出展:Book on Book | AssistOn より アクリル製の本カバーですって。なんだかかわいいよね。
なんだかそんな気分なので結構、普通の話をしようと思う。
・空気を読むことで僕らは何を得てるのか
近年の日本人にとって「空気を読む」
それを現代風に言えば「空気を読む」ということなのだろう。言葉としてキャッチーだし広まったのも納得できる。ただ、どうも言葉の大綱は先ほどの「和を以て」と同じでも、そのニュアンスには変化が生じている感覚を抱く。
この社会になじめないおかしいヤツは排除されてしかるべき。ちょっとコミュニケーションに難がある人はちょっとね。などなど。宗教心以上に道徳心がしっかりと根付くこの国では、
・いや空気読んでるだけじゃ、失うものもあるよね
そんな反面。最近小生も日本語ラップを聴き始めたわけだが、最近『フリースタイルダンジョン』の効果もありスマッシュヒットとなったR-
「
空気を読むことで、
余談だがこの前、本当に渋谷の居酒屋で飲んでる大学生たちが「山手線ゲーム」をしていた。もちろんというか想像の通り罰ゲームは一気飲み。そして飛び交うコールと「ウェーイ」の声。「あ、本当にこういう人たちいるんだ・・・」と八王子という都心より3度気温が低い山奥で大学時代をひっそり過ごした小生としては、ちょっとしたカルチャーショックを受けたりもしたわけだ。正直、例示としては極端ではあるが「ノリが悪いと場の空気が変な感じになる」というような飲み会的圧力を感じたことがある人の方が多いことだろう。
また、この「空気」の存在は国内だけに限った話でない。今回の米大統領選のトランプ氏の当選というのは、
・誰のために「空気を読む」のか
それでは、社会にとって和を乱すKY勢が悪いのか、
ふと、ぼんやり遠大な考え事をしている折に日常の仕事において今回の記事を書くきっかけとなる出来事があった。業務中、突然会社でも上の上の上くらいの上長から呼び出された。普段そんなこともないのに、なんのこっちゃ。んー、怒られることしたっけなと面談ブースに顔を出してみるとこんなことを言われる。
「いやぁ、なんかお前のところの部署、空気悪い気がしてさ。大丈夫かなと思って。」
何の気ない一言でハッとする。あぁ、本当の空気を読むということはこういう事なんだなと改めて実感した。僕らは普通「空気を読む」という言葉を使う際、どちらかといえば自分を守っていることが多いのだ。気づいても素知らぬふりをする、何かを思っても言わない、とかく差し障りを作らない。まさに「出る杭打たれる」のを恐れるからこそ「空気を読む」ケースはおおいにある。
でも、そこに流れているダメな空気をしっかりと読んで、誰かの為に声をかける。アクションを起こす。これが本当の空気を読む目的なんだと、その時実感した。僕自身、その一言にかなり助けられたし、場の雰囲気に流れている文脈をちゃんと読める人がいるということに強い安心感を覚えた。エゴからでなく、誰かを気遣う為に空気を読む、それが一番今求められる「空気の読み方」なのではないかと強く思ったのである。
例えばちょっと大きな話にするが、児童虐待の現場だってそうだろう。大抵児童相談所が入ったところで親は否定する。しかし家庭に流れている明らかに悪い空気は存在している。学校のいじめだって同様だし、仕事内組織の不和でも結局根は同じだ。家族が、社会があるところ雰囲気があり、それを司る立場であれば即座にそれを読まなければならない。そして、保身でなしに。そこにいる人を救うために一言を発する。
今回、上司は何気ない一言を言ったつもりかもしれない。ただ、その空気が読めて、誰かに対して一言かけられるということは、そこに全くこれまでと違う空気を作り出す一助となる。少なくとも僕はそう感じた。
戦後以降、成長を止めた日本。そんな中で保身の為だけに、または事なかれを持続する為に、享楽的な今を失わない為に、そんな読み合いを続けているうちに、思わぬカウンターに足をすくわれるだろう。そろそろ、個人主義的に自分の場所を守るだけの空気の読みあいではなく、他者の為に空気を読む、そして行動するということを考える必要があるのかもしれない。