わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

キャンセルカルチャーとコミケに関する独り言

夏本番。賛否が盛大に渦巻きながら五輪は開催されており、コロナ感染者数は過去最大の推移だという。そんな中で日常だけが、淡々と変わりなく過ぎていく。スポーツ観戦は好きなので、毎日暇はせず済んでいるが、不思議な感じだ。未曾有の事態が何個も重なって、新聞の一面からでは何が大事なのかもわからなくなってきている。

 

そういえば、少し前から、五輪の開会式関係でキャンセルカルチャーなる言葉をよく聞くようになった。僕は言葉の意味すら知らなかったけれど、調べてみると「団体や個人の一面だけを取り上げ、非難をすることで今のキャリアや社会的地位を貶めようとする風潮」だという。

 

なんかこの説明だけ見ると、今回の小山田氏やら小林氏やらの件が被害者っぽく感じられる。まぁ、正直な話。小学校の頃から地元の古本屋のサブカルコーナーで一日座り込んでGONやらQJやら裏モノジャパンなんかをせっせと読んでいた僕個人の立場から言えば、90年代のサブカルアングラカルチャーには、何か子供心ながら「大人にならないと分からない独特な匂い」を感じていたし、つまるところそれは大人への憧憬だった。

 

世の中から外れている事をあえてやることに、ある種の尖りがあって、それがロックだと持て囃された時代だったのは間違いない。現在の倫理観に照らし合わせれば、ほとんどアウトな思想で埋め尽くされていたと言っていいと思う。そうこうしているうちに、ログがいつまでも残る時代になってしまったし、このキャンセルカルチャーが働きやすい状況になった今、それら危ういカルチャーに関する書物や情報はすべてリスクでしかなくなってしまった。

 

僕はギリギリ、そんな90年代に弾けていた世代の文化を頭上に見上げていただけのマセガキだったので、今回の件を受けて特段寂しいもんだなとか、そういう文化が叩かれるだけのサンドバッグと化すことに、ハッキリ言って大した感慨はない。ゆとり世代だから仕方のない話だ。

 

でも、キャンセルカルチャーという考え方が自分と関係ないかと言えば、決してそんなことはなかったりする。

 

思い返せば、既に20代の間。僕個人、コミックマーケットという場を介して同人誌を何冊出したのかわからない。評論雑誌だけならなんとかなりそうだけれど、その中には、創作エロ漫画だってある。しかも既存ジャンルのモノじゃ抜けないからとわざわざ、エキセントリックなシチュエーションを必死に作り上げた特級レベルの黒歴史と言っていい。黒歴史と言っておきながら、尚もそのDL販売で小銭を稼いでいるあたり、取り立てて反省はしていないのだけれど。

 

恐らく、将来僕がお仕事を頑張って、ひょんなことからそれなりの地位を得ることになるような時に、ネットで炎上される種を自ら蒔いているのは間違いない。あの人実は、すくみづなんて名前で、訳のわからない性癖を自ら漫画にして、シリーズ2作作って、英語翻訳までして、世界にその恥を晒しているみたいよ。とか。文字にしてみたら、思った以上にクビの可能性が上がった。夏目さんどころの騒ぎじゃない。

 

じゃあ、それらの書籍やデータを今から探しに探して消して回るのが正解なのだろうか。残念ながら、このネット社会で痕跡を完全に消すことは不可能だろう。タマホームだって、タマちゃんTVがしっかりと放出されている通り、親しい知人でも、先輩でも、取引先の誰かかもしれない。社会性を保っている限り、誰が文春と繋がっているか分からないのである。

 

そんなエロ漫画を引き合いに出すまでもなく、Twitterで12年つぶやき続けている発言自体も危ういものだ。多少自意識過剰に考えれば、いくらでも「こいつにキャンセルカルチャー仕掛けたろ」と思えば、僕ですらいくらでも燃やし続けることは可能だ。この感じが今なのだと、改めて思う。

 

こうした「叩かれる」可能性やリスクが蔓延する中で、自衛を行うことや、普段の発言を気に掛けることは勿論、正論中の正論だし、模範的なネットユーザーのふるまい方である。それと同時に、どうしたってネット空間というのは全力でふざけていたい場所でもある。現実でふざけちゃいけないんだったら、ネットくらいいいじゃん。そう思うのだけれど、ネットもほぼ現実と化した時代において、僕らはどこでふざければいいのだろう。と、思ってビッグサイトが浮かんだ。

 

やっぱし、そんな世の中だからこそ、コミケが開催されない時代ということをとても悲しく思う。やはり現実でも、現実化するネットでもない場所。我々にはそんな塩梅の場所が必要なのだ。

 

先日、用事があって池袋に足を延ばした。すると、街中にコスプレイヤーさんがチラホラ。ああ、これが世にいうアコスタってやつか、と時間もあったのでイベント会場であるサンシャインを覗いてみた。普段からコスイべに行くような人間ではないけれども、そこで久々に現実に非日常を謳歌している人らを見ることが出来た。

 

毎年二度にわたって、超大規模な非日常があったことをいまさら思い出す。誰に叩かれるでもなく、誰もが表現を許し、共存できる場所。日々ネットだけを眺めていて、いよいよ厭世的な感情に支配されることが多くなる中で、あのイベントに、次に参加できる日が来るまでは、最低限我々の心の中で生かし続けないといけないのかもなと思ったりする。

 

と、自分の人生や出世の不安以上に、ふざけられる場所の方が大切なんだなと思ってしまった次第だ。社会人10年もやってんのに、この発想である。どうしたものか。大人として大丈夫なのだろうか。蒸し暑くて眠れなさそうな夜に、久々の独り言でした。ああ、野外で騒いでビールが飲みたいものです。