わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

コミケが終わって、コミケが始まる。(告知と内省)

ということで、夏コミお疲れ様でした。来て頂いた方は本当にこのような時勢の中ありがとうございます。御礼ついでにいくつか告知。新刊については、下記の通りBOOTH通販してますので何卒よしなに。

 

加えて、今回もご厚意に甘えて行きつけ飲み屋委託させて頂いております。

秋葉原では「Game Bar A-button」さん。

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中野では「大怪獣サロン」さん。

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それぞれ、ちょっと癖のある飲み屋さんですが新刊並びに既刊も置いていただいておりますので(大怪獣サロンさんへは明日持参する予定)是非、お近くの方は遊びに行ってみてください!

 

また少し趣向が変わりますが、今週19日(金)先月に引き続いておたっきぃ佐々木さんとのトークイベント開催いたします。

まぁ普通に飲み会ですね。ここでも、夏コミ新刊は持参するかと思いますので、お暇な方は遊びに来てね!

 

と、柄にもなく告知を終えた所で、今日は2週続けて、コミケに纏わる湿っぽい話。まあ、このブログでは余り需要など考えずに、独り言を巻き散らかす場所だという事で、多少我慢頂けると幸いです。今週でコミケ進行も終わるから許してね。

 

 

8/13(土)14(日)の2日間に渡り開催された夏のコミケ、とうとうC100が終わってしまった。コロナ渦中の熱狂を振り返りつつ、しぶしぶと現実の生活に戻り、雑然と仕事に向かう。

 

仕事に全く集中できないお盆明けの平日。そんな中僕はと言えば、自分自身に対して完全に呆れていた。こんなはずではない。いつからこのような人間になってしまったのだろうか。何度、自分を叱責したところで、この思考はもはや変わりそうにない。そんな葛藤の一片をここに書き残してみたい。

 

既にこのブログでも感慨を漏らしていた通り、今回は記念すべき100回目のコミケ。他の人にとってもそうであるように、僕も今までのコミケと多少異なる気持ちで臨んだイベントだった。

 

ハッキリと言ってしまえば、僕はこの夏コミが終わったら、完全に同人活動も、コミケ参加も終わりにしようと思っていた。地球は平面であり、その端には滝があると頑なに信じていたあの頃の人たちみたいに、昔からなんとなく「C100の先はない」と、そう信じ込んでいたのだと思う。

 

10数年前ほどだろうか。同世代の友人らと、早朝の東ホール駐車場に並びながら交わした会話が頭を過る。「俺らいつまでコミケに参加してるんだろうな」「さぁ、C100くらいじゃない?」「その時には、俺ら30半ばか。」「そこまで参加したくはないかも」「確かにな」

 

その会話の通り、大方参加していた10人前後のメンバーは絞られていき、結局今の今まで飽きずに有明に集ってしまっているのは、僕含めた2〜3人ほど。

 

何も根拠はない話なのだけれども、10代からコミケに参加して。なんとなくC100を迎えるタイミングというのは「自分自身が大人にならなければならない時」なのだろうと、そう思っていたのだ。年齢の節目とかでなく、僕はそこをひとつの「大人としての区切り」と捉えていた。

 

そして2019年冬。10年近く続けていた同人雑誌シリーズが最終号を迎え、この先どうしようか。なんて考えていたところ、コロナ禍があり、2年に渡ってコミックマーケット自体が開催されなくなってしまった。不謹慎ながら、僕は丁度良かったと思っていた。もうサークル参加する意欲もあまり湧かなくなっていたし、引き際を探っていたのが本音。

 

加えて結婚だったり、仕事も安定してきて、僕もいい大人になったのだから、もう余計な振る舞いは終わらせよう。スクール水着も着なくなって久しい中、この10年以上名乗っている「すくみづ」なんていう馬鹿げたHNにも別れを告げるべきとも思っていたし、そもそも何者でもない人間の創作活動など若さ故の特権じゃないか。と感じるようにもなっていた。

 

せっかくの余暇。仕事でもないのに締め切りに焦り、入稿出来たと思えば、必死にTwitterやウェブ上で事前告知。一つの拡散やリアクションに一喜一憂するのも、いわゆる世間様で言う「大人らしい」態度ではない。

 

だから、この夏コミが最後。C100を迎えたら、僕は大人になって、一区切り付ける。その思いで総集編を作り、在庫も残さない程度の部数に設定。大方、想定通りの頒布実績。あとは周辺に手売りやら、協力頂ける方々に委託をお願いし、全てキレイになったらおしまい。同人誌という趣味も他の趣味同様に楽しかった。それで終わり。

