わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

僕とアニラジとコミケ~アニゲマスター復活を受けて~

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画像元:文化放送HP下記特番ページより 

 

突然、サブカルクソオタクみたいなテーマで記事を書き始めたわけだけど。こんな事があったら、ちょっと僕も黙ってはいられないわけです。はい。

 

www.agqr.jp

 

放送開始から20年という時を経て、文化放送の土曜21~23時というゴールデンタイムを作った『超機動放送アニゲマスター』が1時間特番として復活!11月3日文化の日に放送決定とのこと。ファンとして嬉しいのは勿論だが、いやぁ、なんて懐が深いんだ文化放送

 

この『アニゲマスター』は僕自身も中学生時代に毎週欠かさず聞いていた番組の一つで、数あるアニラジの中でも「オタク総合スレ」的な存在だったような印象だ。つまり「特定の声優ファンだから聞く番組」というよりは、今アニメゲームの界隈ではどのような事が起こっているのか、どんな新作アニメが面白そうかなどなどを語る、オタクのオタクによるオタクの為の番組。先にも例えたが、色んな意見を集約してくれるオタ向けの掲示板という感じを受けていた。

 

まだまだネット民の少なかった2000年代初頭。改めて思うと、その存在のありがたさと、番組が果たしていた役割についつい感じ入ってしまう。今回はそんな番組復活を契機に、自分のラジオにまつわる思い出についてちょっと振り返ってみようと思った。

 

・オタクはやっぱしラジオから

反感買うかもしれないんだけど、僕はこういわざるを得ない。いまさら声を大にして言うことでもないが、90年代から今に至るまで「オタク」と「ラジオ」が切っても切れない関係なのは間違いない。最近では「声優もメディア露出してなんぼ」という世界になってきたが、当時なかなかその御顔を謁見できる機会も少なかった。毎年1度『声優グランプリ』の付録としてついてくる声優名鑑を眺めては「あ、こういう人なのか・・・」「この人、所属事務所が去年と違う・・・」など、なんとも言えぬ感慨を覚えていたのも懐かしい。

 

そういう奥ゆかしい世界だからこそ、当時ラジオ番組は僕らオタクと声優さんを気軽に繋いでくれるほぼ唯一の存在だったわけである。僕自身もオタクの道に堕ちたのはラジオが原因だった。何度か書いていることではあるが、オタの道を歩み始めたのは中学生の頃。そもそも小さい頃からマセていて「アニメなんてダサい」と、そういう文化を蔑んでいた。

 

僕の転機は中学時代の野球部。都内でも上位に入る強豪チームだったので、結構同級生といえどチーム内には張り合いがあった。勉強でも野球でも周囲に負けるものか。そう思っていた中、特に鼻につくチームメイトがいた。なにをやっても僕より少し上をいく。しかも、性格も尖っていて常に上から目線ときた。こいつにだけは・・・と初年度から負けず嫌いを全開にしていたそんな折、そいつから突如こんなことを聞かれる。

 

「お前、声優ラジオとか聞かないのか?」

 

と言われ思わず「は?そんなん聞いてねえけど」と返す。

すると彼は「なんだよ、ダセえな」と一言。

 

完全にキレて、負けず嫌いのベクトルを見失った僕はその日からニッポン放送文化放送でやっていた声優が出そうなラジオ全てを聞く決意をした。ちょうどニッポン放送では平日の21時から『東京キャラクターショーRadio』が始まった頃だった。吉田尚記アナがメインパーソナリティを務め、アシスタントを日替わりで声優が務める情報帯番組だ。

 

また、偶然その週はレーティングで『西川貴教のANNスーパー』に林原めぐみ石田彰池田秀一というスゲー面子がゲストに来ていて、圧倒されたのを覚えている。(そこから結局『西川貴教のANN』とも長い付き合いになる)

 

また文化放送に移り、例のチームメイトから「『ノン子とのび太のアニメスクランブル』は基本中の基本だから」と言われていたので、金曜深夜眠い目をこすって、結局『でじこさん』までを走破。そして『堀江由衣の天使のたまご』を始め、多くの沼に足を取られながらも、アニラジゴールデン帯である土日夜のアニメラジオをあらかた制覇した。

 

翌週には詰め込んだ知識を早速ぶつけた。「おい、声優の名前で山手線ゲームやるぞ」そう言って、こちらから仕掛けたが、結局彼に僕は負けた。やはり付け焼刃では勝てなかったのだ。オタクってすげえな。愛があるんだな。そんな感慨を抱いたが最後。中学時代は大抵、野球の練習がない日はそいつの家でギャルゲをやっていた気がする。

