わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

「宗教二世」の為のブックレビュー

この歳になると、読めなくなる本もあるよなと最近思う。

 

先週ここでも告知もさせて頂いた、おたっきぃ佐々木さんとのトークイベントが先週無事終わった。あまり何を喋ったのか詳細は覚えていないのだけれども、来て頂いた方、スペース覗いて頂いた方は本当にありがとうございました。久々楽しかったので、またやるかと思います。その際は、また是非よろしくお願いします。

 

 

ということで、今週も水曜更新。夏コミ新刊の原稿作業もほぼ終わり、印刷所へ入稿出来る状態にまで仕上げた所で、ようやく新刊の話題でも。と思ったのだけれど、再び別の話題。この頃、ニュースやらTLで盛り上がっている話題に少し触れて僕の立場から、言える事をここに残してみたい。

 

件の銃撃事件があってから、日常において「宗教二世」というワードをよく見るようになった。犯人のプロファイルが進む中でどうしたって触れなければならないワードだろう。そうすると案の定、ネットやらSNSで様々な人の語りが沸いて出てくる。思った以上に、この手の話で悩んでいる人は多いのだと驚いた。

 

と、かく言う自分もその一人。あまりこれに関する事を外に漏らしたこともないけれど、近頃余りにその単語が目に入り、多少のガス抜きをしたいと思ったのが本音。とは言っても。増田みたいな匿名の空間だったり、その為だけにTwitterアカウントを作っては、過去の恨みつらみをぶちまけるような真似は、芸風でないので避けたい。

 

端的に今自分の立場だけ書くならば、生まれてこの方、母が属する国内某大手宗教団体に僕も属しており、その組織に敵対心を抱いた訳でもなく、何なら思想や教義には賛同している。ただ、母は熱心、父親一族が猛反対という中で育ち、幼少から色々考え続け、挙句にはメンタルぶっ壊れたりして、ちょっと疲れたので今は明確に距離を置いている。というのが現況に関する簡単な説明だ。

 

ちょうどいい距離感でこの件を語るには…と考えた所、宗教二世の一人として悩みつつ「この本は読んで良かったなぁ」と感じた本をいくつか挙げることにしてみた。勿論、自分も解決済みの問題はない。だからこそ、こうした列挙が誰かの、何かの参考になれば。加えて、それを通じて僕のスタンスも整理出来れば有難い。すみません、ちょっと長くなるかも。

 

<原因療法的>

ここでは原因療法と書いたが、今抱いている直接的な悩みというより、信仰そのものについて考えるきっかけを与えてくれる作品をいくつか例示してみる。どれも、正直言って「信仰の限界」を示す作品ばかり。ではあるけれど、二世にとっての葛藤の根本は、親から与えられた絶対者、あるいは絶対的な法に疑問を抱いていいのか、端的に言えば、裏切っていいのかという点にある。

 

その葛藤を解きほぐすには、所与の信仰を一度自分の言葉に落としこむ必要があり、それは理屈のみで納得できるほど容易なものでない。ネットではこの話題について、論破やら対策と、あたかもライフハックのように解説しているのを見るけれど、信仰が本当に根付くのは、ロジックや理屈でなく、感情であり生活だ。そして、その生活にまで浸透して、信仰を考えるヒントを明示してくれるのは文学作品だと僕は思う。という訳で、ベタなチョイスになるけれど下記4選を示してみる。

 

 

1、『カラマーゾフの兄弟ドストエフスキー

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信仰を問う物語としては、ここに始まり、ここに終わるという感。学生時代に読んでそれきりなので、ぶっちゃけ詳細は忘れかけている。個人的には新潮版が読みやすかった気がする。「古典中の古典」というイメージがあるかもしれないけれど、この手の悩みを抱えている人にとっては、かなり具体的事案として読めるのではないだろうか。特に兄弟がいれば尚よし(良くはないんだけれど)。僕個人はアリョーシャとイワンの関係性に痛い程共感した。やはり名作とだけあって物語のスケールも大きく、人生に残る一節も多い。悩み関係なく、一度読破しても損はない作品と思う。

 