 

以上がちょっと前、具体的には先月終わりくらいまでの思考。

 

それがどうだろうか。まさに今僕は仕事に集中もせず、冬コミの企画に頭を悩ませている。C101の参加申請と白紙のサークルカットを前に、またこの冬コミで一体何を作るべきかで、思考回路が忙しく動く。アホじゃないのか。つい先日まで抱いていたあの感慨は何だったのだ。完全に辞める辞める詐欺じゃねえか。そんな自分をいくら罵倒してみても、バカな下ネタ評論企画ばかりが浮かぶ。こんなん呆れる他ないだろう。

 

自分の中の背反する感情に戸惑う中、ぼんやりとこめかみ辺りから声が聞こえる。「聞きなさい、理性よ」脳内の感情を司っていそうな箇所がまるで歌劇のようなテンションで反駁してくる。多分、病気なのだろう。諦めて耳を傾けてみる。

 

「自分で分からないのであればハッキリ言ってやろう。お前、夏コミがすげえ楽しかったんだろ?自分含め、むしろそれ以上にバカな人間どもが、好き勝手本やらゲーム、音楽、衣装を作り、互いの脳内を曝け出す奇祭が、それに参加することが、久々にクソほど楽しいものだと改めて実感したんじゃねえの。約3年ぶりのコミケに、ただただ興奮を覚えたんだろ、違うか?」

 

思った以上に、ぐうの音も出なかった。

 

感染拡大傾向にあったり、台風が直撃したりと情勢を見れば完全にアゲインストな状況下であったことは確かだった。本当に人が集まるものなのか、そもそも自分自身が参加していいのかという葛藤は先週ここでも書いた通り。

 

それでも、やはり多くの人が集まった。参加者1日8万人辺りだったらしい。全盛からすれば半分前後なのだから盛り上がりに欠けるのかもしれないが、そもそも2年半ぶりにあそこまで多くの人を見た。そして、その中には顔を長いこと見られなかった人も多くいた。まず純粋にそのことが嬉しかった。

加えて、こんなご時世にも関わらず、あれだけの人がバカみたいにモノを作っているという事実に震えた。何年もコミケに通い、既に当たり前になっていた光景も、3年の時を経て再度確かめると全く違うモノに映った。なんだ、俺もまだバカでいいんじゃん。肩から力が抜けた気がした。

 

同人作家にもっとも必要なモノは、狂気だと言う発言をよく見る。それはその通りだと思う。上で掲げた通り、冷静になれば同人活動などコスト過剰の趣味だ。コミケにサークル参加したものの全く売れなかったnoteがバズっていた通り、リターンもどれだけあるか分からないのに、自分の趣味趣向だけで投資をし、殆どの人が赤字に終わる。本当に狂っているとしかいいようがない。

 

でも、狂っていることが許される場所こそがコミケだ。理屈や理性、損得から勘案すれば生まれ得ないモノばかりが並ぶ場所。コスパも悪い、阿保らしい趣味だからこそとことん没頭できる、そんな可能性を久々に身体で実感してしまったというのが今回の敗因。最初から負け戦の感も否めない。

 

面白さってのは、そういう理性でコントロール出来ない所に生じる何かであって、やはりあの場所はそういうモノの吹き溜まりなのだ。そういう場には、まさかと思うような出会いがあるし、何か作らねばと思わせてくれる。正直言って、大人になれない痛々しい人らの集まりではある。でも、痛々しい、恥を晒すことでしか生じ得ないものもある。

 

野放図に、なんでも勢いで出来た頃から歳をとり、少しずつ、そういうバカらしさを敢えて取り込むタイミングに差し掛かっているのかもしれない。ふと、そんな事を教わった今回のコミケ

 

入場だとか規制に関して、ネットを見れば様々な反省点やら課題なんかは山積しているんだろうけれど、コミケってのは有志の祭りだ。純粋にあの場を保ち、開催まで漕ぎ着けてくれた方々には感謝の念しか沸かない。終わるつもりが、こうしてまた何か作るモノを探しているというのも、次のコミケを開催してくれるという同志がいるからに他ならない。そこに関しては、ただただ頭が上がらない思いである。

 

なんだか結局長くなってしまったけれど、C100本当にお疲れさまでした。今回参加出来なかった方々も含めて、次回の冬ではお会いできることを祈って。