクールで上位入賞みたいなことだって「何者」の要素ではある。先に結論を言えば、身の丈に合った自意識こそが正義だし、皆が皆「元々特別なオンリーワン」と歌って納得出来れば、世の中の多くの人間はこんなことで悩んではいない。

 

そう言う僕自身も、この「何者かにならねば」という焦燥を長い事抱えている。気づけばアラフォーになり、このまま何者にもなれず、人生を終えるのだろうな、という卑屈たっぷりな諦観がいつも脳裏に過っている。拗らせずに生きていければ、と思うのだけれど、自分の意思で拗れを選んでいる訳でもなく、そういう生き方なのだからもう仕方なかったりする。

 

ただ、この「何者」を解きほぐすヒントこそ、冒頭から触れてきた、文学フリマで買った自然体で書かれたエッセイ集にあるような気がしている。

 

やはり僕始め、こうした「何者」で悩む人というのは、他者の視線ということを強く意識している人なのではないかと思う。賞賛であったり、承認であったり、自分が何を成したか以上に「どれほどのリアクションがあったか」「どれだけのいいね!を得たか」で「何者」を定義づけている人は案外多い。

 

「自分が楽しいよりも、他者が喜んでいることが嬉しい。」一見すると美徳のようにも映るのだけれど、ことモノを作る人間にとっては評価至上主義に陥りやすい状況ともいえる。どれだけ自信のある作品でも、評価されなければゴミと同じ。この手の卑下は僕もよくやるので馴染みの感情なのだけれど、やはりそうではない、と改めて信じたい。

 

「何者か」なんていう実態のない他者の賞賛やステータスより、自分の自然体から発せらる言葉や言動、創作や作品。こういうモノを大切にしなければ、自分のオリジナルすら分からなくなってくる。自分が本当は「何者だったのか」すら朧げになってしまう。何かもっと、文章にしろ、創作にしろ、自分本位で、気楽な姿勢で色々な事に向かい合うべきだなと。

 

ふとこうした自然体でいることの重要さ、「何者」に縛られずに創作を続ける気概みたいなものを、素敵な作品を読むことで感じた内省を文字にしてみました。

 

今回読ませて頂いた作品は下記の通り。それぞれの感想はTwitterで改めて。

 

躁うつ病患者の遭難日誌 ぼくの700日の記録』カラムーチョ伊地知さん

『水晶体にうつる記憶』小林ひかりさん

 

またここでもぼちぼち続けていきたいと思います。