わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

デザフェス初めて行ってみて思った「拗らせる」ということ。

f:id:daizumi6315:20170528230743j:plain

最後なんか、めっちゃ内省記事になっちゃってるんで、そこは了承くださいませ。

 

週末が過ぎ、気づけば5月ももう終わり。2017年も半分そろそろ差し掛かる?マジですかと言ってる間もなく、コミケの当落発表も目の前なんだから否応なしに夏コミ同人誌の作業へと没頭させられる時期がやってくる。え、もちろん嫌・・・じゃないんですよ。趣味ですから。はい。自分で好きでやってますんで・・・みたいな。もう誰に言い訳してるんだか分からなくなってきた流れも、今年で何回目なのだろう。

 

ということで、そろそろモチベーションも上げていかないとという時期に差し掛かってきた今日この頃。「同人用素材を整理しなくては」とPCを立ち上げて、とりあえず情報収集という名目でツイッターイラレ立ち上げる気分になったら作業に取り掛かろう。そんなバカな区切りを考えつつTLを眺めていると「デザフェス」という単語が目に留まる。ほう、今週末だったか。

 

思えば、デザフェスには行ったことがなかった。デザフェスとは下記の通り、アートイベント「デザインフェスタ」の略称。1年に4回くらいやってる気がする。結構な回数をすでに重ねており、絵から小物からパフォーマンスまで。様々なジャンルを問わずアーティストが参加し、その作品等を買うことが出来たりするイベントである。

 

designfesta.com

 

アート系という意味では自分の興味の十分範疇である。うん。確かに、過去も何回か行ってみようとは思った。だけども、なんだかちょっと行くまでにはならない理由があった。それはタイトルにもある通り。「参加してる人って、ちょっと拗らせてるよなぁ・・・」と思ってたからである。

 

たぶん、オタク文化も当然ながら親和性があるのは分かっている。でも、アート系ってちょっと毛色が違うというか。どこかでオタクを蔑んでそうというか。自虐ネタをあんまし言わなそうというか。自分の作品にすごく自信を持っている人多そうとか。社会を斜に見てる破天荒な人多そうというか。身内ですごい盛り上がってそうというか。和装で下駄の人多そうというか。すぐ狐面とか買ってそうというか。スチームパンク好きそうというか・・・

 

後半はすでに岡崎体育の『ミュージックビデオ』みたいな事になってるわけだが、とりあえずちょっと自分と違う文化なんじゃねえかと思っていたわけである。ただ、やはり僕もいよいよ本格派のサーティなアラウンド。そろそろ立派な大人として食わず嫌いはよくないんじゃないのと。あとは、同人誌へのモチベーション上げられるかもよ。そんな囁きに惑わされ、軽い気持ちで東京ビッグサイトへ直行してみた。

 

下調べも何もなしで行ったもんだから、東館でやってるという情報も現地で獲得。4・5・6ホールに加え、新設の7・8ホールでの開催。結構広いな・・・と思いつつ身構えて会場へ。

 

確かに僕のイメージは案外間違っていなかった。アート系、そしてフェスティバルという名目通り普段から慣れ親しんだコミケとは全く異なる雰囲気。そもそもの空気がそんなにオタクぽくない。そこら中でライブドローイングをやってたり、各自ブース内でパフォーマンスをやってる人も。ファッションから小物雑貨、不思議なおもちゃやら、革製品なんかも見られる。あと、やっぱしスチパン、和装に下駄の人は結構いた。それでも、不思議とアウェイな気分はしなかった。

 

 

そして、いざ実際に各ブースを見物。普段はここビッグサイトで薄い本ばかりを眺めている根暗な小生には新鮮なブースばかり。ついついちょっとシャレたポロシャツを買いそうになったり、おしゃれ小物やらアクセなんかも目を惹かれる。いやいや、即堕ちしてるじゃねえのと自分でもツッコミつつ周回。ただ、歩くたび徐々に気づいていく。あれ、これ普通に楽しい。なんでこれまで来なかったんだよ。

