わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

僕と秋葉原とフェチと(夏コミ新刊編集後々記)

もう気づけば夏コミである。そして心配されていた天候も、さすがは米やんといったところか。直撃コースの台風も何とか逸れていき、ボランティアの皆様に至っては、もう昨日となってしまった9日の設営日も比較的よい天候の中で作業できたのではないだろうか。本当にお疲れさまです。

 

さて。相も変わらず弊サークルでは、来る3日目、12日(日)に新刊を携えて、当ブログと同名「わがはじ!」というサークルにて参加をする予定である。遊びに来てね。 

 

今回の記事はその新刊の編集後記の更に後記だ。何をそんなまどろっこしいことしているのかといえば、同人誌を自分で手売りしていると、案外奥付だったり編集後記から本を読みだす人がいる。なんていうか、こちらとしたらちょっと恥ずかしいのである。あのね、編集後記なんてものは、本文を必死に作ってから、ちょっと自分への「お疲れ様、大変だったね」って意味も込めつつ書いてたりするわけ。その文章先に読んで・・・しかも、目の前で鼻で笑ってるし。ということで、そんな「人の編集後記先に読んでしまう」系の不届き者対策のために、更に先回りをして、編集後々記をここに書いてしまおうという魂胆である。面倒な性格である。

 

特に今回、秋葉原特集ということで。すべての作業を終えてみると自分でも驚くほど、固めな一冊となった。7人との対談、1人からの寄稿、そして僕自身も3本コラム。何せ下ネタがない。多分親にも見せられるレベルだろう。すでに上司にも売ったし。

 

元来僕自身が秋葉原に抱いている感情というのはそんな「キチンと語れる」ものばかりではない。ただ、それを書いてしまうと今回の本では浮いてしまうというか、一貫性が保てなくなってしまう恐れもあったので、ここに書くことにしてみる。秋葉原という街が、改めて僕にとってどういう街なのか。それを踏まえたうえで、新刊を手に取ってもらうのも悪くない導入になると思った。

 

・性の目覚めと秋葉原

僕自身、秋葉原に対する元体験は幼少に遡る。小さな頃から電気街を親父と歩き回り、休日には交通博物館に連れていけとせがみ倒し、また格ゲー全盛の頃には100円もらっては最新のアーケード機に触れたり。恐らく今30前後の世代で秋葉原に思い入れがある人というのは、こうした幼少の思い出だったり、また現在にも繋がる「オタク文化の聖地」として、秋葉原を見ている人が多いのではないだろうか。

 

勿論、僕も同様だ。その前の世代なら電気街、そしてその後のオタク街。そんなアキバに対するイメージというものは多くの人に強く印象付けられている。しかしながら、僕が本心から秋葉原に抱いている感情というのは、また更に少しネジ曲がったものがある。

 

都度、過去の同人誌やら、このブログでも語っている通り。僕には大きなコンプレックスがいくつかある。そのうちのひとつが性癖、フェティシズムだ。普段からツイッターでももはや開き直った物言いをしているので、あえてコンプレックスと書くと違和感を受けられそうなものだが、誤解を解く為にもはっきり言ってしまおう。長年、僕はこのよくわからない性と結び付く謎の欲求あるいは衝動に、強い戸惑いを感じていた。

 

その幼少から感じてきた衝動、あるいは周囲との違和感。そうした負の感情がこれまで「フェチ」を考える同人誌を作り続けてきた原動力であったといっても言い過ぎではない。そして、今回の夏の新刊。秋葉原特集では、そうした色合いはまず読み取れないはずだ。本としての一貫性を保つ為に、極力そうした要素は排した。

 

それでも、僕にとって「フェチ」と「秋葉原」の間に繋がりがない訳ではない。むしろ、逆に今回の企画を立ち上げた感情の中核部にあるものだ。

 

どういうことかと言えば。多少自分語りになる。下世話な話なのだけども、僕は精通が相当に遅かった。性的知識をちゃんと得たのも高校3年ほどだろうか。今思うと、よくそんな知識で生きていたなと思うのだけど。学生時代には表面上の友人はいても、あまり腹を割って話せる間柄でもなかったということだろう。また狭小住宅住まい、自分の部屋もなし。比較的お堅い家の空気の中、そもそも捻れていたと思われる性癖がそうした環境要因も相まって余計に歪むことになる。

 

長いこと「井の中の蛙」だった僕が急いで世間様のエロ本やAVに触れてみれば、全く反応しない。唯一興奮するのは、その中でも特殊と言われるモノばかり。僕はとても焦ったのだ。こんな事人に言えるはずがない。まず一般的と言われるエロにまるで興味が沸かず、案の定レズものとかSMとか女装だとか着ぐるみだとか、その他諸々現在のような面白性癖を抱いて生活する羽目となった。

 