 

また、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった電撃レーベルの10周年祭が幕張メッセで開催された時があった。イベントを記念して、昼から文化放送で特番をやっていたのだが、丁度野球の大会の開会式と被ってしまい。ただ、諦めきれなかった僕らは二人で、ユニフォームのハイネックの内側からイヤホンを通して、式中ずっと携帯ラジオから流れる田中理恵の御声を聞いていたこともあった。今考えれば、完全にバカである。

 

・「コミュニケーション」が面白い媒体として

以上見てきた通り、僕はラジオからオタクに堕ちた身である。その過程を振り返ってみて、数々のラジオ番組を通じ、僕が一貫して惹きつけられていたのは「コミュニケーション」そのものの面白さだった。目から入る情報がない分、やはりその意味や言葉尻に意識が向く。言葉ひとつ、間合いひとつ。そこで繰り広げられる対話や会話、あるいは一人喋りでも。そうした言葉のキャッチボールって、やってる当事者だけでなく、聴いている側でも楽しむ事ができるんだと学んだ。

 

僕は今、同人誌においてテーマに沿った対談などを基調としたシリーズを数年間続けている。当然、雑誌のような出版物が好きということもあるのだけど、その根底にはラジオから学んだ「コミュニケーションそのもの」の面白さを未だに信じているのだと思う。

 

ラジオでのMCや出演者をパーソナリティと呼ぶが、それは映像表現以上に「喋る」という行為が、個そのものを表出させるからなのかもしれない。僕自身も、そうした個を抽出出来るような、ラジオ的な媒体を作りたいと常々思っていた。

 

そんな折。もう2年前の話となってしまったが、冒頭掲げた『超機動放送アニゲマスター』のパーソナリティ、おたっきぃ佐々木氏と同人誌で対談企画を持たせて頂いた。その時のテーマは「今、オタクであること。」昨今のオタク文化が容認されやすい風潮や、過去と今の対比、そしてオタクとはどうあるべきなのか。各界から5人の強そうなオタクを呼んで話し合ったという過去シリーズで最も熱く、厚い、薄い本だった。

(※まだイベント等にて頒布中です)

 

おたささ氏はこんな当時一介のリスナーだっただけの若輩者にも、バカみたいに語ってくれた。いや、正直バカだと思った。収録は7時間超え。なんだかんだ終電も逃して、結局使えた内容は3時間分ほど。でも、そのオタクとしての熱量は間違いなく確かなものだったし、そしてやはりその「コミュニケーション」は、きっと傍から聴いていても面白いものだと。レコーダーから流れる、延々終わらない自家製ラジオを文字に起こしながら、そう思った。

 

そんな企画をやり遂げたご褒美だったのか。その同人誌を頒布した夏コミでは、おたささ氏本人がサークルまで遊びに来てくれ、その向かいでは『オタク落語』の音源を頒布していたサークルになんと吉田尚記アナの姿が。そちらにもすっ飛んでサイン貰いにいった訳だが、僕のオタクとしての原点であるパーソナリティ二人がコミケなんかで一遍に合い見えた訳である。結構、今思っても個人的には感動のシーンだった。

 

なんつーか、時代が過ぎ、ネットが発達して映像技術が格段に進歩しても、結局心に残ったラジオスターは殺しきれないもんなんだなとか、よく分からない感動から、年甲斐もなくちょっと泣きそうになったのを記憶している。オタクも片意地張って続けてみるもんである。

 

以上、単に自分のラジオにまつわる過去振り返り記事となってしまった。

 

正直言って、最近はあまり日常的にラジオを聴かなくなってしまっていた。何かめぼしい番組があればという具合ではあるものの、やはりラジオっ子の血は死んでいないらしく。今回この『超機動放送アニゲマスター』の復活の報を聞き、僕自身も非常に嬉しかったし、またTL上で盛り上がっている人らを見て。なんだか柄にもなく、純粋に喜んでしまった。ただただ、同じ頃に同じラジオを聴いてた人がこんだけいるんだなと。

 

もう少し下の世代から「ただの懐古厨のおっさんらじゃねえか」と言われれば、何も言えない。その通りなのだ。

 

でも、多分きっと今の2017年の空気とも違う何かを、この番組は聴かせてくれるのではとついつい期待してしまう。コミュニケーションそのものの面白さが、本物のオタク自身が作る番組の面白さがそこにはあると。いち文化放送のA&Gファンとして11月3日の放送を、心から楽しみに待とうと思う。