文学フリマが終わった。遊びに来て下さった方、ありがとうございました。
簡単にイベントに対する雑感として。
コミケの雰囲気も好きだけれど、久々に参加した文学フリマはなんかこう垢ぬけたようなイメージを受けた。売っているものも、どちらかと言えば「同人誌」というよりも「ZINE」といった感じ。明確な定義の話はしないけれど、何が違うのかと言えば、好きなものについて発信するというよりも、寧ろ自分の内発的な発信に向いているような感じだろうか。コミティアやデザフェス寄りというか、そんな印象を受ける。10年前の文フリよりも快活としていて、そのこと自体に賛否はあれども、良い方向に向いているのではないだろうかと僕は思った。
また機会があれば応募してみよう。と総論としての文学フリマの話からやはり、薄暗い内省の話に移っていく。
こういったイベントに参加するたび、ついついモノづくりに関するお気持ちが沁み出てしまう。心の割れ目からじわじわと。こんな表現から察しがつくとは思うのだけれど、それは決して「作ってよかった!」というような良い感情だけではない。むしろ作ってみたところで、そこまで捌けなかった新刊に対する後悔の数々だったり、または次に作ろうとしている本に対する不安や失望だったり。イベント直後は負の感情が8割といったところだ。
だって面白いものなら、きっと話題になるし、そりゃあ売れるわけで。反面、話題にもならず、売れなかったということは、意味のない時間とお金をただただ費やして、ドブに捨てていたのだなという結論に至りたくなる。現地で沢山の人が参加しているのを眺め、その人らに自分の本が刺さらなかったという現実があるからこそ、余計にこうした気持ちに襲われる。実にナイーブおじさんである。
しかも気づけば僕は、このルーティンを10代の頃から18年も続けている。数えれば今年までに同人誌を26作品ほど作っている計算になった。恐ろしい。そんな同人活動を振り返れば「ちゃんと売れたし、作ってよかった!」と断言出来る本は4~5冊あたりではないだろうか。打率でいえば、1割後半。プロ野球選手ならそろそろ進退を考えねばならない成績だろう。そんないい思い出を抱えながら、本を作り続けている。
一体この行為はなんなのだろうと何度も自問する。数少ない成功体験に依存している、というのも確かにある。実際過去に「売れてるなぁ」と断言出来た時には、それはもう気持ちよかった。多少生々しい話だが、同人誌の販売でお金が儲かる云々よりも、自分の思想を外部化させたものが直接バンバン売れていく、あの光景は特に脳汁が出る。同人趣味の一つの醍醐味であることは間違いない。
ただ、そんなドーパミン中毒だけで同人稼業が続けられるかと言えば、前述の通り厳しいものがある。パチスロや競馬、その他多くのギャンブルと違い、同人誌制作は準備時間にバカみたいに時間がかかる。イラスト・文書作成からデザイン、印刷所への発注などなど作業工程だけ考えれば、ほとんど仕事みたいなものだ。そんな仕事に近い事を強いられているのに、更には印刷代という掛け金を支払い、最後の最後に頒布というギャンブルに出る。無論売れればいいが、その可能性は結構低い。それではあまりにも救いがないのではないか。
では、頒布数に打ちひしがれるサークルにとって、同人稼業の救いとは何なのか。このあたり、同様のお悩みを抱くサークルさんを招いて傷のなめ合い会でも開催してみたいところなのだけれど、まずその前に自分のパターンを開示してみることにしよう。
自分にとって作品や本を出す、というのは例えるならバッターボックスに立つことだと思う。自分の脳内から世に何かを出して、その是非を問うというのは、大げさかもしれないが「勝負をする」ということだ。そして、バッターボックスに立つだけなら、誰の目を気にする必要もない。何の資格も不要で自分の意思だけで出来る。
また、勝負の勝ち負けも実際は自分で決めてよい。新刊の完成をもって「勝ち」とする人もいれば、1部でも頒布出来れば「勝ち」かもしれないし、1000部捌けて「完勝」とするサークルもある。規模はそれぞれで良い。でも、恐らく創作を行う人々は、大なり小なりリスクをとって「勝負」をしている。
そして何より重要なことは、世の中誰も「勝負しろ」なんて言ってくれないのである。最終的にバッターボックスには自分の意思で立たなければならない。自分の意思で勝負するからこそ「ひりつき」を得ることが出来る。「勝つかも」という期待に賭けることは、他の誰が止められるわけでもない権利だ。恐らく僕も、頒布数など結果以上にこの「勝負をしている」という感覚を得たいが故に、本を出し続けているのかもしれないな、とふと思った次第。もちろん、売れて、結果として読んでもらった感想などいただけると、とても嬉しいが。
なんのことはない、僕も言ってしまえばギャンブル中毒者と同じなのだ。「生きがいを得る」というのは恐らくどこかでリスクを抱えながら、そのリターンを得る行為の中に生じるものだ。印刷代と在庫、そして時間というコストを払って、自らの作品や企画の是非を問う。このリスクを背負ってモノをつくるからこそ、あまねく創作者は「楽しい」と感じているのだろうし、また彼らにはリスペクトを払うべきなのだろう。まあ、人それぞれなのだろうけれども。
事実、同人稼業を行う者としてはTwitter運用も難しくなった今、確かに結果は望み薄な時代ではあるものの、企画を思いつく限りは本を作り続けていたい。なんだか文フリの明るい空気に当てられて、少し凹んでしまったので、前向きなことを書いてみました。個人的にはもっと暗い即売会も好きです。