学生の時分。僕はこうしたフェチの自覚や悩みを誰にも打ち明けられなかった。そもそもイジられ体質である僕がこのような自分の癖をカムアウトしたところで、いいことがあるとは到底思えなかった。ただ、どうしたって、鬱屈とした感情はしこりとなって残り続ける。そんな感情の行き着いた先が、2000年代初頭の秋葉原という街だった。まだ再開発までも時間があり、同人ブームにわいていた時分だったろう。各所に怪しい書店やら、それを取り巻く謎の店がテナントを埋めていた。

 

高校卒業ほどだろうか。18歳にもなったということで、ひとつ僕は秋葉原で肝試しをしようと考えた。一人じゃどうも入りづらいテナントの店に、出きる限り足を踏み入れるというチャレンジを敢行した。今から考えれば、さほどたいしたことのない話だが当時で言えば勇気のある行動だった。

 

未だにそのラインナップは覚えている。エムズやブルーキャッツ、サンショップといった特殊アダルトグッズ専門店から、なごみやカルトDといった同人専門店。コスメイトやジュピターといったコスプレ系店舗やブルセラにもほとんど行った。えなじぃ、デジタルウェーブ、着衣済衣料専門店「純」。ロリ系コンテンツで有名だったおいも屋本舗秋葉原駅に看板広告があった気がする。今では考えられない)などなど。それはもう、全てがいかがわしく衝撃的だった。

 

それと同時にすごい嬉しかったのだ。これまで僕が延々内に秘め続けていたどす黒い、決して社会には出していけないものたちが、平然と店舗に並んでいる。そして、そこに買いに来る客も一定層存在して。自分以外にもヤバイ人はいるんだなとそこで初めて知った。親にも友達にも相談できず、こうした変態的な衝動や発想というのは持っているだけでも「死んだほうがマシなのでは」と思い悩んでいた頃。

 

結局、それを「相談」と呼ぶのは多少強引ではあるんだけども、秋葉原という街が、そうした店舗の一つ一つが僕自身の裏側まですべてを受け入れてくれた時の感情は、ただただ安堵感だったようにも思える。僕がいていい街なんだな、と心から感じた。

 

・再開発を終えて、秋葉原という街は

その後も、この街とは長い付き合いにいたり、アルバイトだったり社会人になった今も隣町で働いているわけで、今回の新刊に至るまでその関係性は継続している。ただ、ふと思えば以上挙げた「肝試し」で訪れた店のほとんどは消え去っている。

 

ここのあたりから、今回の新刊の内容にもかかわってくる。それは例えば再開発の影響なのかもしれない。あるいは実小売店舗を脅かすネット通販の普及なのかもしれない。対談の中でも様々な意見が飛び交った。僕にとっては、PCや電気量販店よりも、そうしたアダルトグッズ店や衣類店、裏モノビデオ屋など、そうした店舗がなくなっていくことはとてもさみしいことだった。僕を受け入れてくれた、あの気味悪さがなくなっていく。正直幻滅もしていた。

 

ただ、だからこそもう一度、今秋葉原ってどういう街なんだろうかと問い直したくなった。僕が過去に救われた場所だったからこそ「幻滅」で終わるのでなしに、色んな人の話を聞きながら、そして過去を調べながら文字に起こした。当然、詰まらなくなったと吐き捨て「アキバ」から去ることもできる。それでも尚、また何かが起こるのではないかという「期待感」と、まさに今起こっている小売り店舗のシュリンクといった「リアル」をぶつけて、何が見えるんだろうと試したくなったのだ。

 

先に言っておけば、この本に「秋葉原の未来はこうだ」などと特段答えがあるわけでもない。当然のことだ。どこでもそうだが、街の未来など誰が正確に把握できよう。ましてや秋葉原という入り組んだ土地において、それが可能な主体などそうはいない。しかし、アキバに肩入れする人なら誰しも秋葉原に何かしらのロマンを抱いていたりする。僕の場合は前段の下世話な話なのだけれども。そうしたロマンやストーリーというものが、きっとまた一つ一つ街の色になり、顔となるのだろう。そんな示唆だけでも読んだ人に届けることができたのなら、今回の本は成功だったのではないかと思う。

 

ということで、ちょっとお酒も入れながら好き勝手書いてしまったわけだけれども。また実際に手にとってみて、どんな本なのか見てもらえれば幸いです。

 

またメロンブックスさんにて既刊の電子化も徐々に進めております。当日は過去既刊を見本として全部持っていきますので、試し読みだけでもという人でも遊びに来てやってください。もちろん、在庫あれば購入も可能です。

www.melonbooks.co.jp

 

ということで、これからいよいよ熱い夏コミ3日間が開催。個人的に参加は3日目だけになりそうですが、酷暑に気を付けながら今年も楽しい3日間にしたいですね!まとまってなかったですが、とりあえず今日はそんなところで!