わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

僕がコミティアに行かなくなった理由

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台風だ。僕は今日大荒れの天候にも関わらず、関越道で客先へ。対向車線をトラックが走ると、15年前に卒業旅行で行ったきりのスプラッシュマウンテンが浮かぶ。何も先が見えない中、ワイパーだけが空しく目の前を左右する。東松山ー嵐山辺り、ぼーっとワイパー見てたらトリップしかけて、危なかった。結構本気で死ぬかと思った。

 

愚痴もそこそこに。昨日8月21日。東京ビッグサイトにて「コミティア」が開催されたので久々に行ってきた。説明も不要かと思うが創作ジャンルメインの同人即売会である。

COMITIA

 

久々とは言ったが、実際4年ぶりだろうか。日曜朝、女児向けアニメも見終わり、ひとり抜きネタを探していたところ、友人から「コミティアでも行かない?」との誘い。プリキュア視聴から我が家の至宝(プリキュアエロ同人コーナー)に手を掛ける完璧な休日の流れではあったが、まぁ出かけたほうがふつうに建設的に思えた。そもそも我が家からビッグサイトは都バスで20分という素敵立地(錦糸町発急行05はマジで神だと思う)の為、夏コミの戦利品をティッシュ箱の上に置き、重い腰を上げる。

 

都バスに揺られながらふと長い間このイベントに参加してないことを思い出した。

 

コミティアって楽しい思い出しかないんだけど、なんでこんなに来なかったんだろう」と思いを巡らせつつ夢の島を過ぎ新木場へ。結局、その答えも出ることなく友人と落ち合い会場へ向かった。

 

しかし。入場して、15分でその答えが分かった。

 

「あれ?俺、今いくら使った?」

痴呆みたいな問いかけをする僕。何も言わず呆れ顔の友人。そんな自分の手元を見ると、無意識のうちに既に数冊の本が収まっている。いや、そんな短時間でこの見事なまでに貧乏性の僕が本を買いあさるはずがない。

 

ただ、さすがに自分でも徐々に感覚がバカになっていることに気付き始める。

3分後「なんだこのクオリティ・・・確実にプロだろ・・・買うしかない」

5分後「うわー、こんな企画勝ちじゃん・・・え、残金?なんのこと?」

10分後「地味なデザインの紙1枚だせば、何十枚もの絵のついた紙がもらえる」

 

紙幣価値などあったものではない。そうコミティアは、僕にとってコミケ以上に金の価値が狂うのである。コミケの場合に僕が買うのはたいていエロ本だ。エロ本を買う際には一度「家に帰ってこれ読んでシコれるかどうか」という脳内自分会議が行われる。そこの参加者IQは軒並みクソ低いが、その薄っぺらいフィルタリングがあるおかげで多少なりとも買う本の決断は冷静さが伴う。

 

しかしながら、創作や評論ジャンルの場合にはもう読んでみたくてしょうがない。ただ文章量とかストーリーをじっくりと・・・と考えた場合に買ったほうが早いのだ。しかも、そこで買い逃すとすごく損した気分になる。オタクにとっては、未知の素晴らしい物語との出会いを逃すことが惜しくてしょうがないのだ。シコは正直逃しても、いろんな他シコで賄える。射精というゴールは一緒だからだ。しかし、創作ジャンルの場合、得られる感動がそれぞれであるため、上記のようにナベアツみたいな知能指数の落ち方をする。

 

結局、開始30分で1万が消えた。「オタクのくせに1万で騒ぐとかww」「ワープア乙」あたりのクソリプは先に自分で被害妄想して潰すに限る。こういう事態を避けるために、自分のバッグの中にはガス代・電気代・ネット使用料など支払い用紙を忍ばせていたのである。それを見れば僕はきっと「あ、支払いのお金まで使っちゃダメだよね」と理性を取り戻すつもりでいたが、会場でそれら用紙を見た僕は「同人誌と交換出来ない紙なんかゴミだろ」と一蹴した。

 

ただ、尖りつつもさすがに明日からの生活がよぎる僕。「もう買わない・・・」と固く決意。友人の買い物に付き合う中でも、息も荒く固くズボンを握り、周囲を見ないように徘徊する。はたから見れば完全に中毒症状が出てる不審者のそれである。

 

やはりコミティアの創作の空気感はコミケとは多少異なる。雑多で交流が主になりつつあるコミケに対し、創作物・自分のオリジナルで勝負するという気概を感じる。ちょっと拗れてる感じがとても良いし、それを見ると「あぁ、自分も何か作らなければ」という思いにさせてくれ、そう思わせてくれた人には必然的にお金を払いたくなる。

 

正直、最初の金銭の話ばかりでなく、僕があまり高い頻度でコミティアに行きたくない理由はこれでもある。こんだけ良いものが並んでると、とても焦るのだ。

 

何をクリエイター気取りおってという反感もあるだろうが、僕もなんだかんだで同人活動初めて7年が経とうとしている。論文から始まり、マンガや音楽、そして今は評論雑誌という媒体で勝負している。もうそこらへんに、はるかに自分よりセンスがある人が何人もいて、そして表現も綺麗で、纏まっている。表現として洗練されている。悔しくならない道理がないだろう。

 

今回その中でも、ひと際目を惹かれたサークルがあった。

パルス編集部ホームページへようこそ

pulse-editorial.blog.so-net.ne.jp

結構妙齢のおじさんが一人売り子をしていたのだけど、なんていうか小さいコピー単行本がいくつも並んでいて。「碧い地球はだれのもの」というタイトルで、少女が主役のどうもSFらしい。見れば14巻まで発行されている。絵も好みだ。さらには先日亡くなった故・冨田勲の「青い地球は誰のもの」というタイトルも琴線にひっかかりついつい買ってしまった(1冊200円だったから、とりあえずひよって5話まで・・・全部買っとけばよかった・・・・)

 

そして帰って読んだのだけど、完全にハードSF。近未来と過去のSF的考証。鬼頭莫宏を彷彿とさせる展開と読者を置いてきぼりにするスピード感。そして過る少女たちの狂気。多分かなり好みはあると思うけど、個人的にはとても面白いと感じた。こういうのに当たるからコミティアは本当によくない。淡々とこういうサークルが、自分たちのしたいことを表現し、本を作り売っている。昨今のコミケにおける拡散合戦というか、そういう空気とは違った神田の古書屋にいるような気分にさせてくれるのだ。いや当然売れればうれしいし、多くの人に読んでもらえるのは至上の喜びなのだけど。

 

こういう方々が、きっちりと自分のテリトリーを作って。自分の表現で戦っているのを見ると背筋が伸ばされる思いがするのである。

 

ちょっと話は飛ぶが、夏コミの島本和彦先生の新刊「アンノ対ホノオ」を入手でき。

アンノ対ホノオ - Google 検索

端的に言ってしまえばシン・ゴジラを見た島本先生の僻みとそれを乗り越える内省マンガなのだけど。その中の最後のセリフ「庵野やめろ!俺より面白いものを作るんじゃねえ」という言葉。

 

なんていうか、コミティアに行くとこの島本氏の感情に近いものに襲われるのだ。たとえ素人であっても、やりたいことをやり、そして他人より面白いモノを作りたい。承認欲求?あって当然だろクソか。何をクール気取ってんだ、人を感動させられたらそれ以上のことないだろうが。とか。まったくもう。そんな青臭い感情に支配されるから、多分コミティアには。たまにしか行かない、逆に行きたくないんだと、心から今回思い出してしまった。