わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

円城塔「self-reference ENGINE」読んで

久々に、面白い小説だったと。そう直感的に思える作品に出会えました。

 

それが表題でもご紹介した、円城塔さんの「self-reference ENGINE芥川賞も受賞し、もうSF界では、フューチャーされているようで。読書からしばらく離れており、何かないかと書店を探している中。表紙に一目ぼれでした。確実に洒脱でいて、また遊び心にあふれていると。まず、そう思わせてくれる装丁に惚れました。

 

内容については、その卓越した文脈のセンスに圧倒されます。ぱっと見は、アメリカのカウンターカルチャー文学のようで、イメージに直接語りかける様な描写に心が惹かれます。想起したのは、ブローティガンサリンジャー。ストーリーというよりは、絵画で言う印象派のような文学。そういった、単語を組み合わせるコンテクストの構成力に目を奪われました。

 

それでいて、実際に行われているのは、緻密な思考実験。紛れもなくSFによって為されるものに違いありません。Near side と Far side の2部に分かれている構成は、我々読者の思考規模に合わせて語られているように思えます。前半のNear side では我々人間にとっての生活を、1歩外から比喩的に見た世界。あるいは、私たちが普段の雑踏の中で見過ごしてる思考回路が描かれています。

 

当然に舞台としては、様々な設定が為されており、それが現実に即しているあるなどと言うつもりではありません。物語をメタとして捉えると、徐々に我々の生活とリンクする側面が浮かび上がります。

 

物騒にしゃべる可愛らしい靴下。

実家の床下から発掘される大量のフロイト

年に一度納屋に仕舞われた巨大な立方体を転がす行事。

過去と未来の時間軸が同時に存在する世界。

 

そうしたひとつひとつのイコンが、我々の「日常」を構築するものへ疑問を呈しているのは確かです。ここでの思考実験とは、ふと起こる、あるいは起こっているイレギュラーな出来事も「日常」では「日常」として処理されており、その特異性には、全く持って気づかないという点を喚起させる点にあるのだと思います。

 

実際このように思想として一般化を施し、この作品を評価すること自体、本作のエンターテインメント性にはそぐわないという気もしますが、一応概略として理解するのなら、こういう言い方が出来るでしょう。実際、床から延々とフロイトが出てくる話は、その対応含めシュールと呼ぶには超越しなさ過ぎる現実を見せられているようで、笑うしかありません。

 

でも、そうした超現実を経た、馬鹿みたいな現実を、案外自分も普段の生活で体験してるのではないかと。それは、一見、ニヒリズムとも取れますが、に我々人間が抱く世界へのポジティブな感情であるとも言えるのではないでしょうか。

 

Far sideでは徐々に、話の中心が人間ではなく「巨大知性体」というものに移ります。それは言うならば、現在の情報技術が特化した概念。時間軸さえも自由に操ることができる、そのような神により近いコンピュータが世界を取り仕切っているという世界観がはっきりと設定されます。

 

その人間をより超越した能力を持つ知性体が、前半のNear sideの世界、つまりは人間の非日常的日常性とリンクをしながら「壁」にぶつかっていきます。その壁とは、コンピュータという存在の限界、つまりは人間によって作られたモノである。という限界に集約されます。

 

終盤のストーリーについて多くは語りませんが、次第に知性体自身が、自己矛盾や自己の超越者という存在を認めだします。それは確実に人間の営みに他なりません。どれだけ、自らの能力が限りないものであっても「人間」という存在の枷がある以上、それは人間に帰っていくと、様々な角度から示唆しています。

 

現在、ロボットなどがより人間らしい動きをする、人間らしいしゃべり方をする。あるいは、行動において的確な判断を行う。そうしたことが機械工学として目指されていますが、その極地には、人間が機械によって乗り越えた壁の先に、再度「人間としての壁」は復元するだろうという予言が為されているようです。

 

うだうだと書き連ねましたが、あくまで個人的な観点に基づく感想でしかありません。実際には、これ以上の思索が含まれており、逆に含まれてなく、絵画のようにも読める作品であることは間違いないと思います。

 

日常と非日常を、ふとない交ぜにする。我々の日常は、本当に日常なのか。このような思考の遊びを行うことは、現代人にとって決して無駄なことではないと思います。実効性のないそもそも論にこそ、真理は宿っているのかもしれません。この「self-reference ENGINE」では結局、真理って現実のどこに差し挟まれているものなのかも分からない。しかも、自覚する自分を超越するものによって、日常は構成されている。

 

但し、超越者もきっと自分が作り出している。

 

そのような皮肉と、それゆえの希望が描かれていると思えました。本当に面白かったので、今後も別の作品などを読んでいけたらと思います。久々、真面目に文章書いたので、ちょっと荒れ気味ですが、こんな記事も少しずつ書けたらと思ってます。

 

長々と独りよがりに失礼いたしました。

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA) Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)
(2010/02/10)
円城 塔

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