2、『沈黙』遠藤周作

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これも構図としては一緒。遠藤周作自身も『カラマーゾフ』を「名作」と掲げている通り、遠藤周作の立場から神という存在への疑問を問うた作品。2016年にはM・スコセッシ監督が映画化もしており、そちらでもいいけれど、文字で読んだ方が内省には向いている気がした。キリスト教弾圧下の日本にやってきた宣教師の葛藤を描く作品で、ひたすらに救われない。「何故この場面で神は救いを齎さないのか」という疑問に読者も向かい合う羽目になる。構成もシンプルかつ短く、日本の話なので『カラマーゾフ』より読みやすいとは思うが、案の定タフではある。独特の読後感と共に、自らと向かい合えると思う。

 

3、『疾走』松重清

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高校時代、個人的には現代版の『沈黙』のような気持ちで読んだ気がする。端的に言ってしまえば、主人公がひたすらに報われることなく、人生の坂道を転がっていく話。その転がり方も『疾走』のタイトル通り激しく、むごい。10代で読み、トラウマ化した作品。個人的には、ちょっと過激な描写から本筋とは異なる興味関心を抱いてしまい、拗れてしまったのはまた別の話。とかく、この物語を通しては、そもそも「人が救われるってなんだろ」みたいな内省と向かい合う事になる。親や環境、逃れようのない「不幸」という概念の泥沼で「救い」とは、どのような概念なのか考えさせられる一冊。

 

4、『るん(笑)』酉島伝法

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2020年に発刊され、各所に鈍いタイプの衝撃を与えたカルト系日常SF小説。展開も奇抜で非常に引き込まれ面白い。読んでよかったとは思うけれども、やはりしんどかった。スピリチュアルと科学が逆転し、迷信が常識化した近未来の日本社会のリアルな描写に、自分の過去が過ったり、色んな人の顔が浮かんだりしてくるのもキツイ。この作品では、むしろ信仰云々というより、「信じる」という事と「社会の繋がり」がいかに密接なものであるのか、嫌な角度から抉ってくるので、一度身の回りや自分のスタンスを冷静に見つめなおすにはいい薬であると思う。

 

 

と、以上挙げた通り4作。どれも基本的には宗教に対して懐疑の目を抱くような作品で、フェアじゃないと怒る人もいるかもしれない。しかし、これは二世の立場をフラット化させるための処方箋であり、そもそも二世の人生自体、信仰を考える上でフェアな土壌にない。

 

親に、教養やバランス感覚が備わった家庭であれば、また違うのだけれども、大体泥沼まで悩む羽目になる家庭はそうでない。生活や家族の形を維持する為に宗教が必須になっている家庭だからこそ、子は悩まざるを得なくなる。そして反論や懐疑は、そのまま家族を壊すことになる。

 

そうした中で、上記4作は信仰や迷信、また自分ではどうしようもない生まれによる絶望を扱っている。しかし物語におけるバッドエンドや絶望というものは、案外、現実における絶望から人を救ったりする。古来から人は同じようなことで悩み、足掻き、裏切られているという事を知ることで、自分の懐疑や裏切りが多少許された気持ちになる。正直、この気づきは大きい。だからこそ、原因療法的。まずは、文学による追体験を得て、自分を狭い罪の檻から解放するという事が重要だと感じる。

 

<対症療法的>

ここからは対症療法的な本を列挙する。何をもって対症療法なのかと言えば、こうした二世の生育の中でしこりになるのが、自己肯定感の歪みによる生きづらさだったりする。教義が幼少から日常に組み込まれ、成長する中でそこから外れていくことは、自己乖離的な感覚に繋がる。いつまでも「絶対的な正しさ」に沿って歩ければいいのだけれど、道を踏み外した時の自責の念は、通常の反抗期や親離れと比べ大きいものになり得る。

 

また、愛着に関する問題も生じやすい。そうした家庭で親が子供を見る時、どこかで信仰というフィルターが掛かっている。子が何を言ったところで、最優先されるものが別にある。大体、こうした目線に子供は気づく。直接的に、親が自分を「直接見ていない」という事を薄っすら理解してしまい、少しずつ自己愛の形にズレが生じたりする。なので、大人になってから、承認や愛着以外のアプローチで自分を肯定する事を学び、少しでも安心できるような本を、また4冊ほど列挙してみたい。

 

1、『当事者研究の研究』石原孝二(編)

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当事者研究」とは、精神障害などを持つ当事者が、自分の精神障害について研究をするという試みで、20年ほど前、北海道「浦河べてるの家」という共同生活の場で始まったものだ。それについての論文集がこの本。一応医学書扱いという事もあって身構えたものの、読みやすく、衝撃を受けた。保護を受け、病気を治し、社会復帰を果たすという想像しやすい「回復」はそこになく、障害は障害として、自分の一部であると受け入れ、開示し、共有する。それが決して綺麗ごとでなく、生きる上で必要な手筈であるとひとつひとつの論文が丁寧に教えてくれる。自分含めたあらゆる人を肯定する上での重要な示唆が詰まっている。

