わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

コミケの一般参加から学ぶこと

年が明けてしまった。

あけましておめでとうございます、今年もよろしく。

 

年始めはまた性懲りもなく、今年はどう生きていくべきか見たいな感傷に浸っているわけだけれども、こういう積み重ねをしていかないと人は本当に何もすることなく生きていってしまう。年齢を重ねるごとに、人は何事もなくとも生きていける、という恐ろしい事実に気づかされつつある。今回はそんな自分を叱咤する話でも。

 

先日、コミックマーケット105、いわゆる冬コミが開催された。初めてリストバンドを購入して、相当久しぶりに一般参加をした。ここ10年以上は、自分で同人誌を継続して出し続けていた為、普通に買い物だけしに行くというのも新鮮な体験だった。

 

10時半ごろ、東駐車場列に並び、入場のタイミングを1時間半ほど待つ。延々終わる事がないような人の列を見て、改めてコミケにはこんなに人が参加している事を改めて実感するし、この人数が自分の欲望を叶える為(本やらを入手する為)に、この列に並んでいるのだと考えると、人間が持つエネルギーみたいなものを味わえた気がする。

 

そうこうしているうちに入場。人の多さに圧倒されながらも、事前にチェックしていたサークルを出来る限り手早く回る。昔から感じていたことだが、スペースとスペースを巡っているあの時間は、やはり楽しい。自分が欲しいと思う本のことしか考えていないし、それをいかに最短で購入して回るか、売り切れていないだろうかと不安に駆られながら彷徨う、あのスリリングな体験は他に代えがたい。

 

気づけば、大量に両替してあったはずの1000円札が消失しており、代わりに、自らの手に抱えられている本の量に驚く。

 

アラフォーになり欲全般が減少してきて久しい、といいながら、やはりこういう作者の熱が直接伝わってくるような同人誌については、食指が動いてしまう。参加者ひとりひとり「自分が作る」と思い立たなければこの世に生を受けない創作物は、それ自体が美しいものだと思う。

 

それは売れていようが、認知されなかろうが、あまり関係はない。そこに生み出されたということが重要なのだ。

 

確かに、1日で15万人が来場するマンモスイベントで、例えば1部しか売れなかったという事実は自分を叩きのめすのには充分な情報であり、仮に自分がそういう体験をしたらめちゃくちゃ凹むだろう。もう二度とやるか、なんて考えるかもしれない。毎年、そんな匿名ブログを読むこともある。ただ、こう自然体で、一般参加という立場でコミケに来ると、それはまた別の話のように思う。やはり机に自分の頒布物を並べて、何かを作ってきたという事は誇らしいことなのだ。

 

長らく自分のサークルを出す側になっていたので、延々本を出すことに対して自己嫌悪に苛まれていたような気がする。本を作った所で売れる部数はたかが知れており、その宣伝をしようにもSNSプラットフォームは無力な存在と化している。そもそもこんな年齢にもなり、自らの主張を展開することに何の価値があるというのだろうか、というマイナス思考が渦巻いていたのがここ数年といったころ。

 

そういう時の処方として、今回の一般参加は結構効いた気がする。つまり視点を変えるということだ。自分が購入する側に立って、スペースを眺めるとやはり、なんであったとしても自分の店を構え、ファイティングポーズを取っていることは尊敬に値する。それを純粋に自分に置き換えればいいだけの話である。何であってもいいから創作を続けること。意味や価値、頒布数や利益といった生産的な言葉の数々に翻弄されることなく、ただただ自分自身が誇らしいと思う事をする。

 

僕の性格としても何か、決まったことを根詰めてやる、というのは昔から向いていないようで。特に双極性障害の人はそういう気質があるらしい。であれば、今やりたいと感じた事を少しずつでも齧って、ちゃんと自分自身に誇る事が出来るような中途半端さを保ち続けようと思う。

 

純然たる、ただの新年自己啓発文章で申し訳ない。

 

世の中、そうそう毎日何か面白い事があるわけでもないのだが、今年についても地に足付けて、ブログに絵に同人誌に、作曲にと、自分のために創作を続けていければよいなと思う。また、そういう気持ちを人と共有していければこの上ない。

 

そんな1年にしていきたい。