わがはじ!

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性的マイノリティという言葉の曖昧さ~LGBTPZNという概念から~

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 今年も例年通り終わろうとしている。ちょっとこの前気になる単語と出会ったので、こりもせずそれについての考えをとり纏めていく。

 

・「LGBTPZN」って知ってた?

先日ネットで見たこの文字列。頭の「LGBT」と言えば、これまでこのブログでもちょっとずつ触れてきたし、また世の中的にも浸透しつつある「レズビアン・ゲイ・バイセクシャルトランスセクシャルいわゆる性的マイノリティを指す略語だ。今年は、各地でそうしたマイノリティの権利主張などを行う「レインボーパレード」なんかもよく開かれてる印象を受けた。さらに日本でも自治体によっては「パートナーシップ条例」といった条例が制定され、通常の男女婚姻でないカップルの在り方も認めたり、世界的にその性別に柔軟な姿勢が見られるようになってきた。
 
 
以上がざっくりとした性的マイノリティに関する昨今の総論なのだが、それにくっついている「PZN」。これは果たして何の略語なのであろうか。この方のブログが非常によく纏まっている為ここで確認してほしい。
 
 
ざっくり言えば、まず「P」は「ペドフィリアは幼児性愛者を指す。日本ではロリコンと言った方が理解は早いだろう。「Z」は「ズーフィリア」動物性愛者とでも言おうか。動物に対して性的感情を抱く性癖である。「N」は「ネクロフィリア」、死姦を好む人を指す言葉である。まぁ、つまり並べてみれば分かるが「PZN」はいずれもかなりレベルの高い特殊性癖である。
 
どうも当初このワードはポーランドにおける過激で保守なクリスチャンたちの「LGBT」の思想から出てきたものらしい。要は「性的マイノリティってこんなヤバい性癖と同列なんだぜ」というヘイト的な言葉として生み出されたということだ。
 
しかしながら、そこから発展して上記の「PZN」辺りの性癖保持者たちが寧ろこの「LGBTPZN」という揶揄を前向きに捉えだし、自分たちも「LGBTと同様に社会から認められる存在になるべきでは、という提唱がなされているという具合らしい。
 
正直、その趣向が趣向だけに、そこまで大きなムーブメントになることはないだろうが「LGBT」と同様に特殊性癖全般を捉えなおす、というのは興味深い観点である。当然、逆にこうした「PZN」の人たちの主張に対して「一緒にしないでくれ」と嫌悪を示す「LGBT」の人もいる事であろう。
当初のこの言葉が生まれた目的自体、ヘイトだった事を鑑みれば自然なことである。)
 
果たして我々はこの突如生み出された「LGBTPZN」という複雑な言葉に対してどのように向かい合えばいいのだろうか。とそんなことを考え出したというわけだ。
 

・「性的マイノリティ」という言葉が物事を曖昧にさせる

ここからは単純に僕の個人的な見方である。
 
あくまでも「LGBT」と「PZN」は区別して考えられる代物であると僕は思う。そもそも「セクシャルマイノリティ」という言葉が物事を複雑にしている気がしてならない。よくNHKの特集なんかでも「性的マイノリティ」という言葉を使うが、その言葉であれば確かに「LGBTPZN」はすべて、そこに含まれると思う。
 
LGBT」と「PZN」はその性的マイノリティの中で、更に分けるべき別物だと僕は考える。仮に言葉を置くなら前者は「性別マイノリティ」後者は「性癖マイノリティ」とでも呼ぼうか。
 

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図にするならこんなイメージ。重なる人も結構いると思うけどね。

 

「性別マイノリティ」は前半でも述べた通り男女の関係のみに縛られない人たちであり、その主眼は性差のみに限られる。上記の通りパートナーシップ条例や社会的な仕組みにより対応が可能なものだろう。男女という2分割された価値観の社会の中で、よりファジーな人権を主張する、というのは話として分かりやすいし、理にかなっている。
 
それに対して後者の「性癖マイノリティ」と呼んだ人たちはどうであろうか。そもそも何故「性癖マイノリティ」という言葉を選んだのかという話だが、人であれば皆「性癖」つまりはフェティシズムを抱えているという前提に立つ。要は、セックスを生殖のみの目的で行わなくなった時点で人間は、皆すでに「性癖持ち」だと考える。快楽を目的とするセックスは全て性癖に依存しているのであり、それがより先鋭化された形、つまりは「みんな持ってる性癖の中でも特にマイノリティな部類」という意味でこういう言い方をした。
 