 

2、『断片的なものの社会学』岸政彦

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社会学者であり小説家でもある、岸政彦さんの手がけたインタビュー兼エッセイ集。本筋の研究の合間から漏れ出てきた「社会学とまではいかないけど、社会の中で生きる人を考えるには重要なエッセンス」を少しずつ集め、一冊の本に纏めたという本。大阪をメインに展開される軽妙で多種多様な人々との掛け合いからは、誰しもが、独自の人生を、自分の足で歩んでいる事を痛感させられる。同氏が編集した『東京の生活史』というクソ分厚い本も同様。多様性をそのまま喰らい、誰かの人生を静かに覗くことにより、時に重要な知見を得る事が出来ると思う。

 

3、『野の医者は笑うー心の治療とは何か?ー』東畑開人

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臨床心理士の東畑開人さんが、沖縄で怪しい民間療法師やらヒーラーと出会いながら、その本質に迫る一冊。とはいっても、悪徳業者を切る!みたいなテンションでは決してなく、自ら積極的にその施術を受けて回り、取材をしたりしながら、現代の心理療法そのものが実は曖昧なものではないかという問題提起に繋げる面白エッセイ。勿論、上記で掲げた『るん(笑)』のような世界観が裏にありながらも、その実態を見れば極めて人間的。何を信じようと、どんな思想だろうと、そこに在るのは、結局色々な人生。今まで憎んでいたはずのモノすらも、憎めなくなる東畑さんの作風は、他の著書にも通じていて全般おススメ。

 

4、『ゲーテ格言集』

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急に古典かつ、どストレートな本だけれども、結局僕はここに帰ってきてしまう。学生の頃から、読む本がなくなると持ち歩き、本の端を折るドッグイヤーをし続けたら、ほとんど折れ曲がってしまい意味がなくなってしまった。それ程にツライ事があるとこの本を開いていたのだと思う。相談できる人も、頼れる親もいない時に、やはりこういうザ・文豪の一言には力がある。ふとした時に力を貰える。この存在に何度助けられたか分からない。こういう「この本の前では親以上に素直になれる」一冊というのは、持っておいて損はない気がする。

 

 

ということで、以上4冊を挙げてみた。最後を除いて「多様性」を受け入れる論調が強い。やはり、承認や愛着といった角度以外で、自分を肯定するには、まず他者を肯定できる心を持つのが安定的だと思う。誰かを許せるから、自分も許すことが出来る。こうした気持ちにさせてくれる本をピックアップしてみたつもりだ。

 

そして『ゲーテ格言集』においては、頼れる思想を手元に抱くことが精神的安定を生んでくれるという好例。親は所詮、どこかで交わった男女でしかなく、家庭環境という意味では大きな存在だが、所詮生きていく上で必要な「何か」を確実に与えてくれる保証はない。勿論、親に対する感情は人それぞれなのだけれど、家族によって追い込まれた時に、自分を支えてくれる親以外の存在が、僕にとっては読書だったりした。活字は、いい意味での逃げ場を作ってくれることもある。

 

その場に居て自覚するのは難しいが、今見えている環境が全てではない。そこから得てしまった短絡的な決心は往々にして、悲劇しか生まない。実際、そうなりかけた場面も多くあった。そんな時、少しでも余裕を得るためには、ネットで恨みつらみを吐き出すでもなく、信頼のおける本と向かい合うことを是非勧めたい。上記だけでなく、沢山の良書がある。人の世はとことんクソに思えても、案外捨てたものではないと教えてくれるかもしれない。

 

 

と、珍しく時事に絡んだ事を書いてみた訳だが、思った以上にタイピングが進んでしまい、案の定長くなってしまった。僕自身も色々と溜まっていたのだと思う。こういうことは余り書くべきことではないのかもしれないが、共有する意味が多少なりともあると、ここ数日のネットを眺めて思ってしまった次第。

 

とかく、週一ペースでこんな気負っては続けていけないので、次週以降はまた気を楽に持って何かしら、気になった事を書いてみたい所存です。コミケ、ちゃんと開催されるといいなぁ。