 

そんな中、冷静になってみると僕がデザフェスに来れなかった本当の理由が少しずつ見えてきた。ブースを見ては「いいなぁ」「羨ましいなぁ」と思う自分。なんていうか・・・これは、嫉妬じゃないだろうか・・・。恐らく、僕自身も気づかないレベルで、アートという空気に憧れ、同時に妬む感情が心中に潜んでいたことに気づいたのである。

 

思えば大学進学時、選択肢の一つとしてデザインの勉強がしたいという思いがあり、美大進学を考えていた時期があった。ただ、親が過去にその道で大きな失敗をしたことや、学費の面を考慮して、結局その選択肢は早々に切り捨てた。親を反面教師に「まっとうに」と考え文系の大学へ進学をした。

 

自分で選んだ道のはずなのに、おそらくどこかで引っかかっていたのだと思う。結局その後は、コミケという文化の中で自ら同人誌を出すなど、諦めきれなかった何かが噴出してしまったのは別の話。種々ブースを眺めてはハイレベルなモノづくりをする人達を見て「いいなぁ」「楽しそうだなぁ」とか羨む裏側に、そうした「アートの素養を得た人たち」に対する歪んだ感情があったこと、そして逆差別的に「きっとアート系は拗れているから」と避けていた潜在意識に、今回のデザフェスを楽しむ中で今更ながら気づかされたのだった。

 

そして、今日ブースを回る中で最も強く自戒したのは、結局過去学んだ素養とか経歴とか気にしてないで「お前は今何を作りたいんだ」というその一点こそが最も重要なんじゃないか、ということだった。スニーカーを手のひらサイズに縮小させた素敵な小物を作っている処があったり、妙齢の女性が自分の作ったしっかりとしたブックカバーを売っていたり、小さいブースながらも本当に丁寧な細密画を描かれる人が佇んでいたり。何にせよまず「作りたいと思うその人」がいるからこそ、その作品がそこにある。ひとつひとつのブースを目の前にして、そんなシンプルなことが強く思い起こされた。

 

さらにその中で。何回も目の前を素通りしながら、目線が外せなくなり、ついつい最後はポストカードセットを買ってしまったイラストメインで活動されているブースがあった。キャラクターのセンスも良い、色彩の具合もいい空気感。周囲の設営の感じも素敵。「本当に可愛いですね」とグッズ購入の際、当人に話しかけてみたところ、特に過去絵を学んだりはしていなく、好きなものを追っかけて、好きな絵描きさんに影響されながらこういうモノが出来たということで。改めて、ただただモノを作るということの根本を再確認させられた気分になった。

 

 

詰まるところ、イベント以前に最も見方を拗らせていたのは自分だったのだ。気づかない間に、アートという高尚に見える世界から自ら零れ落ちたような感慨を抱いていたのかもしれない。そして、一番危惧すべきは、その「デザフェスはちょっと」という避ける理由をどこかで勝手にすり替えていたということだ。「ちょっとアウェイ感がありそう」とか言いながら結局は知らず知らずのうちに自分で壁を作っていた。「拗れる」とは、物事がもつれるという意味である。一度、もつれた糸はどこに繋がっているのかすら判別困難にさせる。

 

やはりその「拗れた糸」をほぐすには、実際に現場を見てみるのが早いし、そして答えは大抵シンプルな場合が多い。何かに対して違和を感じていたら、案外自分の中に回答はあったりする。僕自身も改めて、まずは目の前のすべき事に目を向けるべきだなと。今回、デザフェスとは直接関係ないかもしれないが、そんなことを改めて実感させられてしまった。

 

イベントとしては、純粋に楽しかったし、当然金も想像以上に溶けてしまった。またライブドローイングを見ていて、気になる人には話しかけてみたりとなんだか新鮮な出会いもあった。まぁそもそも、これまで避けていたこと自体が間違いだったイベントだったな、という事でまた改めて機会があれば覗きたいと思います。イベントレポになってなくてすみません。