わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

27の夜。

なんだかむしゃくしゃしたので会社帰りにランニングシューズを買った。

 

小学校時代から野球部で投手だった僕は、走ることに抵抗がない。むしろ、監督も怖かったし全体練習に参加する事がとにかく嫌だった。その為、投手独自の練習メニューを作成。走り込みという名目で、よく逃げた。きっちりと結果さえ出せば文句も言われなかったので、そこは結構真面目に走った。

 

怖い監督や全体練習からは逃げられるし、体力も結果も付いてくる。最高じゃないか。ランニング。ということで、次第に走ることが趣味の一つになっていった。

 

この頃は気候だったり、同人活動が忙しかったりとその機会も減り。イラつきも手伝って、走ることへの中毒症状みたいなものが出始めていた。家に帰った僕は、早速運動着に着替え近くの公園を走ろうと出発。持参金は200円。途中で水分も補給できる。十分だ。

 

 

しかし、そこは未だに中二病をひどく拗らせたおっさん。突如「夜の海が見たくなる」という症状にあてられてルート変更。江東区住まいということもあって、有明東京ビッグサイトへ向かうことに。

 

夏冬のお祭りの際、地方から遠征してくる方々から比べれば距離は遥かに近い。ただ、後から知ったのだけど片道10kmもあった。往復換算で当然ながら20km。しばらく体を動かしていないおっさんが、ほいほい走っていい距離では決してない。そんなことを知る由もなく、軽快に夜風を切って走る僕。

 

有明に近づくと、街並みは住宅もなく倉庫街となる。歩く人もまばら、街灯もかなり少ない。海と暗がりの独特な雰囲気に、走るペースもちょっとずつ上がり、所謂ランナーズハイのような状況に。

 

すると気分も高まってか、脳内で尾崎豊の「15の夜」が流れてきた。どちらかと言えば、法律は順守する方なのでバイクを盗んだことはない。というより、バイクの免許もってない。そもそも、15歳で免許とれないだろ。それでも「暗い夜の帳の中へ」走る感覚は気持ちよかった。

 

そうこうしているうちに、とうとう国際展示場ことビッグサイトに到着。夜空にそびえる巨大な逆三角を目前に「まだまだ俺も走れるものだな」と自負の気持ちに満たされる。

 

目的を達成したところで、ようやく帰りの心配がよぎった。「俺、何km走ったんだろ。」グーグル先生が「残り10kmだよ」と教えくれた瞬間、無意識にゆりかもめを仰ぐ。10kmも走ったんだからいいよね。帰りくらい交通機関使っても、怒らないよね。

 

更にそこでもう一つ、忘れていた事実を思い出す。ポケットの中には100円玉が2枚。絶望した僕はセブンイレブンで飲み物を買う。残金73円。小銭が煩わしかったので23円募金。残金50円。

 

もう、退路を無くし自らの足で帰ることを決意。ここまで来れたんだ。帰りも走れる。

 

気合を入れて復路に臨んでわずか5分。待ってましたとばかりに両膝辺りによくない痛みを感じる。走るつっても、痛みの方かい。セルフツッコミすら、何も笑えず10kmを歩いて帰った。

 

最早、苦痛しかないひとり徒歩レース。往路に聞いた「15の夜」を思い出す。そういえば僕は今年で27歳。気づけば一回りも過ぎていた。今や同じの干支の若者たちが、バイクを盗んだり、将来に不安を抱えながら、不安定な10代というエネルギーを発散しているのだろう。テンションも下がり切り、ふと歳相応の歌詞がよぎる。

 

「弱った身体で歩き出す 帰れるかもわからぬまま」

 

27歳になる今でも、将来がどうなるか不安だし、何か不安定なエネルギーを持て余しては、ふと発散してみたり。当時と違うことと言えば、足腰は弱り、親から孫が見たいと言われ始める。それだけは確かなことだ。

 

21時に家を出発し、ビッグサイトに到着したのが22時過ぎ。そこから結局家についたのは24時半。俗にいうテッペンすら回ってしまっていた。24時間テレビのマラソンを小馬鹿にしていた僕も、その時ばかりは「DAIGOごめん」と思い、終盤は延々、脳内で「サライ」が流れ続けていた。

 

反省としては、ランニングには1,000円くらい持っていこうってこと。あと猫が高いところから降りられなくなる気持ちってこんな感じなのかも。と分かっただけ、収穫があったと思い込ませている。