わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

オカルトに対する根暗な内省

同人誌が完成したのだから、早い所その宣伝記事でも書けばいい所、まるで関係のない内省を書き出してしまう。というのも、この夏コミ同人誌作業中。例年とは異なる事が起きた。

 

わざわざ溜めて言う事でもないが、オカルト関連の動画をBGMとして流す習慣がついてしまったのだった。僕自身、元々この手のコンテンツは嫌いではない。ただ、小さな頃から結構な怖がりなので、そういうものを見た後というのは、部屋の至る所に気配を勝手に感じ取ってしまい、一生ビビることになる。

 

端的に言えば、日常生活においてデバフを喰らっている状態に等しい。これまでは、生きていく上で自らそんなデバフを貰いに行くことはない、という思いからオカルトやらホラーにはなるべく触れないようにしてきた。

 

触れないようにしてきたのだけれど、ちょっとした気の迷いから、少しだけ、とYoutubeで覗いてしまう。そうすると、奴らは一度覗いたが最後「貴方、こういうのお好きなんですね」と一方的にリコメンド動画を提示しまくってくる。油断も隙もない。

 

各種ホラーモキュメンタリー作品(本当に最近のものはよく出来ている)から、都市伝説の検証、心霊スポット探報、2ch洒落怖スレのまとめ…とキリがない。そして、ダメだと分かっていても、つい見てしまう。

 

では、そうした恐怖心を乗り越えられたのか、と問われれば、克服など出来ているはずもなく、案の定デバフはしっかりとかかっている。部屋で一人作業をしていても視点の隅が気になる。自分のいない部屋の状況が気になる。ふと出かけた嫁の安否をやけに気にする、など散々な目に遭っている。やめておけばよかったと半分後悔している次第。

 

それでも、なんとなくこの年齢になり、そうしたコンテンツ群を摂取する事で得られる感情に多少の変化を感じているのも正直なところ。色々な人生経験を経て、また自分自身が相当落ち込んで悩んだ後だからこそだろうか、そこまでホラー的世界観が日常から離れた異質なものにも思えなくなってきている心地もある。

 

というのも、煎じて仕舞えばホラーを見て至る感情というのは、死ぬことに対する恐怖感の最大化とも言える。分かりやすいのは「これを見たら死ぬ」とか「自殺者が多発する」とか、よく分からんがお前死ぬぞという、そうした感情を煽られるわけだ。

 

ところが、年齢もアラフォーとなり、自分や自分の周辺で死を意識する事が増えてくる。全然ホラーでもなんでもない理由で、人は死んでいく。病気で、酔っ払ってコケて、老衰で。そればかりは、霊を信じる信じないに関わらず、全人類にとっての確定事項である。いずれかの理由によって人生は必ず終わるのだ。寧ろそれが常態なのであり、なんだか夢がないとも言える。

 

学校の怪談など、小学生や学生の間でこうした怪談が広まりやすいのも、未だ死に対する具体的なイメージがつかないからこそだろう。そして「帰って来れなくなる」といったタイプのオチが大量に溢れるわけで、死が日常と乖離されているからこその現象ではないかと思われる。

 

一時期自分自身も、アラフォーに差し掛かって相当精神が参ってしまった時期があり、Amazonのおススメに「首吊りロープ」なんてものが日用品と共にサジェストされたときには、逆に笑ってしまった。ここまで日常に馴染む形で「死」が食い込んでくるものなのだなと、不思議な感慨を得たのだった。

 

そういう夢のない、当たり障りのない人生の終わりに対して、ホラーはある種、理不尽なまでに物語性を付与してくれる。呪いだとか、祟りといった人間の意志をそこに無理やり見出すことで、死ぬこと自体に意味を与えてくれるようだ。だからこそ人は怖がりながらも、ホラーやオカルトに手を出すのではないか。そこにある感情は、寧ろスリルを通して、安心感を得たいというアンビバレントなものではないかとも思う。

 

恐怖感と安心感。相反するようでいながら、それは恐らく対になるものだろう。例えば、漏らしそうになって、街中でトイレを見つけて無事に事を済ませた瞬間が分かりやすい。あれほど、生きているという実感を手軽に得られる瞬間も珍しい。徐々に歳を取るごと、恐怖を感じるリスク以上に、死に意味を感じたいという欲が増してきたと言えるのかもしれない。それほど、死が無味乾燥なものに思えてきたとも言える。

 

年齢の変化によって、摂取するコンテンツも変わる。僕がホラーに対して心惹かれ始めたのも恐らく、そうした死にとの距離が近づいてきた証拠だったりするのだろう。もう少し、せめて夢のあるような恐怖体験を想像させてくれてもいいのでは、という懇願に近い。

 

ミドルエイジクライシス、日本語で言えば「中年の危機」という身も蓋もない精神状況下、若さは戻らず、そして行く末は見えず。そんな未来に対して、希望は持てなくてもいいから、せめて非現実的な夢くらいは見せてくれ、という願いがこのごろの嗜好の変化に影響しているのでは、という独り言。

 

こう日々暑いと、少しくらいは涼むきっかけにもなってくれればいいのだけれど、いかんせん気候の方が強そう。こういうオカルトコンテンツで多少なりとも涼を取りたいそんな日々でした。