例えばコスプレやSMだってそうだし、そして今回の話題になっている「PZN」もそのジャンルの先鋒たる一部だと言えるのではないだろうか。
 
ただこう考えると果たして、人間の快楽装置を極地まで高めた特殊性癖保持者に対してどのような権利付与が可能なのだろうか。それを実現できる自治体はあるのか、法律はあるのか、社会的制度はあるのか。正直先に挙げた「性別マイノリティ」と比べるとかなり無理がある論議になるように思える。だって、所詮は性癖でしょ?その中には犯罪すら含まれるし、痴漢やパンツ泥棒だってその一種なのに、人権とか与えられないっしょw
 
LGBTの奴らはこういうのと一緒なんだぜ?」という揶揄を行った時点でむしろ保守派カトリックの人たちは「性別マイノリティ」と「性癖マイノリティ」の差異を理解しているように思える。ここまで考えて唸った。観点としては確かに正しい。だから所詮性癖を拗らせたやつは犯罪者でしょ、セクマイなんてみんな一緒ではい終了、というのが結論ならこんな文章は書いていない。
 

・性癖マイノリティの生き残り方

僕が何でこんな文章を必死に書いているのかといえば、自分自身が過去に全身タイツを着てオナニーしてる最中に母親と遭遇して、一週間も口を効いてもらえず、本気で自殺まで考えたからこそである。要は「PZN」側の気持ちがめちゃくちゃ分かる、という事が言いたい。
 
性犯罪は決して許されるものではない、という事をあらかじめ宣言してから書くが、性癖というものは恐ろしい。自分が意識せずとも先天的に与えられたり、突如降ってきたりする。本人が望む望まないに関わらずだ。過去にも話していることだが僕のケースで言えば、先の全身タイツだったり着ぐるみというものに異常な性癖を感じたのは、小学生以前。「何故か分からないが着てみたい」という衝動に襲われ、気が狂いそうになるほど。つまり性癖というものは、社会から見れば異常であることは分かりながら、ありえない程の謎の衝動をその人に与えたりする。
 
毎度、制服泥棒や下着泥棒なんかが捕まるニュースを見る度に「自分の性癖が犯罪でなくてよかった」と切に思うのである。思春期に感じたあの衝動が、そうした行為に向いていたらと思うとぞっとする。ネットの嘲笑すら笑えない。そして、これは経験した人にしか分からない。だからこそ上記記事を読んで、海外においてそのような機運の高まりがあることに感銘を受けたのである。
 
LGBT」に「PZN」がくっついたという発想は、発祥はともあれ非常に重要な観点であると僕は思ったのだ。特殊性癖具有者の人権主張というのは、正直なかなかに難しいと思うし、ぶっちゃけ言えばナンセンスに近い。ただ「そういう人がいること」を社会は認知すべきだと感じる。何故なら、社会がその存在すら認めない状況に該当者を追い込むと確実に本人の中で「背徳感」「妄想」が増す。その特殊性癖行為への願望は確実に増幅する。よく子供時代にゲームを禁止されていた人が大人になってゲームに没頭する話と同様だ。抑圧されたままの性癖を抱えつづけた人は、いつか確実に爆発をもってそれを発露させることになる。
 

・基本姿勢は「YESロリータNOタッチ」

このような性癖マイノリティが生きる為に必要な姿勢は、個人的に茜新社ロリコンエロ漫画雑誌『LO』のキャッチコピーが真理だと思っている。現実とは一線を引く。ただ、その性癖をしっかりと自分で認める。そしてそれを誰かと共有する。
 
フェティシズムというものは、誰もが抱えている。その度合いが人それぞれなのであり、普通のセックスをしていたとしても誰もみなどこかで変態なのだ。漫画などの表現規制問題などでもそうだが、万人に潜む異常性を認めず、とにかくいかがわしそうなものを排除するその姿勢は非常に危険であると同時に、結果犯罪者を余計に増やすものだと強く主張したい。
 
そして、僕自身もそうした経験で正直苦しんだ。性癖異常を自覚するという事は思った以上にキツイ。一人で抱え込むと余計にヤバい。ネットが普及した昨今においては非常にオープンになったと同時に、逆にその非難も目に入ったりする。「LGBT」の人に関しては、舞台は整ったと思う。権利主張などを華々しくやっていただいて結構、現在の時代を鑑みればガンガンやればいいと思っている。「PZN」の方に関しては、ちょっと事情は変わる。少しずつ情報共有を行いながら「自分だけではない」という事を自覚し、そして「異常性癖」がどのように人に与えられるのか、ということを少しずつ社会に広めていくべきだと僕は思う。
 
以上の通りの理由で「LGBT」と「PZN」の区分を行ったし、きっとこれまで僕が同人誌でやってきたことの目的のひとつは、後者の理解を少しでも前進させることだったように思える。なんだかすごく長くなってしまった上に、取りまとめがないのだけどこの辺でとりあえず。また思いついたら書きます。