わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

コミティアに参加して同人即売会という場所を思い出す

少しずつ感染状況も落ち着いてきている中、コロナ禍の空白を埋めていく。しばらく、そんな記事が続きそうな気がしている。今回もそんな話。

 

そういえば、少し前の話になるけれど。9月に青海展示場で開催された秋のコミティアに参加した。参加、とはいっても一般参加で覗きに行った程度の話ではある。同人誌即売会へ足をはこんだのがかなり久々で、気づけば2019年の年末のコミックマーケットに自分が同人誌を最後に出して以来だった。2年弱もの間、即売会に行かなかったのは、高校時代からコミケに通い始めて、初の事だったと思う。

 

いわゆる同人活動。自分で書き作る本を、自費出版して売る。僕はこの営みにどうしようもなくハマってしまった。中学の頃から「何か面白いものはないか」と書店に通うのが好きだった自分は、いっそ自分で企画できる、という輝きに魅せられ、案の定その趣味に没頭していく。

 

そして10年。気づけば20代のほとんどをそのような酔狂な活動に費やしてしまった。まぁともかくそれだけ長い間、本を作ることを趣味にしてしまうと、ほぼ本を作ることが日常化してくるもので。お盆と暮れに開催されていた年2回のコミケに毎度のように本を出していたから、1年中、同人誌の企画を考えるか、作業をしていたような気がする。

 

もはや「本を作る」という謎の使命感に突き動かされていたわけだが、実際純粋に楽しいと感じるのはかなり短い時間だったりする。企画を立てている時、脱稿した日、後はイベント当日くらい。僕が発刊していたのは対談雑誌だったので、作業内容として協力者探し、アポイントから文字起こしに校正と、そんな業務然とした作業に追われていた。

 

ふと20代も後半になると「このまま続けていると、この人生同人誌作りだけで終わってしまうのでは」そんなバカみたいな恐怖心もあって、一旦活動を停止してみた訳だが、そうこうしているうちに、同人誌を作ることはおろか、同人誌即売会を行うことすら難しい世の中になっていた。

 

ルーチンで続けていたことは一度手を止めると、再開するのにかなりのエネルギーがいる。それは、自分のやっていたことを変に客観視しすぎるからだと思う。よくそんなことやっていたよな、と今では感じたりもする。再び何か企画を立ち上げようにも「そこまでの苦労をかけてまで、するべきことなのか」と冷静な自分が後ろ髪を引っ張り始める。よくよくその説得に耳を傾けると、至極真っ当だったりするので結局、浮かんだ企画は頭の中のゴミ箱に投げ捨てられる。

 

この2年ほど、色んな思いつきが幾度ともなくゴミ箱へ投擲された。果たして、この現象を老いと呼ぶのか、あるいは青臭い時期を抜けて思考が大人になったと考えるのか。その判断はさておいても「自分で本を作って売る。」2年間も時間を空けると、その過程が大それたものに思えて仕方がなくなっている。

 

そんな中、ふと何の気なしにコミティアに参加した。コロナで縁遠くなっていた光景。久方ぶりにあの無機質に並べられた机の上にある、いわゆる薄い本を見た。そして、その本の奥には本を書いた人間が鎮座している。同人即売会では普通の眺めなのだけれども、改めてその状態を目にしてみると異様に映った。自分が作ったものが目の前にあって、それを本人が売る。

 

本屋、八百屋やら家電量販店やら、どんな小売店を思い浮かべても商品とセットに生産者が揃っているという状態はあまり一般的ではない。しかも、自分の頭の中からアイデアを取り出して作られた同人誌である。その当人の分身とも呼べる創作物を当人が売っている訳だ。いや、自分だって長いこと同じ行為をしていたのだから、何も違和感などあるはずないのだけれど。

 

そして、本を購入する側の僕も臆面もなく、気に入った絵柄や企画を目にすれば「読んでみていいですか」と本人に声をかけて、本を手に取る。気に入れば購入する。そんな即売会では当たり前のやりとり。それでも、この営みは狂っている。やはり何か、日々仕事をして、家に帰るだけの日常にはない感情を思い起こさせてくれる。

 

先も書いた通り、同人誌を作らなくなって現れた「冷静な自分」によれば、自分の考えや創作欲を外部に晒すのってどうなんだ、と言う。どこぞのおっさんでしかないお前が、必死に足掻いてモノを作る姿も滑稽だし、成果物に関しても需要なんてあるものかと。このブログ記事を書いていても、頭の片隅で常に批判を投げつけてくる。

 

ただ、コミティアで自分の本を前に座る創作者の列を見て。やはり、そちら側に座っていた自分の気持ちを思い出し、そうありたいという気持ちに気づく。特にこのコミティアというイベントは創作オンリーだ。二次創作を批判したい訳ではないのだけれど、創作物に作った本人が投影されやすい。言ってしまえば、リスクが高いとも言える。もしそれが批判されれば、まさに自分が批判されるのと同意義だったりする。

 

ある意味で、彼ら、同人作家は勝負している。作画や企画に長い時間をかけ、安くない印刷代を払い、本を作ってイベントに参加している。趣味でそんなリスクをとること自体、ぶっちゃければ滑稽だ。分かっているのに、何かそちら側に惹かれてしまうのは一体なんなのだろう。何か、制作物を作る彼らの姿が誇らしげに見えるのだった。

 

悶々とした気持ちと、リュックサックに溜まった本を抱え、帰路につく。家で買った本を捲りながら、やはり同人誌が好きだと思った。そして、買う側で満足出来るかといえば、そうでもなさそうなのである。もう一度、この紙の束を自分で作ってみたい。誰から笑われようが、指さされようが、手を動かしていたい。一体自分に何の得があるのか、理屈で理性に説明をしたかったが、結果が決まっているのだからそんな面倒なことをする必要もない。

 

リハビリがてら、過去に作った総集編にしてみようかと思っている。多分、来夏あたり。形になればいいのだけれど、と不安半分、楽しみ半分。本来、創作ってもんは独りで、自分の意思で、救われていて…とか言いたいのだけれど「やっぱ、みんな楽しそうだから」という、身も蓋もないきっかけで復帰しそう。

 

まぁ、力みすぎる必要もないわけで。ふと思いついたことは、やはり形にしてみよう。そんな事を思った秋晴れの日でした。