『生殖記』感想 虚無への今っぽい処方
朝井リョウ氏『生殖記』を読み終える。忘備録がてら感想でも。
ネタバレしているので、内容を知らずに今後読みたい方は回避ください。
また強めの作品かとドキドキしながら読み進めたけれど、結論はだいぶソフトランディングだった。
同性愛者的マイノリティの幸福を共同体回帰以外の方法から見出すという意味で、読み口は静かなのに、やっていることはかなり攻めていたような気がする。前作、悲劇としての『正欲』がいい意味でも悪い意味でも、サスペンス的であり、それに伴うフィクション臭が多少あったのに対して、今作は大きなドラマを使わなかった為、すごいしっぽりとしていた。緊張と緩和を示しつつ、緊張を毎度回避する。それでも、しっかりと主人公が生きることに対して、ひとつの結論に至ったことによる「しっくり感」=幸福の一類型を描いている。
転生する生殖器、という謎の存在を語り部にしたのも、話を無理に重たくさせず、神視点という胡散臭い方法も取らず、ポップなのに説得力があるという読み口の柔和化に一役買っていたように思う。それに加えて、ラストにおける生殖器自身の役割の終了が近づいているからこそ、饒舌になるというこの物語構成の軸になる発想は、冷静になれば無理筋にも思えるが、自然にこなしているのが素直にすごいと思う。
また、この作品の中で語られる「なんとな〜く」流れているこの国の空気感の描写はさすがの朝井リョウ氏という具合で、この国の嫌な部分、社会に対する懐疑点、加えて僕と同世代ということもあって非常に解像度が高いものと感じた。
加えて、前作から含めてマイノリティに対する理解度も高い。マイノリティ当事者が抱く、社会の主軸から外れていることに対する諦観であったり、そこに対して主張するのか、あるいは秘めて生きていくのかという選択については、他者のエピソードとして触れられるだけにとどまり、主人公であり、同性愛者である尚成の選択の一素材として積み重なるだけである。そもそも生殖器が語りすぎて、主人公の語りが少ないのも本作の特徴だ。尚成自身の内心は生殖器が代弁する形で、本人の口からは語られない。どこか最後まで他人行儀なのも、独特の読後感を生んでいる。
本書の結論。近い将来、受胎技術の革新により子作りという生産性がマイノリティにも普通に付与されると想像出来る。これは、ゲイである尚成あるいは同類の人々が、理不尽に押し込められることのない世界が達成されることを意味し、それを待望しようとする尚成の思考が描かれる。どれだけこの人生が単なる時間の浪費に思えようと、その世界の行先自体が望ましいものであるから、希望的に今を捉える事が出来るというメンタリティがそこには示されている。
一見、物語の軸にしてしまいがちなマイノリティ自体の問題を、あくまでもトリガーに置き、本質はそこから得てしまった人生における虚無との向き合い方にある。この点がこの物語を普遍的にするものであり、人類という前へ向かうしかない共同体に対する興味をなくしてしまった人間が、どのように幸福感を得るのかという道程の話となる。今は虚無でも、未来そのものは救われる。そこから無理に共同体的達成感へ繋げる訳でもなく、それはそれとして、静かなゴールを考える。役所広司が主演を務めた『PERFECT DAYS』に近い構成に思える。
一読者として、僕も仕事を中心とした日々が暇つぶしにしか思えない、という感覚は確かにある。生産性や拡大を目指す会社の意思なんてものは、言ってしまえば、拡大思考を辞められない人間のすがるべき信仰心の塊みたいなものだ。陰謀チックな見方をすれば、貨幣という概念を使って、社会的規律を維持しているだけにも思えてくる。それは擬似宗教と同様であり、拝金主義とも言うけれど、一周回ってそれがモラルの維持に寄与しているような奇妙な状態とも思えてしまう。
その中で、マイノリティでないとしても。ひとり純然たる幸福感を得ることは難しい。前回『庭の話』に関する話でも書いたけれど、そこにSNSといった注目経済の流れが流入し、承認欲求と絡まることで事態は更に混沌としている。単にネットから離れた共同体回帰、という結論でもなく、自分の中にある幸福感との向き合い方が重要視される中、将来に対するただぼんやりとした期待感というものが、案外生きていくには最も確かな人生の手触りなのではとも思える。
作中には尚成の同僚が結婚をしたり、あるいは後輩がNPOを立ち上げたり、次に向かうことで人生の意味を得ていく人々も登場し、本作は単純にそれら「前進」を否定するようなテイストではない。その感覚を得られた人と、得られなかった人がそこにただいるだけ。たとえ後者であったとしても、日々は続くし、一人でも生活に対する「しっくり感」は得られる。やはり、主人公逮捕で最後を締めた前作に対するアンサーのような感覚が強い。共同戦線ではない、マイノリティにはマイノリティの孤独ながら確かな意思の置き場がある。
僕自身もどちらかと言えば、思考はそちらよりだからこそ、本作には共感した。レインボーパレードのように権利運動を華々しくやるのでもない、ただの性癖異常者として、自らの落とし所を探る意味でも。この主人公が至る場所に、少しでも近づくことが出来れば、意味のない営みだとしても、それが自分なりの納得につながるのなら。
そんな実感を得られた良書だった。朝井氏の本は今の空気感を性格に掴んでいるので、逆に賞味期限があるように思える。特にこの本は今読むべきかもしれない。